ゼロの使い魔F 第3話

 や、安っ!。
 とはいえ、後半はいろいろ考えさせられる構成で、これはバランスが取れているのかな?。まぁ安い部分ってのは、この作品のウリでもある、バカップルの部分なので、そこはお約束といえば、そうではある。わかり易すぎるところを是とするか非とするかはなんとも判断の難しいところなんだけど、レヴェルを下げているのだとすれば、これはこれでアリだと思う。
 タバサとジョセフの因縁の決着のつけ方はフォーマット通りと言えばそうなんだけど、どうなんだろ?。視聴者にどこまで考えさせるつもりなんだろうか?とも思ったんだけど、そういうことじゃなくて視聴者の考えたいように考えさせていたのかな?。ジョセフの屈折の吐露は、彼の行った悪行を打ち消すほどのものじゃないってのもバランスだし、じゃぁタバサが鉄槌を下すシーンは、前期を見ていない視聴者にはちょっとインパクトが弱い。ルイーズが制止し、才人がタバサに任せるといった下りは、あれ、才人に花を持たせているように見えるけど、どう考えても才人はルイーズと同じ立場での物言いだしな。で、それを受けてタバサは矛を収めるんだけど、どう考えても納得している風と考えるわけにはいかない。だからこそジョセフがあの場で死ぬということでタバサのわだかまりを消す必要があったわけだ。ジョセフが引き金を引いたのか、それともシェフィールドが引き金を引いたのかは伏せられてはいるが、ジョセフの台詞からすると彼が決断したと考えるのが自然で、こゝで悪人が自ら責任を取ったという形にしたという構図が見えるようである。
 才人がジュリオや教皇に策謀の有りや無しを問い質したのはビックリした。あれ、フツー言わずに済ますことだもんな。アンリエッタやアニエスは口をつぐんでいたわけで、あそこはいくらなんでも描写しないところだ。が、教皇がそれに対して「否定できない」と言いながらも説明するところにぶったまげた。でも考えてみれば才人は町を救った大功労者。彼の働きが無ければあの町全体が灰燼に帰して、教皇自身も消滅していたわけで、才人は命の恩人以上の存在である。可能性という形をとりながらも才人に答えることによって、教皇の誠実さをあらわしていると見るべきだろう。門を出たところで町の人たちにヴァリエールや才人が英雄扱いされるのも、もちろん教会側がそう知らせたせいだろう。指導者たるもの、功労者にどう報いるべきか?、そして振り返って自分自身はどう誠実であるべきか?という問いかけが、視聴者というより、現代日本の指導者気取りの連中になされていると見るほか無い。
 正直なんでこの作品がこのタイミングで放映されるのか不思議に思っていたけど、東北大震災、フクシマ人災の後での空き菅のパフォーマンス、政府の事実隠し、野田の原発稼動再開の動きを見てみると、なるほど人の上に立つべきものゝあり方を問うているのかな?と思わなくも無い。