オオカミさんと七人の仲間たち 第2話

 なんか早くも夫婦に。
 前話はそうでもなかったんだが、新井里美の説明がちょっとウザかったな。涼子の虚勢は実は弱さの裏返しってのはちゃんと林檎と亮士の会話から類推できるのに、わざわざ言葉にすること無いジャンかと。もしかして原作でもそうなのか?。
 で、今話はメインキャラ同士の慣らし。ヒーロー(もちろん涼子のこと)とヒロイン(といえばわかるよね)が早くもくっついちゃったから、あとは波乱を巻き起こすだけなんかなと思わなくもないが、そういや今回は底本となる昔話が見当たらないな。鬼ヶ島高校と言っているから桃太郎かと思えば、桃太郎にあたるキャラはいないしな。付いていったのは犬しかいねぇし。となると、お伽銀行の面々のトラブルシュートが今後華麗に繰り広げられると見ていゝのかね。
 しかし、銀行が、相互扶助協会の別称になってんのな。すげぇ面白い。なんでちょっと前にそんな本を読んでいたのか自分でも不思議なんだけど、村の生活の記録〈下〉上伊那の明治・大正・昭和 (1981年) (刀水歴史全書〈11〉)を読了していて、関連したところを目にしていた。曰く、農村なんてそもそも大手銀行が支店を置くこともなく、農民ってのはちょっとした融資を受けるのにも困っていたそうだ。昔は豊作・不作の差が激しかったので、不作の折には作物の植付け資金が足りなくて困ることが多かったらしい。明治以降税は金納になっており、金策にはホトホト苦労したそうだ。今となっては農協もあるのだが、昔はそれもなく、離農して一家離散といった悲劇もあり、それを何とかしようと、江戸時代まであった「講」のシステムを使って、不測の事態に備えようと相互扶助システムをこの本の舞台伊那ではじめた人がいるらしい。
 「講」というのは、色々な形式があるのだが、例えば集落に十戸あったとしたら、一戸がこれまた例えば一ヶ月千円かなんかを集落単位に積み立てるわけだ。そうすると集落では一年に、12ヶ月×十戸×千円=十二万円貯まることになる。そのまとまったお金を籤かなんかを引いて当たりの出た該当戸が使うというもの。もちろんまた次の年にはお金を積み立てゝ、今度も籤かなんかで別の戸が使うようにするわけだ。江戸時代だとこのまとまったお金で何かをやるというのが結構あったらしく、例えば該当者はお伊勢参りをその積立金を使って行ったりしたらしい。
 で、伊那で行われたその相互扶助システムは、住民が講と同様お金を積み立てゝ、それをまとめて管理し、困った人に貸し付けるという制度にしていたらしい。これの優れた点は、取りっぱぐれの無いことだったらしい。借りているほうは、貸してくれている人の顔が見えている(なにしろ住民全員なのだ)から返すために身を粉にして働くし、貸したほうも貸し倒れても困るから、借り手の家に共同作業に行った折にもよく協力したそうだ。なにより民間の営利団体ではないので、利息が無いか、もしくは超低金利。まぁ利息を取って儲けてもしょうがないわな。
 これが、欧米の「銀行」システムというのを考えると、思い浮かぶのは貸し金庫業者*1や、カネ貸し。もちろん日本にも高利貸しや両替商があったから、西洋の銀行にあたるものがなかったか?と言えば全然そんな事は無いのだが、アチラには日本の講のような相互扶助システムはあったのかな?。ギルドという同業者組合の存在は思い浮かぶので、なんらかの形であってもおかしくはないのだが。
 話は逸れるが、こう歴史を振り返ってみると、公の仕事でもなく、民間の仕事でもなく、単に地方民の所属する共同体がこういう助け合いのためにバッファーをシステムとして用意していたというのはある意味驚きだ。小鼠・ケケ中改革で、民に出来るものは民にとか言っていたけど、こゝで言っているみんってのは、けっしてたみのことではなく、政財界という特権階級のことだもんな。たみにできることをみんが奪って、そのまゝみんが利益を搾り上げる。これが明治維新以降民間とやらがボロ儲けをするために地方を破壊してまでやってきたことだ。
 というわけで、前回は貨幣ではなく、恩の貸し借りを直接やりとりすることに感心してしまったわけなんだが、今回は相互扶助組織について思いを巡らせてみた。なんつーか、地方というか田舎の濃厚な人間関係というのか、何をするにもがんじがらめでやりたいこともやれない閉塞感が特に若者を中心に田舎を捨てさせる要因になっていたわけなんだが、そのしがらみってのは実は相互扶助システムという裏があってのことだったというのに気付くわけなんだよね。じゃぁ日本という国家が国土全体に広がる村落共同体を解体した末に、大きな相互扶助システムとして成り替わることができたか?と言えば、結局上層に位置する特権階級が国家を壮大な搾取装置として今国民から盛大にチューチュー血税とやらを吸い尽くそうとしているって有様だもんな。まだ帝国主義華やかなりし明治維新頃は「このまゝ日本人が村落共同体のみに縛られてバラバラになってしまっていては西洋の喰い物にされる」という現実があったからそれなりにうまく運用できていたんだろうケドね。大まかに考えるとやっぱり間違ってしまったのはWWⅠの好景気の頃からだろうな。
 で、今回気付いたのは、この相互扶助システムが請け負う範囲が御伽学園という一学区であるということ。涼子が拉致された現場もその範囲内であり、どうもヤクザのなわばり意識に近い区分けがされているっぽいな。もちろん舞台は町であり、いうなれば町内会*2ではあるんだろうけど、まぁ村落共同体と同等だわな。住民同士がだいたい顔見知りという範囲だ。やっぱ住民が自分の住んでいる土地を自分で何とかする限界ってのがあって、そういうのを越えちゃいけないんじゃネェの?って感覚は持っていないとまずいんだろう。そうはいっても近代化のもたらした物質の豊かさってのは規模の大きさに依拠するから、そうそうすべてを細切れにしろとまでは思わないんだけどな。しかし明治以降に行われてきた地方自治体の合併による地域共同体の破壊ってのには、なかなかにして「いかに社会を崩壊させてきたか」というのに気付かされて暗澹たる気分にさせられるよ。上記の本もそうだが、今読んでいる最中の山村生活の研究 (1937年)も'80年代70年代(だった)に復刊されたもので、この時期って結構昔のことを知っている人が後世になんとか伝えようとした時代でもあったんだろうな。アウトドアが流行ったのもこの時期だっけ。で、今頃になってなぜに'80年代にいろんな人が必死に何かを伝えようとしたのかゞわかるという。それでも荒川河川敷だとか、その他諸々の作品で、上の世代からなんとか受け継いだものをどうにか広げようとしている*3人もいるわけで、昔のやり方をそっくりそのまゝ残すというものでもないんだが、まぁ間に合えばいゝよなと思ったリ…。

*1:ユダヤ人が客から預かったゴールドの預かり証書を後に紙幣として流通させた。金の保有量以上にってのがミソだが。

*2:江戸時代の町内会ってどういう名称だったんだろ?。

*3:んだよな?