第10話「サドン・デス」

 間宮元総理の描写から。政治的な解決法は前途真っ暗なアマテラスの切り札だと思うので、仕込みの中途段階なのでしょう。王国側が内紛に近い争いを見せているのに対し、アマテラス側は全員が一致して事にあたっているという対比を見せています。目標の達成のためにはどんな手段でも使うというのが間宮元総理の持論ですが、アマテラス側が窮しているので破れかぶれっぽい印象はぬぐえません。しかし若者たちが今まで“目的の達成のためには戦うしかない”という盲目性を示していたのとは対照的になってます。現場でも王国は数ある手段の一つとして“外交上の布石”とやらを打ってきていますが、それに対するアマテラスの対応も“パワーローダーでの無謀な深追い”という一本道的な対応でさらに困った状況になりました。昔からある若者と大人の対応の違いってところであまり風刺は感じられません。普通の描写かな。まぁ、棍棒を振り回すだけが戦いではないといったところでしょうか。
 さて概観として上記に「物語の最終転換点」と「メッセージの山場」の2つを挙げましたが、そのうちの前者について。今までシノンにおけるアマテラス残留の意味付けがあまりなされていないのが問題でしたが、今回のであまり必要がなくなったように思います。シノンにとってはアマテラスに残らなくてもたぶん引く手あまただったろうにということでした。前回の戦いで親友であったレンナを失い、今回の戦いで恋人であった機関長を失いで立て続けに自分にとってかけがえのない人を失ったわけです。もちろん意気消沈して戦意を喪失し下艦することも可能性としてあります。加瀬タイシもそれを勧めているわけです。ディータは裏側を知ってしまったゆえの義憤、リオは責任感で残るにしても、シノンは降りてもおかしくはないような気はします。ただ自然に考えると、怒りや仕返しといったことでもいいですし、王国に対する怒りで戦いを続行するというのが流れとして適当なんではないでしょうか。
 物語の流れとしては初めに煽動・ノリ・サンリの告白で残留が描かれており、いくらなんでもそれはないだろう的な批判が成り立ちました。さすがにここまで来て王国の強引さ・汚さ・仲間の犠牲と見てきましたので十分王国に対して反旗を翻すだけの材料が乗組員の心の中に用意されたと思います。本当なら王国側になびいたところで搾取されるだけだという描写があったほうがさらにいいのでしょうけど。王国の強引さを戦いの現場で見せているので統治も似たようなもんだろうと推測させるのも尺が短いのでしょうがない部分はあると思います。とにかく、シノンも含め乗組員全員が王国に一矢報いるという形での意志の一致を見たという物語の一つの区切りがここで完成されたのではないかと私は考えます。
 うーん。でもたいした理由もなくノリで戦争に参加し、痛い目にあってようやく真剣に戦争について考えてみるといったようないかにもおツムが足りないような感じを受けてしまいます。そもそも最初のころのアマテラスの本来の目的ってなんだったんだろう?シメイも王国の強大さをわかっていただろうに、連合が来るかもしれないと本当に楽観視していたんだろうか。煽動した乗組員にせよ、シメイのことを本当に信じていたんだろうか。その他の乗組員にせよ、戦争になったら自分が死ぬ可能性について考えるだろうに本当に戦いつづけて未来が開けるとでも思っていたんだろうか。まじめに30分も考えれば判りそうなことなのに、本当にノリばっかりで考えることすらしていなかったんだろうか。きょうび小学生でも未来の職業に公務員を上位に挙げたりするのに、アマテラスに残るより降りていいトコに就職するほうが堅実なのはわかるだろう。今の若者が勉強しないといってもここまでバカではないような気はする。別にくさしているわけではなくて、「目先の利益が上がるからノリでシステムを変えてみた」、「目先が楽しいほうがいいから社会が壊れるとも知らずに感情でものを言ってみた」結果、しっぺ返しを受けて社会全体がしんどい目に遭って「世の中のあり方を真剣に考えてみるときが来たんじゃない」という現状にも合っているような気はするので。ねぇ?