荒川アンダーザブリッジ×ブリッジ 第11話

 ニノは金魚掬いをマジギメするのかと思っていたのに。
 いやぁ、ベタもベタ。そしてそのベタをネタで使っているのも明らかなんだけど、なんで泣けるんだろってのが今話のポイントだろう。さすがに河原生活をマジでやってるだけあって、そこらへんの気合は他の作品とは違うわな。
 今、山村生活の研究 (1937年)を読んでいて、若衆、娘組のあたりを流し読みしたところぐらい。結婚といったら昔は見合いが多くて、今は自由恋愛の風潮だとか言ってるけど、この本を読むとちょっと傾向が違う。元々人々の移動が少なかった…というか制限されていた時代には、大抵集落内での結婚が多かったらしい。もちろん近親婚などの近いもの同士だと問題があったり、村の有力者は遠方の有力者との婚姻を指向(遠方婚)していたらしいが、そうでない人々の多数は顔見知りと結婚していたということだ。
 子供が成長すると、一旦は親元を離れて若者どうし(男女別)共同生活をする習慣があったらしくて、その集団で大人になる訓練をしたらしい。子供がいつまでも親元で生活すると一人前にならないという考えらしくて、その若者組では先輩に対する礼儀作法だの、仕事のしかたなどが教えられていたらしい。で、そこを出る時が言わば一人前になったという証であり、出るきっかけが結婚して所帯を持つのが条件だったらしい。まぁこの段階で夜這いがどうだのといったことも出てくるのだが、そもそも同じ集落内での男女のこと、大体が知り合いであり、幼馴染だとかそれまでの経緯でカップリングが大体出来ていることが多かったそうである。だからして、当然に周囲の公認もあるわけで、当人同士好き合っているのに、親が反対なんかしていると、周囲のものが親を説得したり、当人同士を結婚させちゃって、既成事実(いや、相手をモノにするために肉体関係を作っちゃうとかそんなのではなくって、単に世帯を持つという意味において)化し、然る後に周囲のものが親に認めさせたりすることがあったらしい。まぁそんな強引な例なんて実は少なくて、それまでの経緯で親も感づいているというか納得づくのことが多かったらしいが。昭和10年頃において既にこのような近隣同士での結婚が廃れて、遠方婚が多くなっていた*1ってのも意外な感じだが、またそれは別のお話。ともかく、昔の民衆の結婚ってのは当人同士の合意が最優先されており、それって(選択肢は限られていたものゝ)実はかなり自由恋愛に近かったというものであるらしい。
 で、この作品なんだが、河川敷の住人達の生活ってのが、限られた土地・人間どうしによる共同生活なのであって、それは昔の村落共同体と奇妙に一致する。で、リク・星・ラストサムライ・シスターは若者組の男衆であり、ニノ・P子・マリアなんかは若者組の女衆である。この若者組の中での伴侶選びってのをやっていて、今組み替えだのといった試行錯誤の段階なんだろう。若者組を出ることはすなわち大人になるということであり、大人になるためには伴侶を見つけなければならない。リクとニノはもう周囲に認知され、後は責任を持った大人になれば若者組をいつ出てもおかしくない段階になっており、星やラストサムライは伴侶を探す段階だった。アマゾネスは外部の村落共同体の成員であって、今遠方婚の可能性が高まったところ。というか、リクとニノが合意しあったカップルなのに、アマゾネスがリクを横取りしようとしていたことは、昔もあったらしく、アマゾネスがリクを奪って結婚が成立(昔は男が嫁を強奪する例が多かったらしいが)すれば、それは略奪婚と呼ばれた。まぁそれもともかく、この河川敷のあり方ってのが昔の村落共同体のありかたと奇妙に一致していたのに妙に感心した。
 で、昔の村落とか言ったら娯楽も刺激も無く陰鬱な感じがするものだが、今話は若者組のテンションの高さもさることながら、元々がたぶんいろんな世界の住人の寄り集まりだからこそマンネリ感も無く、日常を楽しんでいる様子が伝わってくるようだった。シロや村長などのような大人でもなく、鉄人兄弟やステラのような子供でもなく、ターゲット層である青年と同じ年代のキャラのドタバタは無理に背伸びしない爽やかさが滲み出ていたように思う。

*1:若者が村を出て行って、嫁の来手とかゞ少なくなっていたらしい