ソードアート・オンライン 第14話

 ウユニ塩湖だろ。
 ついにクリア!。というにはヒキがちょっと悲しめではあったが。ちゃんとクリア条件も考えられていて結構面白かった。っつーかヒースクリフの正体が全然想像もつかなかったねぇ。これにはやられたというしかない。
 まぁ原作がこういう流れなんだろうからアレなんだけど、なんか無理やりゲームクリアの形に持っていったといった感じがした。前回の感想で思ったのだが、あと25回もボスを倒しましたってのがもう視聴者にとってはおなかいっぱいにならざるを得なくって、でも物語的にはヒースクリフの言ったような最后の最后で明かすってのが物語の様式だからなぁ。途中で見破ってそこで大団円って物語はあんまり見ないよね。
 おそらく意図があるんだろうけど、ちょっと読み取れなかったことを書き出してみる。

  • アスナが自分からは解除できない麻痺を解除したのは茅場の差し金?。
  • 最后のキリトの一突きに抵抗らしきものを見せなかったのも意図的?。
  • 鋼鉄の城とは何のメタファー?。っつーか、茅場の意図が今一。
  • 鋼鉄の城がどっかにあるといゝなと茅場に同意を示したのはなぜ?。

 というわけで、AWと違ってSAOの世界は厳しい現実にい続けるしかないというメタファーだと思っていたんだけど、そのへんのことが今一わからなくなった。ゲームクリアがそういう過酷な現実の解消ってのでもなさそうだしね。あと、ゲームクリアは「みんなが協力して」という形をとらなかったのも面白い。もちろんそれでは物語の個人性がなくなってしまうからではあるが、AWがハルユキを主人公としながらも、基本は組織(仲間)で問題解決ってのがテーマになってたしね。それを考えると、アスナという伴侶は運命共同体という意味合いはあるけど、仲間というのとは違うんだよね。キリトもゲームクリアを「みんなのため」と思ってはいるが、個人的動機の範疇を出ない。
 これは現実世界でも、実は世界を変えるのはたった一人の飛び抜けた人間のアイデアでしかなく、もちろんフォロワーの協力が世界全体への変化を突き動かすのではあるが、やはり協力云々かんぬんよりは強烈な個性こそがそうであるって構造とよく似てはいる。もちろん原作者はやろうと思えばクラインやエギル、もしくはそれ以外のプレーヤーとキリトが協力してゲームをクリアさせるというストーリーラインにすることもできたわけだ。でもAWは協力なのにこのSAOはしなかったというからには、どちらが現実的かとかどちらかにすべきという主張があるというわけではないんだけど、それなりに問題提起しているところはあるんかなと。
 というわけで、次回は現実社会に戻ったあとのことをやるらしい。またRPG世界に潜り込んで別の章がはじまるのかとも思ったんだけどね。というか痩せぎすになってたのがリアルだったねぇ。何年も寝たきりだと本当は歩くことすらできないはずなんだけど、それはそれ。