なんか保育に関して、サーヴィス、サーヴィスと喧しいんだよね。

 以前メモしてペンディングしていた話題。もういいかなと思っていたんだけど、あらためて読むと怒りが沸騰してくる。取り上げたサイトさんには話題提供ありがとうございましたと思うのだが、この話題を提供するだけで、判断をしていないというのは凄く賢いと思った。
 「「保育園を増やせ」はなぜ間違いか?〜政治がなすべき『保育産業革命』〜」(講師:フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏)の文字おこし その1 - 情報の海の漂流者 魚拓1 魚拓2 魚拓3 魚拓4
 自分がこの取り組みに嫌悪感を抱くのは、要するに弱者の味方のフリをした貧困ビジネス展開ってのが透けて見えるからだ。保育園を増やすのが間違いと言っていながら、保育施設は要ると言う。そしてここでの保育園の定義は、いわゆる公立保育園であって、彼らの提供する「おうち保育園」だの、「保育ママ」が素晴らしいですよ、と喧伝する。
 まず、酷い労働環境を挙げ、同情を引くところから話は始まる。

それでは、はじめさせていただきたいなぁと思うんですが、まずは自己紹介からさせてください。私今NPO法人フローレンスというですね、NPOの代表をしております、経営者です。と同時にですね、内閣府の非常勤国家公務員(音飛び)そちらの審議会の事務局の民間のスタッフをさせていただいております。ですので 現場で事業を回しつつも公務員としてですね政策の立案に関わっている立場でおります。私が病児保育というものをはじめた切っ掛けというものを最初にご説明させていただきますと、実は私の母がベビーシッターをしていたことが切っ掛けでした。



私の母は下町出身の(音飛び)突然電話をかけてきてですね、非常に元気無さそうに電話をかけてきたんですね,どうしたの?というように聞いたらですね、実はショックなことがあったのよと(音飛び)お客さん、双子のママなんだけども、その彼女が急に今日で最後にしてください、ということを言い出したと言うんですね。(音飛び)あなたはこの双子の子供のたちの親代わりになってくれていて本当に心から感謝している、そうじゃなくて私が会社をクビになってしまったので、もうシッターさんを頼む必要がなくっちゃっただけなんですよ、というふうにその方は言われたんですね。



うちの母は理由を聞きました。なんであなたみたいないい人が?

そしたらですねその方はこう言われたんですね。

実はこの前この子たちが熱を出しましてね。私が行かせている保育園は37度五分までしかあずかってくれません。ですから私が会社を休んでこの子たちを看病するしかありませんでした。双子だからお互いに移しあってしまって割と長い間会社を休まざるを得ませんでした。そしたら会社が激怒して私は事実上解雇という形になってしまったんですよ

ということをその方が言われたんですね。



その話を私は聞きましてですね、ひじょうに不思議な気分になりました。というのも、お子さんが熱を出す、というのは当たり前の話ですし、親が看病してあげるというのも親として当たり前の話です。しかし当たり前のことをして職を失ってしまう(音飛び)そういった社会に住んでいたのか、ということをその時はじめて知りました。



それが一つのを切っ掛けになりまして、私は前職はITベンチャーを経営していたのですが、それを共同経営者に譲ってですね、いちフリーターになり、このNPOの起ち上げというものを行って来ました。NPOの活動を通じて、この病児保育問題を解決できないかな、ということから発進していったわけなんですね。

私どもは考えました、自治体から直接保育ママっていうのは現実的じゃないんじゃないか、なぜならば自治体にはマネージメントなんてできやしない。その人の環境を細かくマネージメントしていって話を聞いて、うんぬんかんぬんなんて、なかなかできないし、かつその人が例えばやめちゃったらサービス終了というような形だと、不安定になる。そうじゃなくてそこに事業者をかませて、事業者に対して委託する。で事業者が保育ママを複数人雇用して、一人が例えば休んでしまっても、あるいは辞めてしまっても。すぐに代替要員を出せるというような形にする方が(音飛び)安定すると思ったんですね。



ですから自治体から直接個人に委託ではなく事業者をかませて、事業者委託にしましょう、そして保育者は一人じゃなくて、複数人にしましょうねと、場所はその人の家じゃなくてもいいじゃないですかと、イギリスやフランスのようにマンションを借りて、あるいは空き家を使っていいじゃないですかと、中には送迎だって付けていいじゃないですか、いうような制度というものを考えてみたわけです。

 あぁ、企業から直接雇用するんじゃなくって、派遣業者をかませて、労働者を搾取したあの構造と一緒ね。

私は保育産業というものをきっちり創っていくべきである、というふうな持論を持っております。

どういうことかといいますと……みなさんの中でちょっとご存知の方いらっしゃるかもしれないので、手を上げてください。保育園ってそもそも何のために作られたかご存じの方いらっしゃいますか? 保育園はどの様な用途で最初作られたか。保育園でしょ、といわれるかもしれませんが、さにあらず。実はそもそも保育園というのは元々はですね第二次大戦、太平洋戦争ですね、お父さんが出征して、そして亡くなられた家庭というのが相次いだわけですよね。そうした時にですね、シングルマザーが非常に増えました。そのシングルマザーの方々は働かなくてはいけません。食べていくためには。でその時に子どもはどうするのっていうとですね、あずかってくれる場所がなかなか無いわけですね、焼け野原なんで。そうした戦争未亡人の子どもをあずかるよと、いうために作ろうということではじまったのがこの、保育園という制度なんですね。ですからその時の条件にある保育に欠けるという条件がありまして、それはこのお話の名残になるわけですですね。保育に欠けるという日本語が今でも引き継がれていますけれども、こちらはそうした文脈において条件として出されたものなんです。こうした施設ですので完全に福祉の領域になるのですね。



しかしですね、皆さんも御存知のとおり今では共働き世帯というのが当たり前のものになりました。かつてはですね、専業主婦・サラリーマンという様な家族構成が最も、高度経済成長を支えるには合理的だったので、国も称揚されてその割合というものが非常に高かったのですが、どんどんどんどん減っていき、今は共働きのカップルというのが支配的になってきています。その分岐点はどこかといいますと、96年です。96年に専業主婦世帯を逆転し、共働き世帯が増えていきました。そしてこれは増え続ける傾向にあります。

先進各国でもそうです。特に例えばフランスであるとかはですね、80%近くが共働き世帯になりますので、共働きがほとんど当たり前だということになるわけですね。



さてそうなると保育園というのはどういう施設になるかというと、福祉ではなく当たり前の社会サービスというふうになっていくわけですね。サービスになるわけです。当たり前の社会サービスになっているわけですけれども供給構造自体はですね、昔の福祉のままなのですね。供給体制は未だに配給制と言っても過言ではない体制です。

というところなんですけども、待機児童問題の本質は保育社会主義というものにある、と言っても過言ではありません。

さてじゃあどうしたらいいのか、というところからですね、私の考えを披瀝させていただきたいと思うんですが、やはり需要をきちんと織り込んだ供給を作るためには、市場というものを使うべきだと思います。資源の最適配分装置としての市場というものを使うべきだと思っております。そうするとですね市場化すると需要のあるところに保育所というものが集まって、需要のないところから撤退していきますので、ある意味受給マッチングというのは適切にされていくわけです。



しかし市場というのは便利である一方、万能ではありません。なぜかといいますと、市場化するとですね、効率的ではあるのですが、でもお金が無い人というのはなかなか使えなくなってしまうわけですね。例えば私費だけの保険の効かないお医者さんが日本全国になったらと考えていただければいいかと思うんですけれども、基本的に公共サービスあるいは人の命が関わるとか、あるいは福祉に関わることというのは、全て市場化すると非人間性が高まるということで、なかなかできないというふうになってしまうわけですね。



じゃあどうしたらいいんだというところでとられる方法がこちらが準市場というような考え方です。英語でいうと、クアジマーケット(quasi-market)というような言い方をしますが、準市場というものが社会保障の分野では提唱されています。これは社会主義とある種市場の合いの子といってもいいかもしれません。



どういうことかといいますと、準市場というのは公的資金、我々の税金というものを投入された市場でございます。利用者は直接契約を行いますが全額負担するのではなくて、(音飛び)みんなが(音飛び)助けるというような仕組みになっているので負担もまぁぼちぼちのところに抑えられるというような仕組みですね。



これはどこかで皆さん見覚えがありますよね。そうです、医療保険市場ですよね。あるいは介護保険市場です。

 これって市場原理主義のクセに、税金まで投入するという、いわば市場原理主義よりもっとタチの悪いものじゃねぇかと。
 で、割とこういうのは考え方として悪くはないんだけど、リクルート?、ユダヤ企業のJPモルガン、ロイター?。

対企業向けにもですね、法人契約というものをしておりまして、つまり、法人がお金を払う、企業がお金を払って従業員を助けてください、という様な仕組みというのも、やっております。

例えば、株式会社リクルートさんだとかあるいはJPモルガンさん、あるいはロイター通信さん、そういった企業さんが、企業がお金を払って、そして従業員の、ある種の両立、助ける。そうした形でですね、一緒にやらせていただいております。

こんな様な形(音飛び)、家庭においてですね、厚労省のかたが視察に来ていただいて、それでですね、このモデルはいいねということで、2005年からですね、厚労省の方が政策化しました。施設を持たない病児保育というモデルを全国に広げていくという、緊急サポートネットワーク事業という名前で全国に病児保育モデルというのを広げていただいております。今もですね、ファミサポに組み込む形でですね、全国で施設を持たない病児保育というのが、各自治体でやられております。

我々が下町ではじめたモデルというのが今や全国で広がっている、というようなことをしております。



同時に、月々6000円払えないような世帯の方々もいらっしゃいます。特にひとり親の方々というのは非常に経済的に厳しい。こうした方々にはですね、月々1000円払っていただければ完璧に病児保育を提供しますよ、というな格安パックというものを提供しております。

もちろん赤字ですので、そこの部分に関しては寄付で埋めております。月々1050円払ってくださる寄付会員の方が8人いてくだされば、一人のひとり親世帯をサポートできますという、(音飛び)様な形というのを提供しております。

こうしたですね、寄付やあるいは事業を組み合わせながら、すべての世帯に感動と安心の病児保育というものを提供していくという様な事業をしております。それが病児保育事業ですね。



とはいうものの、子どもが熱を出したときに預かるということをしていてもですね、モグラたたきみたいなもので終わらない、本来だったら、子どもが熱を出したときに会社が「いいよいいよ休んで」というふうに言ってくれるというのが無ければいけないと思いまして、会社の働き方を変えてですね、両立しやすい職場にしていこうね、という様なコンサルティングや研修とっていうものもしております、名付けて働き方革命事業というのですけれども、こちらをしております。



同時にですね企業の就業規則を変えてもですね、やはり人々の意識や文化、価値観といったものが真に変わっていかなくてはですね両立というのは難しい。ですので伝える変える事業という名前で沢山のメディアに出まくって病児保育という問題を皆さんに知っていただく、あるいはワークライフバランスという言葉を皆さんに知っていただく、で、働き方を変えようというメッセージを伝えていく。そういった活動を通してですね、みなさんのハートを少しだけ変えてもらって、そして行動を変えてもらう。

皆さんの行動が変われば社会が変わるっていく、というふうに信じてですね、いろんなメディアでいろんな風にうったえさせていただいておりますし、この勉強会もある種の伝える変える事業の一環でございます。



このような事業を通じてですね、子育てと仕事、そして自己実現(音飛び)子育てと仕事の両立なんて当たり前ですというような社会というものを作っていきたいなと思っております。ちょっと長い自己紹介だったんですけれどもこのような事業をしております。現場で社会の過大を解決するような事業というものをまさにやっておるんですけれども、実は昨今私病児保育問題に加えて、待機児童問題を解決する事業というものを始めました。

 子育てと仕事の両立をすべき?。え?。仕事をするのは強制なの?。子育てだけってのは悪なの?。
 うーん、切り出し方に問題があるのかもしれないが、安く保育ができますよって甘言に騙される人もいるんだろうなと思うと嘆かわしく思う。いわゆる子鼠時代のB層向け扇動だよな。
 さて、そもそもこんな言説がなんでちゃんちゃらおかしいのか?を考えてみたい。自分が子供の頃やそれ以前の伝聞を思い出したりすると、自分は幼稚園だけにしか行ってなかったし、近所にも保育園に行く子はほとんどいなかったように思う。まず保育園は昔はどうだったのかというと、(pdf注意
 第3章 保育政策の歴史的展開と現在の保育制度 魚拓
 第1節 戦前の学校・園の連携 魚拓
 戦間期日本における保育要求の大衆化と国民的保育運動の成立 魚拓
 資料11 学童保育数と国の補助金の推移 魚拓
 とある。保育児童数がなかなか調べにくかったのだが、1922年で5018、1926年で20768、1933年で55968、1940年で114050、1941年で146683となっている。最近のは調べやすいのだが、
 第2−3−3表 保育所数、定員及び入所児童数の推移 魚拓
 1980年で約200万、1994年で160万弱になった後、
 厚生労働省:保育所の状況(平成20年4月1日)等について 魚拓
 あとはほぼ一貫して増加し、200万を超えるようになっている。
 リンク先にもあるが、もともとは子どもの仕事が子守だった頃の名残があり、明治の黎明期には学校で面倒を見るってことになっていたようだ。すなわち、子守りを任された子供が、学校に幼子を預けるってシステム。そして工場労働者が増えてくると、企業が保育を担当するって流れになってる。
 しかし、戦前だと10万だの20万だのってのが戦後になって10倍になっているから、もうちょっと調査の余地はあるが、どう考えても経済成長期に著しく増加したって考えるのが妥当だと思う。
 数についてうだうだ述べたが、問題点は2つあると考えている。そのうちの一つが、大げさに言えば地域コミュニティや家族の崩壊ってところ。そしてもう一つが内部経済の外部化だ。昔は子供なんて地域で育てたり、近所で預かったり預けられたりなど、コミュニティが子育ての役割を果たしていた。また大家族であれば爺婆・兄弟姉妹などが子育てを担当、または、核家族でも育児書を頼りに若い父母が育てたり、専業主婦が担当するってことになっていたと思う。核家族でも近所の公園で若い主婦のコミュニティができていればそのなかで情報交換をしあうこともあったろう。が、それは徹底的に破壊された。後者については言うまでもない。専業主婦が男女雇用機会均等法のあたりから、労働市場に駆り出され、やりがいだとか、自分の子供を保育園に入れるカネを稼ぐために働きに出るといった、まさに本末転倒な事態が起こったのがここ20年ほどの流れだ。そして女性が労働市場に流れることによって、労働供給が増え、低賃金・重労働化したのも既知のとおり。まさに自分で自分の首を絞める行動だったわけだ。
 冒頭の引用あたりはいかにもお涙頂戴モノなのだが、よくよく考えてみればおかしいことに気付く。もともと企業は女性に働いてもらうために育児施設を併設したりしていたわけなんだが、そういうことを指摘しないで、「育児のために解雇されるのは酷いことだが、解雇されるのは時代的にあたりまえ」って前提になってる。だから保育サーヴィスを充実すべきって論が展開されているのだが、これっておかしくないか?。
 そして忘れてはならないのが、女性が働きに出ずに子育てをするって事が、この話だと避けるべきって前提になってる。共働きあたりまえ、子供に対して両親が直接手をかけるより、保育サーヴィスに任せたほうが断然いいってイメージになってる。もちろん、今の時代上記に述べたとおり、家族が崩壊し、個人としても育児能力が低下して、DVだの育児放棄だのが問題になるほどなんで、保育サーヴィスに任せたほうが子供の安全にとってはいいってことも考えられる。保育サーヴィスに任せたから、親の育児能力が低いまゝってわけじゃなくて、むしろ保育関係者から助言を受けることにより、能力がアップするってこともあるんだが、やっぱ問題はサーヴィス意識なんだよな。保育の段階ですら、理不尽な要求をする親が問題になっているのだが、長じて小中学、高校、大学、果てには就職したあとですら子供のことについて親が理不尽な口を挟むって状況になってて、親があまり育児で苦労しないで、すべてにおいて他人任せにするって状況が教育・医療に関しての惨状を招いていたりするんだが、これはどうするんだろうか?。
 問題の解決ってわけでもないんだろうけど、自分はこういう流れは百害あって一利なしと見る。問題は親が子供に直接手をかける環境を整えること、そして一番大きいのが労働環境の改善だ。保育サーヴィスが充実しているから、両親とも企業に低賃金でこき使われるのはあたりまえってのは、ますます労働環境が悪化するのを促進するだけだ。そりゃ国民を奴隷のごとくこき使う企業の味方であり、薬の許認可権をふりかざし国民を実験台にして甘い汁を啜る厚生省が賛成するはずだよ。何度でも言うが、こういう取り組みは貧乏人の味方のフリをして、その実貧乏人から根こそぎ奪うものでしかない。