星空へ架かる橋 第4話

 主人公がヒロイン間を渡り歩くって、まんまエロゲギャルゲの構造じゃん。
 しかも訪問した先ではヒロインの魅力が提示されるという…。弟は主人公の友達と共に姿を消しており、これでもかといわんばかりのゲーム式。オモロイのは初だけが主人公との接触が断たれているんだよな。フツーに考えたら視聴者にお好みのヒロインを選ばせる仕掛け&ゲームの宣伝なわけだが、構成的に言っても一通りキャラ紹介が終わり、キャラ理解の深化という局面なんだろう。なにかと理屈っぽい本作であり、ちょっとワクワク感が足りないかなと思わなくもないが、特に問題があるワケでもなく。
 で、そういやこよりが割と優遇されてたな。言動がお子ちゃまでも人を思い遣る心は十分に持っているって描写だった。手術前の子供にせがまれて、こよりが比古南レースに出るのを承知してしまうのだが、こより自身はレースに勝てるとは全く思っていないだろう。昔の自分だったら安請け合いしやがって何考えてるんだろう?とか思っていたゞろうが、今となってはこよりの思い遣りだということがよくわかり、胸が熱くなる。
 しかし、今回自分にとって胸キュンだったのは伊吹だ。いや、自分はツンデレなんて興味の範疇外なんだけど、主人公に構って欲しくてちょっかいを出している姿が微笑ましい。まず、主人公がモノ欲しそうに見ていたのは飲み物ではなくて伊吹自身だということをわかっていない風なのがポイントの一つ。で、飲み物を主人公に勧めるのだが、アレどう考えても初めから間接キッス目的だったろ。というか、間接キッスに気付こうとも気付かなくとも主人公の対応次第でそれなりの掛け合いをするつもりだったのだろう。いや、なんつーかね、伊吹ってヘンにつっかゝってきているんだけど、本質的に主人公が嫌がりそうなことはどうも避けているらしく、あの態度は自分に構ってもらうための挑発という風に今は理解している。もともとツンデレってのは、ゲームのプレーヤーが現実社会で目にする「困った女」を脳内で「つれない態度も愛情の裏返し」という風に読み替えて妄想に耽るためのものであって、辛い現実*1を少しでも好意的に解釈する手段の一つだったと思っている。が、伊吹はむしろ好きな子に意地悪をする小学生のように見えなくもない。
 うーん、これもギャルゲ原作ということで、基本はおとこのこ向けだと思っているんだけど、おんなのこ向けでもあるのかね?。やっぱ下ネタの内容からすると女の視聴者は切っちゃってると思うんだけど、そのハードルさえ越えればターゲット層は男女変わりないようにも見える。いや、女子って嫌だとか言って手で目を覆ったりするけど、指の隙間からしっかり見てるとかありそうじゃん。で、男はそのまゝ主人公に自分を投射し、女は数居るヒロインから自分に近いキャラを選んで投射するって構造は、今となっては珍しくもないのかな。自分なんかはなんでおとこのこ向けエロゲを女がプレイできるのかずっと不思議に思ってはいたのだ。が俺妹のヒロインとか、らきすたのこなたがエロゲをプレイするってのは決して「女もオタク向けのエロゲをプレイして欲しい」といったオタクの願望とは違って、そこそこ珍しいことでもないらしい。
 自分の感覚だとやはり女もおとこのこ向けエロゲと同じように、女がいろんなタイプの男を選ぶものだと思っていたのだ。アンジェリークなんかそうだろ。が、自分が無知だけなのかもしれないが、アンジェリークタイプの女向けエロゲがあまり流行っているとも思われないのだ。いや、少女漫画だってがさつな男だとかチョイ悪男だとか、王子さま的男だとかいろんなパターンがあるだろ、それらを全部一つのゲームに放り込んどきゃゲームの一つや二つ軽く出来てもおかしくなく、そういう需要が女にあって当然だと思っていたのだ。
 が、自分の狭い経験を基準に考えること自体が間違いだとは思うんだが、これだけギャルゲ形式のアニメを数当たっていると、ふと男のパターンって一つしかないじゃないかと気付いたのだ。すなわち、女が男に求める条件ってのは意外に単純で、「やさしさを自分に(だけ)向けてくれること」なんじゃないかと思っている。その条件さえ満たしていれば、男の見かけとか気性はあまり女にとって気になっていないんじゃないかと。いや、もちろん生理的に受け付けない男だっているだろうから絶対とは言わないんだけどね。
 でもまぁアレだよ、ファッションなんかでもそうなんだが、基本女の服のほうが多様で、男の服ってのはそう種類が多いわけでもない。男だって女にモテるために目立つ服、それも他人とは違うというアピールをしたがっていてもいゝわけで、それを示すために多種類の服があってもよさそうなもんだ。が、男の服は基本画一的で、あまり他の男との違いを示すデザインの多様性は無い。が、男が人と違う服を着ることで女に他の誰でもない自分を選んでもらえるのか?というと、実際に服の違いは影響ないから十把一絡げのデザインになっているのだと思う。服のデザインに凝ったって無駄なのだ。そして男もその努力が無駄なことを無意識にでも自覚しているから服に凝ることをしないんだと思う。つまり、女が男に求める条件は多くなく、それを満たせば男は女に選んでもらえるというわけだ。
 で、女だが、男がいろんな女に目移りするのを防ぐために自分の個性をウリにするんじゃないかと思っている。服だの化粧だの自分の外見を取り繕うのは、基本「他の女でなく、自分だけを見て欲しい」ワケで、他とは違う目印として自分だけの服を選ぶのではないかと思ってしまった。いや、もちろん全部の女がそうだというつもりもない。そして女がキレイになりたがるのは別に男のためでなく、自分のため(コミュニケーションツールとしてのファッションとか)だったりもするワケで、そうそう単純に男と女の関係だけで理解できる問題でもない。が、女複数の構造の作品のほうが男複数の構造のよりはるかに多いのは、現実の服飾の問題と照らし合わせてみてもなにか合致させるようなものを感じてしまう。
 しかしなんだな、自分が就職したての頃にお世話になった先輩*2に言われた、結婚についての「男が女を選ぶんじゃない、女に選んでもらうのだ」という言葉がずっと身に沁みているわけなんだが。そうだよね〜。

*1:大体社会人になると会社に一人や二人ぐらいは女の困ったチャンに遭遇するもの。もちろん縁の下の力持ち的なお局さまもいるが、先輩であること女であることを嵩に着たお局さまもいて対応に困るワケだよ。

*2:もうお亡くなりになっている。