ソードアート・オンライン 第3話

 キリトさん、モテモテっすね。
 閨を共にする描写は体の関係があったというメタファーであることが多いんだが、不思議とそういうにおいが感じられなかったな。で、そっちのほうがより泣けるというか。
 最前線ではなく、それより一歩後ろに引いた集団を描くことにより、死と隣りあわせという剣呑さは消しながらも精一杯生きる庶民を描いているように思える。おそらく現実社会では中流階級ってところか。マイホームも手に入れられるとしたら、中の上あたりだろう。
 よく考えたら、普通空っぽだとしても家を検分してそれにあった調度品を買うはずで、充分に我が家を堪能するだろう。それが、どう考えても仕掛け罠に突撃していくアホな流れにしたのはひとえにこのエピソードを早く終わらせるという尺の都合だろうね。そして何より黒猫団の中流家庭っぷりよりは、誰もが持っていそうな死への恐怖をサチで描いたところが重要。おそらくサチがゝつて考えていたように、始まりの街で安全に過ごし続けているプレーヤーはそれなりにいるに違いない。今の時代女も働くべきという圧力がゝゝっていて、いかにも女も労働力で産業に尽くすべきって風潮になっているが、近年能力が高いのに専業主婦を志向する女性も多くなっているらしいが、サチは後者にあたるんだろう。
 そう考えると、ファンタジーRPGの体裁をとり、現実に人がボロボロ死ぬというフィクションながら、雰囲気がリアルな就職・労働環境に酷似してるんだよね。自分も含めて20代以上の社会人向けがSAOで、中高生やローティーン向けはAWのような気がしないでもない。この作品を見て思うことが、出来の良し悪しってんじゃなくて、コレ、コレだよ現実社会は!って手に汗握りながら評価そっちのけで魅入られるってほうが近い。