出かけてきた

 今日は珍しく昼前にお出かけ。で今帰宅。9:00ごろに出ようかと思い、実際には11:00頃になってしまうのはご愛嬌。出先での目的は30分もかゝらずに終わったのだけども、同じ会場でやってたほかのイベントのほうが面白くて2時間ぐらいは見てた。そのおかげか帰宅は夕方になるつもりが今頃に。
 しかし自家用車で出かけたんだが、祭りの時期というのは差し引くにせよ、やっぱトロトロのろい車がストレスになるわなぁ。50?制限のところを別になんのカーブでもない真っ直ぐな直線でも40?ぐらいで走るのがちょこちょこいるので、別に先を急ぐわけでもないんだけどイライラさせられる。大抵50〜60ぐらいのじじぃが多い。今日は子連れのヤンママらしきのにもイライラさせられた。他にも子連れの母親なんてたくさんいるんで、そういう層を叩くわけにもいかないんだが、やっぱりというか、車の中でガキに好きにさせている。後ろから観察していると、走行中ガキが座席で立ったりするので、そのたびに速度が落ちる。アホかと。
 そうそう、やっぱり老齢化社会の先行きの暗さはこういうところなんだろうかと思う。都市部ではまだ公共交通機関が発達しているので、判断力を必要とする公道で他人に迷惑をかける老人の割合は少ないかもしれない。老人といっても今日観察してみると、白髪だのしわが多いだのといういかにもよぼよぼの老人というよりは、もうちょっと若めの層が小型車だの軽トラだのでトロトロしていたので、やっぱり団塊かと思う。対向車を見ていると、老人のうち、70代ぐらいの人でもちゃんと流れに乗って迷惑をかけずに運転しているので、やっぱ団塊の問題なんかなと思う。
 そういえば最近中年という言葉を聞かなくなったと言っていたが、それと同時に“熟年”という言葉も聞かなくなっている。実はぼんやり「お笑いな流行語があって最近聞かなくなっているが、アレなんだったかなぁ」と思っていたのだが、今日のお出かけで思い出した。
 たしか中年の段階を脱した層になにがあてはまるか?で、無理やり公募かなんかで考え出されたモノだったと思う。“老”の字が入る初老や老人では活力がないんで、それに代わるものを何か?といった感じだったように思う。Wikiなんかだと、まさに50代を表す言葉のようであるが、実際には定年を間近に控えた層に定年後の生活設計をさせて、やれ旅行だの第二の人生だなどとおだてあげて金を毟り取る経済界の運動に体よく利用されただけという結果になっていたと思う。しかもその目的は達成されないまゝ終わったように思うが。
 しかしこの熟年は60歳定年制から年齢をさらに引き上げるという目的も兼ねていたらしく、その結果が今の惨状である。だいたい日本の高度技術を担ってきた技術者がほとんど居残らず、逆に経営の仕方がわからなくて威張っているだけの害毒が居残って日本を食い散らかしているわな。こんなことになるんだったらいっそのこと全員60で定年といっていたほうがはるかに良かった。