第10話「サドン・デス」その2

 今日は「メッセージの山場」についていろいろ考えてみます。一つお断りしておかなくてはならないのは、今から述べることは数ある可能性のうちの一つであり、私の主張というよりは「こういうふうにも考えられはしないか」というネタ的なものであることです。もちろん書き散らかすからには自分自身もそう思ってしまっている部分は大きいです。このサイトが私の考えの経過を書き記すものでありますから、そういう考えをもったこともあったという記録をネタ帖に書いておくのも悪くないかなという程度で。
 まず機関長の死ですが、これはアニメ版スタオペの視聴者に「安直に人の死を描いていますよ」ということを確信犯的に伝えているものと考えてみました。構成作家・脚本にたいする非難が集中しておりますが、プロとして金を取って仕事をしているということは、プロになる過程で実力を認知されている可能性がかなり高く、脚本家の能力のなさをあげつらうことのほうが安直であるような気がします。もちろんこの脚本が今一な可能性も脚本家の能力が足りない可能性もまったく否定できはしません。しかし作家を志望している人間はゴマンとおり、日の目を見ない人も構成力・語彙力など大抵の人間は太刀打ちできないほどの能力をもっています。ましてや脚本・監督は大きな仕事を任されているわけですし。なんかごたくが長いのですが、言いたいことは一つ、「安直に機関長を殺していることは当の本人はわかってやっていることだろう。」ということです。だからむしろ、視聴者に安直なストーリーと思わせることのほうが主目的である可能性は大きいのです。
 スタッフがこの作品にこめたメッセージのうち、私が挙げたものの中に「民主主義のあり方」がありました。それが今のアマテラスでは有効に働いていないということをこの話で明らかにしたと見るべきでしょう。初めから振り返ってみます。乗組員が自分の意志でアマテラスに残ったと思っていたら、実はキスカ達の煽動にのせられただけだった。そのキスカ達にしたってシメイに踊らされていただけだった。そのシメイにしたって見通しの甘い推測に従ったものだった。状況は改善されるどころか死人が出て行き詰まった。そしてこれからのアマテラスの進路についてシメイもしくはキスカ達が見通しを持っているわけでもなく、提案すら考えつかない。乗組員にしたって話し合って進路を決めるわけでなくその日暮らしに近い状態である。若さゆえの勢いと狭視さにあきれ果て、間宮元総理があらゆる可能性を試して解決を図る。という経緯になっています。戦闘時に発揮されている協力態勢はアマテラスの取るべき道について見られなくなっています。直近の戦いではパートナーとの協力戦術もとれませんでした。物語の推移からするとアマテラスの民主主義はぼろぼろで見る影もありません。そこで機関長の描写なわけです。よくよく考えてみれば首尾よく襲撃犯を捉えたところで自分に都合の良い情報が得られるとも限りません。こちらが有効な打撃を与えてもいないのに安全に撤退を図る敵に対して勢いだけで突っ走っています。「今俺ができることをしないとな」とぱっと見ではかっこがいいですが、人一人捕まえたところで大勢に大きな変化はないのに安直なヒロイズムに陥ってしまっています。まずは艦や少ない乗組員の安全を図るべきなのに、周囲も機関長を止めることができません。(他のサイトでは乗組員が上陸するのに艦橋要員がすべて出払っていると指摘していたところもありました。ごもっとも。)帰艦している乗組員も機関長が危ない状況にあるのに(状況を判断でき、艦と通信して命令できる状況下にあるのに)、艦長以下誰も機関長を戻せと言いません。シノンですらおびえるばかりで傍観してしまっています。もう組織として最低の状況に陥っているわけです。
 このことは今の日本社会にも通じるところがあります。成果主義が代表例でしょう。長期的な視野を捨て、どん詰まりになった企業。事態を改善するために成果主義を取り入れてみますが、そもそも人一人のがんばりでどうにかなるものなら別に成果主義にしなくったって今までのやり方でもなんとかなっているはず。そもそも成果主義という名の賃金カットが主目的で、かりに成果をあげたところでほんの少し見返りがあるだけで、成果に見合ったリターンが還ってくることもない。企業としては競わせあって安く人をこき使うつもりが、当の雇われ人は見せかけの成果が評価されることを学習し、人を蹴落としてその結果生じた落差でよいポジションを得ようとする。成果が評価されやすいところに人が集中し、評価されにくいが重要な仕事は嫌われ、評価されないがゆえに手を抜かれた結果企業の体力が落ちる。という負のスパイラルが完成しているわけです。
 人生の生きがいが出来て頭がのぼせ上がった機関長が、実際にはそんなに益がないのにうまくいけば見てくれがいい仕事に目がくらんで突っ走りました。アマテラスはスターシップ・チャンネル支配下にあるわけですから、王国側のずるさ・横暴さを暴くことはスクープになるわけですからねぇ。(ということは、そもそもアマテラスは長期的な視野を持つことなく、スターシップ・チャンネルの望むまま見てくれだけの仕事をいままでずっとやってしまってたわけです。)もちろん捕まえることでアマテラスの立場が少しは良くなりはするのでしょうけど。企業では部下を使い捨てにして自分のポイントにしようとする管理職の使う技なのですが、機関長は自分からいっちゃってます。さて無謀だとわかっていても、みんな危険だと思っていても誰も止めなかったわけです。指導的な立場にある人はもちろん、身近な友人・恋人ですらも。機関長は期待感だけ先行し、その他の乗組員は呆然と立ち尽くすだけで自分たちをコントロールする力を失ってしまっています。
 一日置いて冷静(かどうかはわかりませんが)に考えてみると、むしろこのようなダメな状況を描くことが本当の目的だったのではないかと思えます。これから自分たちを捉えかえす場面があるかもしれないし、ないかもしれないのですが、状況が行き詰まったまま、絶望的な情勢の中死に物狂いで戦わねばならなくなりました。後3話なので、上昇する前の最底辺の描写としてはこんなもんではないでしょうか。