アタックNo.1 第68話 つづき

 ちょっと風呂に入っていた。ヨーグルトでも食べるかとパソコンデスクの角に置いたら落ちて悲惨なことに。片づけが手間取ったよ。しかも絨毯の上でキレイにならない。
 さて、最後の方の三原との会話が気になっていた。こずえは周囲から目標になっていて、腑抜けた様子だと気になって仕方が無いというもの。文字通りこずえはアイドル=偶像になっているわけだ。日本も高度経済成長が一段落つき、で、結構高度経済成長期というのはサラリーマンにとっては結構キツい時代でもあったということは繰り返し述べていることではあるが、そうは言っても餓鬼世代にとって見れば、モノが満ち溢れたり、便利になったりする様子を目の当たりにしているわけで、やはりあの時代は夢があった、イケイケの時代でもあったのだ。親世代は戦前戦中終戦直後の辛い時代も経験しているわけで、ある意味節度と成長のバランスが取れていた時代。
 で、こずえはそういう成長期の社会では模範的な姿を示しているわけだ。こずえを目標にがんばれば明るい未来が得られるという。当然こずえの姿に自分を投射し、かくありたいと思った女の子は多かったハズだ。ドカベンが流行って野球ブームになり、キャプ翼が流行ってサッカーブームになってJリーグというお祭り騒ぎにまですらなり、スラムダンクでバスケブームになる。それだけでなく、それらの漫画が終了すると途端にブームが去り、サッカーが流行れば野球は廃れ、バスケ*1が流行ればサッカーは下火になりと、結構漫画の影響と言うのはバカにならない。この作品だって'80年代にヨーロッパで放映され、影響を受けてバレー選手になった人までいるというのは以前も述べた話だ。当然スタッフもこずえをあるべき女の子の姿の一つとして描いたでもあろう。
 で、このポジションの作品が現代のアニメにあるかといえば、微妙に無い。いや、無いというわけではなく、例えばしゅごキャラ!*2なんかもその一つではあろうかと思う。でもターゲット層は明らかに小学生までであって、この作品のように(仮に口ではバカにしていても)高校生まで視聴できる作品は見当たらない。ゴールデンタイムにこのタイプのアニメがなくなっちゃっている。
 確かに時代の変化からすると、モノが溢れて価値観の多様化ということが当たり前になって語られもせず、この時代の善意・モラルはともすれば他人に悪用されてしまうようになってしまったわけで、今一度こういう作品を開陳したところで低視聴率で打ち切られるのがオチ。でも、いくら社会が変化したからといって、やはりモデルになる像を提示できないでいると、餓鬼どもは純粋に彼らの欲望に従ってしまっているんじゃないだろうかとふと思うのである。どんくさくはあっても、でもこういう人がいたらいいよね、こういう人でありたいと思うよねというアイドルが必要とされているんじゃなかろうか?。

*1:バスケブームは案外短かったが

*2:魔法少女モノなんかは他人のために力を尽くす女の子が描かれ、視聴者の成長を促すという意味では一くくりにできそうなんだが、都合が悪いことに、魔法という記号的にはキャラクターの想いを視覚化したものでありながら、本質的に外部の力に頼るという構造になっちゃっている。要するに考え方の方向性は間違ってはいないんだが、問題解決に当たっては他力本願というダメな構造。