おとめ妖怪ざくろ 第10話

 百緑・橙橙の装束?は、チャイナドレスよりエロいな。
 ざくろ、色ボケしている間にあっさりとさらわれるの巻。昨日視聴した伝勇伝のヒロイン考察をした直後なだけに、恋愛要素を念頭に置きながら視聴してしまったよ。なんか自分的に混乱の時期なのか、恋愛ってのを分析的に見てしまっている。いや、こういうドラマというかテキストものは、当然にして作者がいったん恋愛だのといった構成要素を現実から抽出して再構成するという作業が入り込むために、そりゃ作者の解釈の分だけ整理されてしまうことにはなるんだよな。で、作者もターゲット層を念頭に置けばより偏向というか方向性が定まってしまうわけで、それが作者の主張にもなり、世界観にもなるんだろう。で、受け手は受け手で自身の経験・解釈力によって作者の主張をそのまゝ受け取ることもできるだろうし、また勘違いして受け取ることもあるだろう。なんか前置きが長くなったが、要するになんかこれから行う解釈にちょっと自信がない。でもまぁ現時点での解釈をメモしておくのが自分のアニ感の主旨ではあるので、誤読を恐れることなく書き残しておきたい。
 今回は恋愛にしろ、恋愛とは違うにせよ、感じとったのは「結局は認知欲求の充足」なのか?といったこと。妖人省陣営は今回ざくろと総角にだけスポットライトがあたっており、他のキャラはみんな添え物。そして対立組織はほゞ全員にスポットライトが当たっている。即ち花楯・女郎蜘蛛・百緑・橙橙の4人だ。ざくろ・総角は妖人省だけでなく、阿吽の領域で妖人・人間分け隔てなく過ごせる場所でお互い認め合う存在としている。が神がゝりの里では上下関係が厳然としてあり、その上下関係ってのもやたら存在の否定が伴うものである。神がゝりの里でよくわかんないのは、どうやら半妖であるらしい花楯がかなり上位の存在で、その次に人間、あと妖人である女郎蜘蛛はやたら半妖をバカにしていたが、花楯は半妖である百緑を女郎蜘蛛よりは上位に置いているようだ。ややこしい。
 で、ざくろと総角は、差別のない環境でお互いがお互いを大切に思う存在として惹かれあっているという恋愛になっている。ざくろはおそらく半妖が人間に蔑まされる存在と思い込んだまゝ過去妖人省に来ており、半妖であることを気にしない総角に認められるというのも挙げられるだろう。そして総角は彼自身妖人や半妖を怖がってはいるものゝ、その感情には相手が劣った存在であるという意識はまったく無く、だからこそ妖人省で、ざくろ達が自分たちとなんら変わりない存在ということが確認できた段階で、彼女を自分と同じ存在として認めるわけだ。結局のところ、女の認知欲求を男が満たしてくれるか?で恋愛が成り立っている。
 花楯陣営はちょっと複雑だ。女郎蜘蛛が嫉妬に狂う女というポジションにいるから、どうもこれも恋愛絡みか?と思ってしまうのではあるが、ちょっと考えてみるとそうでもなさそうに感じた。どうも女郎蜘蛛は半妖ではなく、妖人のようであるが、結局のところあの陣営では人間が上位の存在であり、妖人が下位の存在であるらしい。で、普通なら半妖は人間と妖人の要素を両方持つ中間の存在だから、地位的にも中間なのかと思ったら、百緑の台詞によるとそうではないらしい。半妖が人間と妖人のかけあわせなのか、それとも人間と半妖のかけあわせなのか、それとも半妖と半妖のかけあわせなのか今一はっきりしないのだが、とにかくどっちつかずの中途半端な存在であり、すさまじい妖力をもつ半妖を再現するために「モノ」として生み出されるらしい。で、百緑はモノ扱いされているから人間よりも妖人よりも、自分たち半妖を下位の存在と考えているらしい。で、女郎蜘蛛は断定しきれないのだが、どうも妖力が強いかどうかで妖人・半妖のランク付けをしているっぽい。女郎蜘蛛は自分より妖力の弱い百緑や橙橙は下の存在だが、ざくろは妖力が強いから上とは言わないまでも何かしら認めているものがあるらしい。だが、その自分より弱い百緑が花楯に認められているのが悔しいというのがあって嫉妬に狂うワケだ。だから、女郎蜘蛛が花楯に恋愛感情を抱いているかどうかは疑問で、単に花楯は自分を上位の存在とランク付けしてくれる権力者として認めているという要素が強いのではないかと思った。で、橙橙も、女郎蜘蛛の妖力を基準としていないっぽいが、でもあくまで花楯陣営の中でのポジションにこだわっているように見える点で、女郎蜘蛛と大して変わりない認知欲求を持っているんじゃないかと思ったのである。
 で、百緑だが、彼女はもうなんていうか、あまりに半妖という存在を概念的に位置付けてしまっており、もう人間でも妖人でもない「モノ」という階級なんだから、なにをやっても無駄みたいな諦観が見られる。というか、自分は周囲のすべての存在から見捨てられていると考えており、それが今回ざくろに妖力を分けてもらってどうやら少し認知欲求を満たしてもらいよろめいていたように思う。また、花楯にもちゅーしてもらって、どうも望外の驚きに我を忘れていたようだ。花楯は別に百録自身ではなく、彼女の中にあるざくろの妖力に惹かれただけなのだが、彼女が冷静になった時にどう頭を整理するのかちょっと楽しみではある。しかしなんだね、百緑は終盤ざくろの危機のときにざくろの楯になって散りそうな役回りだな。
 花楯がよーわからんな。半妖であるならば少なくとも人間より下の存在であってもよさそうなもんだが、「半妖は男と生まれてしまえば人の形すら保っていない」というのゝ例外っぽい。で、次号予告を聞くとざくろとは兄妹(姉弟?)らしい。で、ざくろ母がどうも妖人なのか半妖なのかよくわからんが、それらの中でも特別の存在らしい。が、今のところざくろのように何か特別な妖力を披露する場面もなかったし、それは即ち妖力がないんじゃね?と思ってしまう。で、その力の無さを、特別な妖力を持つざくろと子供を為し、そして念願叶って凄まじい妖力を持った子供であったら、そのすばらしい子供の親として認められるとでも思っていそうである。
 まぁそんなこんなで、どの方々も認知欲求を満たして欲しい人々なんだなぁと思えてしまった。総角だってヘタレな自分を「できる」ざくろから認めてもらいたいという風に見えてしまうしな。なんつーか、どいつもこいつも自分の存在価値を高めるために相手に認めてもらいたい、そのわかりやすい形の一つとして恋愛を利用してるだけじゃねぇの?と思えてしかたがなかった。まぁ大枠としてはざくろ側の共存が花楯側の抑圧に打ち勝つべきってのがあるんで、どっちにせよ恋愛要素ってのは主題としては客寄せパンダ的な役割しかなくても構わないんですけどね。
 あぁやっぱ長くなったな。