無縁社会と無縁なもの達

 無縁社会その3というべきか。というより、今回は無縁社会に関連付けなくてもいつか言及したかったことでもある。
 オリエンタル・デスポティズムを読んでいた時に、日本が狭義での専制国家ではなく、封建諸侯たちの牛耳る国家であると述べられていた。天皇自体が有史以来ずっと本来の国家元首ではなく、既に貴族が実権を握っており、もちろん平安時代は言うに及ばず、鎌倉武家政権から明治維新まで実権は天皇ではなく、臣下が握っていたという形になっている。大政奉還でも天皇国家元首であっても国政にほんのちょっと関与することがあっても実質親政することはなかった。大日本帝国憲法発布以来、日本は立憲君主国であり、それは新憲法下でも変わる事はない…というか、より憲法を軽視するようになったという意味で劣化した立憲君主国ではあるのだが、いやゝはり天皇が国民の象徴としてまるで国家元首扱いされながらも、実権はほとんど持っていない。では誰が実権を持っているか?と言われゝば貴族の方々で、なるほど先祖返り著しいというか、それもかなり平安時代のに良く似ている。
 今、日本の上流社会と閨閥 (1983年)の読書中なのだが、閨閥関係の本は数冊読了している。売れないからというのが表向きの理由なんだろうが、今新刊では見かけない。閨閥関係の本は終戦直後は出版の余裕もなかったのか、それとも大体庶民もわかっていたことだったからなのか、あまり見かけないのだが、大体20〜30年後、戦前の利権構造が終戦を境に本当に民主々義になったのかどうかの確認の意味も込めてのことか、いや実際にはなっていないよとの主張の意味でかなり出版されている。
 で、今の政治屋世襲云々を辿っていくと、正真正銘の100%といわないまでも、ほゞ全員といっていゝほど親戚に政財界が絡んでいたりする。今は項目自体が削除されているようだが、あの空き菅も森善朗もWikiでは世襲ではないと記述されていて、それを信じてしまうと大変なことになる。空き菅も森も父親もしくは祖父が地方議会の議員だったりする。地方議員になると、大体が住民のために利益誘導して利権構造を確立できるから、息子・孫が国政にうってでるための素地を十分に作ることができるのだ。そのための原資は税金なんだから美味い汁ではあるわな。
 で、特に日本で顕著なのが、政官財の癒着なのだが、この癒着の接着剤としての役割を思う存分発揮するのが婚姻である。政治屋も自分の権力基盤として必要なコストを背景に持つためにも財界との婚姻は重視するし、財界も国からカネを奪い取る装置として政治とのコネクションを重視する。そして面白いのが官僚の扱いだ。
 もちろん明治以来の旧家が、その財力を背景に子弟に学問を修めさせ、日本を思い通りにさせるための人材として官僚として送り込むという側面は十分にあったわけなんだが、一応タテマエ上、試験という公平な基準を設けているためにもちろん一般庶民も優秀なのは官僚に登用されることになる。で、その優秀さに目をつけるのが特権階級である政財界の面々だ。彼らもゝちろん自分の子弟に十分な教育を施して賢く育てるわけなんだが、もちろん彼らの努力空しくアホに育ったり、世継ぎたる男が生まれなかったりすることも多々あるわけだ。昔は夭折することもあって、なかなか優秀な子弟が育たなかったこともあったらしい。その時に役立つのが娘である。娘を優秀な官僚に嫁がせ、婿を自分トコの利権獲得に利用した例がかなり多かったことがわかる。昔は玉の輿なんてコトバが流行っていたが、実は本当の特権階級では逆のことが行われていたワケだ。これは婿のポジションから物事を眺めると、自分が特権階級の仲間入りができるかどうかは、如何に名家の娘と結婚するかにかゝているワケだ。そしてこの構造は全く平安貴族のあり方と等しい。
 戦後高度経済成長期を支えた官僚はかなり優秀だったのに、なんで今ドキの官僚はデタラメばっかりなのか?については、やはりこの閨閥によるものが大きい。例えば国Ⅰの合格者は、実際に省庁に配属されるとは限らず、運が悪ければ配属されずに不合格扱いになったりする。そして、実は見えない力で、格の高い省庁へは特権階級の子弟が配属される。例えば大蔵省なんかは誰でも行けるわけではなくって、もちろん有力者の子弟が配属される。で、大体残りカスが文部省に配属されるというのは良く聞く。もっと酷いのが外務省で、あの試験は家柄重視で庶民が合格する確率がかなり低いのは周知の事実だ。マスゴミなんてのもあれ、政財界の子弟ばかりだわな。面白いのは本当に政財界だけしか就職できないのか?と言われると、必ずしもそうではなくって、特権階級の子弟がやらない実務を担当したり、特権階級の子弟の尻拭いをさせるために一般庶民が実働部隊として採用されるんだよな。もちろん出世はある所で止まる。まぁ特権階級の層が確立してしまうと、大体政財界の美味しいポジションは庶民に対しての門戸を閉ざしてしまうことになる。
 とまぁそんなわけで、日本は学歴重視の国でという言われ方ってのは実は注意をしなければならない。もちろん家柄が良くなくても能力が優秀な人間が出世できないことはない。それはいわゆる良家の子女を通じての形ではあるが、その奥の特権階級層のお眼鏡に適えば、そのお仲間入りを許されるという意味では可能だ。もちろん特権階級の利権を侵さないというのが特権階級による観察の結果、確認されゝば、婚姻によらずともあるレヴェルまでを限度として出世が可能だ。が、本当に上に突き抜けるためには、婚姻に頼るか、婚姻の後息子に託するか、莫大なカネ儲けをして特権階級に貢ぐかしないと現実には無理だったりする。まぁホント、本を読むと、戦後一時期ガラガラポンフルーツバスケット状態が訪れたんだろうけど、やはり終戦までの蓄積は特権階級に有利だったらしく、20〜30年経っても構造はほとんど変わらなかったんだろうなというのが窺える。閨閥本を読んで驚くのが、無能な政財界の人物評だ。かなり手厳しい。今ではかなり持ち上げられている吉田茂も小鳥遊いや、かたなしだ。こいつが如何に合衆国に日本を売り飛ばした売国奴というのがよくわかる記述がちらほら見受けられる。岸信介佐藤栄作もそう。ネットだとこいつらが日本のために尽力したというのをよく目にするのだが、やっぱ世論操作されているんだろうな。よくよく考えたらコイツらが現役だった時に働き盛りだった層は、もう死んでいるか、定年で現場から離れて、社会的発言力がかなり低くなっている。そうやって日本人の記憶からコイツらの悪事が消えかゝったときに、美化する論調がばら撒かれる。話が逸れて申し訳ないが、職場でもWikiLeaksの話題が出たりするのだが、コレを批判するのはよくよく注意してみると、年配の能力の低い連中だったりする。それもなんでコイツが就職できたの?という手合いだ。で、はたと思い当たるんだわ。特に酷い一人の噂が、「お偉いさんの子弟」だったりするから、はゝぁなるほどゝ。バらされると困ったりするんだろうなと。
 で、「無縁社会」だよ。結局のところ特権階級ってのは、無縁どころか血縁でガッチリお互い守り守られているワケだ。で、無縁状態で困っているのは、確認するまでもなく特権階級とは無縁の人たち。そして、多分特権階級は地縁・血縁が力の源泉だとわかっているんだろうな。お互いが支えあえば孤立した敵を叩くのは容易であるというのが身に沁みているんだろう。だからこそ、自分たち以外を無力化するためにはどうやったらいゝのかは彼らにとっては明らかだ。言葉にするまでもないんだろうけど、自分たち以外を分断することだ。だから、この無縁社会というのは特権階級が意図してやっていることだ。そして奇妙でもなんでもなく、その動きが活発化するのが'80年代だ。閨閥本がだんだんと出版されなくなり、そして男女共同参画社会というのが称揚されたあの時期だ。不倫に対する心理的障壁が下げられるようなドラマが多発し、ナンパだの援助交際だの結婚を前提としない男女のつきあいが大っぴらに宣伝されたのも'90年代で、この時期に結婚年齢がドンドン上がっていった。今では結婚そのものをしないというかできない状態が慢性化している。片山虎乃助だっけ?、こう言ったのは。

「貧困の再生産など起きない。彼らは子供さえ持てないからいずれいなくなるだろう」
自民党某議員)

 つまり、特権階級はそれ以外のものから富も奪うし、それによって子孫も絶やすことができるから一石二鳥も三鳥もお得なわけだ。
 んHKの「無縁社会」に対して、その無縁という境遇にいる本人からクレームがついたそうだが、これまた業が深い。んHK自身が特権階級の子弟の集まりであるというのを念頭に置くと構図がわかりやすい。つまり無縁のものを思い遣っているんHKサマに文句をつけたのが、まさしく無縁で困っている人そのものであるというのを、社内秘にするのではなくわざわざ公表しているのだ。これは無縁の人の多くがんHKを視聴し、無縁のモノが無縁のモノを批判し、決して無縁社会の批判の矛先が特権階級に向かないようにしているワケだ。でもまぁ庶民同士をいがみあわせるって構造は今までもたくさんあって、その顕著なのが、政財界による、移民促進政策だ。特権階級はもう彼ら同士でガッチリスクラムを組んでいるから、貧乏人の力を奪い、弱れば移民で補充という考えだ。つまり今の日本の庶民は使い捨てなのだ。欧州で移民の失敗はつぶさに観察しているから、それでも移民を政財界が望むというからには、そりゃ貧乏人と移民とをいがみあわせて批判の矛先が特権階級に向かないようにするためだとしか考えられない。そして、移民と貧乏人の区別がつかなくなったころに特権階級は「我らこそは真の日本人である」と言い始めるつもりだったに違いない。
 整理しておくと、

  • 既に特権階級とそれ以外の区分けはできてしまっている。
  • 血縁でガッチリ固められた政財界の特権階級層が、自分たちの利権構造の維持のために意図的に無縁社会を作り出した。

 ということである。
 まぁ庶民としてのさゝやかな対策として、地方分権は有効な選択肢だろうなという気はする。但し自民盗の提唱した道州制地方分権とは方向性が全く逆のまがい物だから騙されないようにということ。また近代を脱却(完全に捨て去るのではない)した産業構造の転換、産業と人間の地方分散が必要なんだろうなという気がする。まぁそれで地縁が復活するわけでもないんだけどね。ネットによる人と人との繋がりは、繋がりの補完にはなるけど、本質になるのは難しいと思うがねぇ。自分なんかはむしろ他人と顔をつき合わせるのが煩わしいと思うぐらいなんだけど、やっぱネットだと被る仮面のオプションが増えちゃうからね。本当に信用できるかどうかはかなり怪しいとは思う。まぁ実際に会って話をすることで本質をつかめるとは全く思わないんだけど。人に会って解消することのできる孤独感って、本当の孤独なの?という感じがしないでもないし。ま、卑小化するとすれば、人それぞれだよとしか。