荒川アンダーザブリッジ 第13話

 アマゾネスの唐突な顔出しが、続編を暗示させるものになっているとでもいうのか?。
 続編が放映されているのでアレなんだが、未言及キャラの紹介と遊園地のエピソードってのはどんな意図があるのかわかんないな。今までアヴァンにあったポエムがエピローグにまわされており、今回が最終回であることを意識したつくりである事はわかる。どうせ人生とは壮大な暇つぶしだから、せめて楽しくありたいものだという意味での遊園地であるのなら、それはそれで納得がいくのだが、どうもそういうのでもなさそうで、スタッフの意図をつかめない自分がもどかしい。
 但し、遊園地が手作りのものであるというのには、やはり消費社会へのアンチテーゼである本作の意図はよく汲み取れたと思う。リクがなぜ父にデパートの屋上の遊園地などゝいう、どう考えても金持ちの行きそうにないところが思い出の地として設定されていたのかゞよくわかんないのだが。しかし、手作りだと送り手は受け手を見知っているわけであり、壮大さに欠けてもツボを押さえたものに仕上げることもできる。そして何より送り手も受け手と一緒に楽しむことができるんだよな。自分が幼少の頃は、身内の手作りがどう見てもしょぼくれているとしか考えられなくて、大学生ぐらいの時のアウトドアブームに伴う手作り礼讃も、どうも今一ノれなかった。そしてこうしてオッサンになってようやくその大切さに気付くという、なんとも恥ずかしいやら面目ないやら。
 しかし、ニノについてはホント全くといっていゝほど語られなかったな。恋人と言いながら、実質彼女は迷い人であるリクの道を指し示す役柄であって、別に正体がどうであろうと河原でのドタバタには必要性がないといえばない。で、謎めいていながら、じゃぁニノの過去を知りたくてしょうがないというほどでもなくって、まぁいゝじゃんぐらいの意識で視聴できたのは不思議といえば不思議。
 で、河原の住人が何のメタファーなのか?とか、舞台はアジールだとか念頭に置きながら視聴していた初期の頃が懐かしい。今となってはマターリ身の丈にあった自然体の暮らしをするってことで自分の中は大分まとまっている。そう考えると、サビ残・過労死上等でこき使われている日本国の皆様方は、それほど働いているからさぞかしたくさんの財を生産しているはずなんだけど、大抵そういう富は誰かが独占しちゃって、大抵の人間は余裕のない暮らしをしてるんだよな。そう考えると、結構この作品って現代の日本にはかなり受け入れられる要素が多いんじゃないかと思うのである。ホント視聴前に予想していた、電波な人の電波な行動を笑うってのとはいゝ意味で裏切ってくれましたよ。