おとめ妖怪ざくろ 第9話

 ざくろ、酷い奴。
 うれしはずかしコックリさんの巻。恋愛の成就を願うというコックリさんってのは、実は恋愛成就そのものにはなんの関係もないヘタレという…。いや、コックリさんに総角の好きな人を尋ねたときに、ざくろのほうを向いたってので、彼の仕事は済んだとみていゝのか?。
 まぁ雑談になってしまうわけなんだが、自分が中学の時にコックリさんってのが流行ってやったことがある。まぁあれは子供のお遊びで、適当に人を指し示してそいつの反応を見てはやし立てるのが本筋だろう。自分はたまたま女子のコミュニティでそれを体験したのだが、男子コミュニティだったらコックリさんなんて間接的なものでなくって、「おまえ、誰が好きよ?」って暴露大会ってのになるだろう。コックリさんを利用するにせよしないにせよ、ぶちまけた相手と付き合うことになったら、実は周囲ではやしたてゝいた(非モテ)連中は心中面白くないわけで、結末としては非常にステークホルダー達に不快なものを残すという極めて愚かな行動なのだ。
 が、これが社会人になると、妙に生々しくなる。付き合いというものを遊びと捉える向きにはまぁアレだが、結婚相手を模索する手段としては、こういう暴露ってのは死活問題だ。他人が暴露した相手が自分の想い人とかち合うかどうか、かち合うんだったらそこでまた妙な駆け引きが生じるわけなんだが、そうでないとなると、「応援」って要素が絡んでくる。他人の恋愛を手助けすることで、自分の恋愛を手伝わせることも可能だ。で、妖人省は若者宿・娘宿のメタファーなんだから、コックリさんが介在しようとしまいと、きっとこのような番わせ現象が起こってたんじゃないの?かつては、ってことなんだろう。日常の野良仕事で誰が誰を想っているかなんて周囲にはわりとバレバレだったりして、こうやって周囲ではやし立てることによって、普段意識し過ぎて一線を越えないカップルなんかを後押しすることもたくさんあっただろ?ってなもんだ。まぁ今回の花楯なんていゝアテ馬だろ。ある意味恋愛モノの王道展開ともいえる。
 いや、なんか旧来の日本文化についてあまり触れてないなぁなんて書いてたけど、よくよく考えたら若者宿・娘宿ってテーマで直球勝負してるじゃんかと今気付いた。大まぬけでありました。
 あ、そうそう、サントラだけど、二枚組なのな。で、車中のお供にするにはどうもなと感じた。神無月の巫女のサントラをときどき聴いていたんだけど、それとの比較で言うとイージーでない。音楽性としてはざくろのほうが完成度が断然高い。が、効果音的な音楽がかなり混じっていて、戸惑うんだよ。神無月のほうがドン臭いといえばそうなのだが、テンポがほゞ一律で音楽として非常に聴きやすい。ざくろも一枚目の前部分は室内楽的な感じで車中のお供として悪くないんだけどな〜。どうせ一枚通してリピートさせるんで、後ろのほうのがちょっと煩わしく感じられてしまった。
 しかし、打ち込みじゃなくってちゃんと人を使って演奏しているらしいのだが、技法が面白かったな。普通クラシックの演奏だと「情感たっぷり」に演奏するのがその人の個性であり、演奏の良さだったりするんだが、劇伴だとそういうのは邪魔だからな。でそういうのを極力除いた端正な演奏なんだが、かといって無機質でもないバランスってのに感心した。昔はアニメのサントラ…というより、映画音楽のサントラなど、いわゆる演奏会向けでない曲なんてのは、一流どころのオーケストラはほとんど相手にしてなかった記憶がある。まぁ今だってそうなんだろうけど、かといって演奏技術がやけにハイレヴェルなんだよな。ある意味いゝ時代になったよなと思う。が、アニメのサントラなんて枚数出ねぇだろ…と思うと凄く切なくなったりする。