おとめ妖怪ざくろ 第11話

 半妖って、ハーフじゃなかったんだな。
 こりはビックリ。妖人が被差別者のメタファーかと思っていたら、たゞの異能者って感じだな。たしかに妖人の外見はかなり人間からかけ離れており、そもそも子供を為すことができそうもない。だが、江戸時代以前から異人との恋愛はあったのであり、いわゆる人種間の違いよりもっと隔絶したものではあるんだろう。かといって、妖人は人語を解し、文化的にも人間と変わりがないわけで、人間と類人猿ほどの差はなさそうだしな。となると、人間と妖人の共存っていうのは具体的にどのような場合をさすんだろうな。混血は不可だが同じ共同体の成員として共存できるもの同士って。
 神懸りの里も何のメタファーかと言えば、まぁ有体にいって抑圧型の特権階級なんだけど、モチーフは近親交配の激しかった明治以前の皇室だろう。たゞ、現実の皇室が権力を誇示するために人間に生贄のかたちで迷惑をかけていたってのはあまり考えにくいから、そこらへんは鼻持ちならない貴族あたりの性格を付与したものと思われる。で、あまり神懸りの里の連中はあの世界の支配者って感じでもないんだよな。でも人間ですら見下しているという。
 で、半妖だよなぁ。花楯は半妖ではなく、神懸りの里の連中同士の子であるらしい。男は人間としての外観を留めず、女はケモ耳になるという半妖はこれまたなにを表しているのか迷う。妖人を生贄として血をかけていたりしてたが、神懸りの里の連中と人間とのハーフであるのだとすると、神懸りの里の連中にとっては肉体的には人間よりは高貴な存在であってもおかしくないのだが、そうではない。で、半妖は人間にとって疎まれる存在なのは、人間から見て外見がケモ耳だから、妖人に似ているという理由なんだろう。で、人間は神懸りの里の連中の存在を知らないから、彼らから見下されているとも知らず、同じ人間として見ているワケだ。で、妖人や半妖は人間より能力が高いから、社会的貢献度はむしろ人間より高いんだが、人間は自分たちが恩を妖人や半妖から受けているとはわかっていないってのが、まぁ愚かといえば愚か。ついでに言うと、神懸りの里の連中はなんらかの能力は高いんだろうが、彼ら自身の権力維持や誇示にしか使っていないわけで、社会にとっては迷惑な存在。
 で、そういう妖人や半妖にたいする差別が都市部・農村部に関わらず広域に存在し、そういうのが近代になってあらためられようとした試みが、妖人省設置だということになるのかな。で、それを間違いといおうとしたのが雨竜寿だということになるのか。なんか複雑だな。
 複雑ついでに言えば、前回言及した、認知欲求を越えた純愛が恵永と突羽根だったりするのか。でも、少年時の花楯からすれば、突羽根は不倫をした母であり、自分に対する裏切りだと感じるわけで。まぁ理解力のない餓鬼とはいえ、母である突羽根が父からモノ扱いされており、そのへんの事情を理解できないというのは仕方がないことではある。でもまぁいくら母が父からモノ扱いされているのならば、そのモノから生まれた花楯自身もまたモノでしかないというのを認めるのは難しいだろうなとは思う。で、その花楯が異父兄妹であるざくろと子を為すというのも、また近親婚で権力関係を構築する特権貴族と同じかほりがして、また禍禍しいものを感じるな。
 いや、今後の展開はどうなるんだろうな?。まぁざくろが助けられるというのはガチだとしても、差別被差別関係に関する提言とかどうするんだろうな?。表から隠れた特権階級の存在だとか、近代と既存の文化の衝突および融合など、なんか面白いテーマなだけに、そんなに深くは言及されないんだろうなと思うとちょっと残念。大抵エピローグ的にちょっと触れられて終わりのような気がする。
 あ、そうそう、サントラなんだけど、自家用車の背景として一枚目をエンドレスで聞いているんだが、かなり違和感がなくなってきた。何年か前に、交通の妨げになるのがオバハンから老人に切り替わったって書いた記憶があるのだが、やはりそれが定着したようで、老人の危険行為にイライラさせられても、このサントラだと割と穏やかな気分に復帰しやすいなと思うところもあり…。