司書#20

 うーん、マインばっかりトラブルに遭うのでルッツにも遭わせてみようかみたいな感じなのか。話の構成上こういう要素を入れなくちゃというのはわかるんだが、中世の仕事観ってこんなもんだったのだろうか?とかちょっと訝しがりながら視聴してた。
 どれに最初言及したら良いのか迷うが、まず養子なんだけども、コレ、受けるのいい話でしかなくってなんで断るのかよくわかんない。ルッツの年齢は低そうだが、日本で言えば若者宿のように一旦成人(数えで15)すると親元から離れて自活する風習結構あったし、若者宿を抜けるときは嫁を貰って独立するときだったから、親との関係性そんなにウェットだったか?と思う。今ドキのように親権がなければ自由に会うことも出来ないってこともないんで、今生の別れみたいな感じになることもなかったし、なにより養子縁組すれば遺産相続権が発生するので、特にこのような商売に根ざしたものなら*1はっきりいって事業全体を相続するってことになるわけで親なら狂喜乱舞しておかしくないレベル。日本だと奉公に出れば藪入り以外は親に会うことがないのが普通だったし、この物語世界でも仕事と成長のイニシエーションは一体化してたので、勝手にしろというのが不器用ながら認めてたという言い分自体がオカシイというか、そんなの見習いになった時点でそういう発想が浮かんでくる余地がない。
 なので、こういう話はやはり近代以降の考え方なのであって、人が家業を継ぐなりどこかに奉公に行くなりするのが当たり前であった時代は、それ以外の選択肢がないのだから「自己選択権を発揮したんだからそのことに対して責任を持て」という考えもないはずであって、ルッツが当時なかったはずの職業の自由選択権を発揮したというイレギュラーであったとはいえ、父親がそれに戸惑うのだったら分かるが、自己選択権を認めた上で、子供に責任という自覚を持たせるために敢えて反対しているかのような態度を取るってことが有りうるだろうかという。ある意味王様や貴族が平民の娘を見初めて嫁なり妾なりに召し上げるのと構造的には変わらないんで、それは受け入れざるを得ない運命なのであって、親の判断がどうのといった範疇なんだろうかという感じ。
 マインがあの世界にプロテスタンティズムを持ち込んだという描写は前期になされていたから、ある程度ルッツの家族が近代的価値観に親和性が高いとはいえ、そのへんどうなんかなといったところ。神官長が(成人してない)子供は人ではないといっていたから、あの世界やはり前近代なのであってマインの持ち込んだプロテスタンティズムが早々当たり前に浸透していたというのも無理がある話で、しかも近代はプロテスタンティズムの後に来ると考えるのが普通だから、ちょっと出来すぎという感じではある。
 ただ、こう庶民の間ではいちおうマインが近代的価値観を持ち込んで、それなりに変化していたということを受け入れるならば、神官長があの裁定の場でそれを目の当たりにした、つまり神官長は近代的価値観のありかたをマインだけから受け取っていたのを、平民もそうであるというのを目の当たりにしていろいろ考えるところがあった…という描写のようにも思われたので、この話の社会構造面でのメインはそっちだったんだろうなと考えるしかない。
 しかしアレだな、この物語世界では裁判を宗教関係者が執り行っていたというのがオモロイ感じ。まぁ政教でいうところの教会だとか寺院だとかは政よりより庶民に近くて、トラブルシュートも請け負っていたのは歴史的にも間違いないんだけど、やはり正式な裁定機関としては政の部分が請け負っていたと考えるべきで、とはいえ、この物語、貴族がいるという設定ながら、宗教施設に放逐された貴族だけしか描いていないんで、政治を受け持つ統治側がそういや一切描かれてないんだよな。そういや契約に魔法が仕込まれていて不正ができないって設定もあったっけ。
 なんというか、日本のことを振り返ってみたら、二・二六事件発生の時代背景としてあった、貧乏だから貧しい農家は娘を売りに出したという昭和初期まで、こう割と親が子供をあっさり売るということがあったわけで、それまで食えない子供は奉公に出すのが当たり前だったとは思うんだが、その様子を知ってるひと、おそらく昭和あたりで途切れたとは思うんで、今更昔の奉公がどうだったというツッコみをする人とかいないだろう。というかその実態を知らない人、昔は厳しかったと言われてもポカーンだろうし、今も昔も親が子供を思う気持ちは変わらないというファンタジーを得てして人は信じがちなんで、わざわざ厳密に中世の親はこんな感じだったというのを史料をもとに再現して見せてもエンタメではあんまり益がないわな。というか結婚も子作りも昔と比べて一層自己選択権の範疇に入ってきてるのに、それに反してなのかそれゆえなのか、やれDVが深刻化しているようなんで、これまた現代の家族観も揺れ動いてきてる時代だとは思うんだが。

はめふら#6

 新カットばかりなのにまるで総集編を見てるかのような構成。おそらく攻略対象の五人との関係性の振り返り*2をしてたせいだからだと思うが、前世のシーンも開陳してきたし、いちおう今後の展開のきっかけもやってる。
 カタリナもこう前世の主人公に乗っ取られた割には貴族としての振る舞いが板についており、これ、母親自身のセリフに母親も変わることができたとあるように、母親がこう人間としてカタリナに己の見栄抜きで接しているのとか、フツーの家族を見ているようで微笑ましい。
 今の所そういう意図はあんまり感じられないのだが、カタリナに理想のリーダーの姿を重ねているんかなとふと思った。彼女が理想のマダムなのでは?というのは割と容易に考えられるのだが、そこからもう一捻りしてるのかなと。世界観からして少女向けロマンス小説が底本だろうし、そのへんあんまり中世との一致は考えなくてもよいのだろうけど、昔の貴族って別に当主が細かな数字を把握して利害調整してたわけでなく、こういう人間関係の構築が主な役割で、権益のやり取りの実務は家付きの吏僚(王室なら官僚)がやってたのだろうし、当主としては誰と手を結ぶのが得策なのか、それこそ裏表の損得勘定を考慮に入れてサロン活動やってたろう。そのへんWin-Win関係になるよう、忖度袖の下の世界なのであって、そのへんクラエス家は皇太子*3の婚約者であって位人臣を極めているだけでなく、カタリナは皇子たちの調停役として機能しており、能力の高い大臣の息子とも懇意なわけでもう盤石の体制。アニメでそう描写していないからつい油断してしまうのだけども、今までの実績というか状況からすると、もうカタリナが外を歩けばそれこそモーゼが紅海を割ったように人が通り道を作るぐらいの勢いになってるはずで、ある意味ミスリードのようなもんなんだけど、まぁそうやっちゃうとカタリナの奔放な振る舞いが制限されちゃうからねぇ。
 ま、そんなわけで、カタリナ、これだけの人間関係を構築してしまえば、王妃になった暁には自分のやらせたいことはちょっとほのめかすだけで周囲が察して動いてくれるし、それだけの実績を今積んでるってことになる。政治とはまぁいうなればそのようになるまでに人間関係をどう築くかってところのほうが重要で、しかもカタリナ、別に大義名分だとか宗教だとかそういう建前の部分でなく、相手の心情に寄り添った付き合いをしているわけで、これ、洋の東西、老若男女を問わず「士は己を知る者の為に死す」なのであって、自分そのへんを考えてカタリナに理想のリーダー像が仮託されてるのでは?とふと思ってしまったというか。

*1:ベンノのあの熱の入れようが本当ならば

*2:友達関係の女キャラもやってたが、なぜかマリアはスルー気味

*3:第三王子だが

リスナーズ#4#5#6

 ガリバー旅行記というよりはわらしべ長者という構造だった。でもまぁ少年が旅に出て見聞を広め成長していくってところではオーソドックスな成長モノ。敵とされているものとの共存って視点も出てきたし、まだいろんな可能性を示している段階?。
 しかし、この物語の世界、いちおう合衆国らしさを出してきており、こう一般的な物言いにしているのだけども、他の作品のようにアメリカンというスタイルながら実は日本のことに言及してるという側面が感じられなくて、そのような見方が正しいかどうかまだよくわかんない。秘密書類がのり弁になっていたのは、あきらかに日本のそれを意識してるが単発ネタという気しかしないんで。
 あと、ミューが主人公を呼ぶのに「回向」としか聞こえなくて、耳にするたびクスリとさせられてる。ロミジュリのロミオもそういうアクセントで発音したら、まぁなんといか、田吾作みたいな雰囲気を連想させるんだよな。

新サクラ#6

 うーん、前回あたりで、おそらくこの作品、「和なるもの」とか「ジャパニメーションのお約束」がむしろメインテーマなんじゃ?と思ったので、そのへんあんまりメッセージ性を掘り下げるような方向では視聴してなかったというか。まぁ今回の孤児がどうのというのもメッセージ性には違いないんだろうけど、なんというか、この1クール通して語ろうとするテーマはおそらくあんまりないんじゃないの?ぐらいに思ってる。莫斯科華撃団あたりは帝国華撃団と対比するためのリファレンスだろうが、オモロイのは帝国華撃団が日本人だけで構成されてないこと。でも外国人枠の二人の行動様式はなんか日本人を意識してるっぽいし、とはいえ、その意図するものがなんなのか今の所自分には見えてない。
 動画でいうと、バレエのモーションなるほどCGの甲斐があるんだろうなとは思うんだけど、テキスト上はあんまり意味がなさそうな感じ。次のアニメを受注するための「こんなことができるんですよ」といった名刺代わりかねぇ。

八男#6

 うーん、エリーゼたんマヂ聖女というしかない回。この話、主人公からだんだんフォーカスがエリーゼに移って、視聴者の視点がエリーゼとなるべく重なるような構成になってるわけだが、これがなかなか。まぁ中世の貴族ということだったら、別に親が直接育てるってことがないというのは珍しくもないわけで、それが婚約によって主人公といきなりパーソナルスペースが今までより重なる体験をするわけだ。ところが婚約者は早々に勅命で前線に送られて別れ別れになるわけだが、そこは12歳の子供、離れていることが当たり前だったらそれほどでもなくても、いきなり接近して離されるわけだから寂しくないわけはないのであって、それが兵士を仲介にしてお互いの立場を理解し合うというのがなるほど近代的価値観と前近代をうまくミックスしたドラマ仕立て。
 婚約指輪にしても、貴族のそれだったら大抵は自分の身分を誇示するための象徴という役割のほうが大きくて(だから見苦しいほどまでに大きかったりする)、それを選ばず実用本位なチョイスというのも、実際エリーゼの窮状を救うことになってそりゃ「自分のことを理解してくれた上での選択」と思うしかないし、主人公がエリーゼに打ち明けた「自分は英雄じゃない」というのもエリーゼにとっては初めて目の辺りにする貴族らしからぬ振る舞い(英雄だってある意味貴族の称号の一つなんだから、そうあろうとするのが自然だしありがたがるもの)なのであって、これは自分だけに打ち明けてくれた真の姿であって、あぁなるほど主人公は私を婚約者というか妻より格上の特別扱いをしてくれてると思う(勘違い)しておかしくない。まぁいうなれば、主人公期せずして光源氏計画*1を効果的に実行してたというわけで、これでエリーゼがコロリとやられないはずがない。
 まぁそんなわけで、妾云々の話もよくできていて、中世的価値観で、しかもバリバリ上級貴族で、物心ついた頃から貴族は妾もって当たり前の環境で育ってきたから、いて当然と思うのもわかるのだが、やはり上記述べた通り12歳の少女であって、別に大人であっても夫の寵愛を受けたり剥落したりしたときの喜びや寂寥は更級日記蜻蛉日記などでもあきらかなように、中世的価値観でもあるのであって、そのへんの屈託がないはずがない。なので、「もう既に婚約しているか」との問いがでるのであって、そこで得られた答えから、昔から面識のある女とではなく、今まで遭ったこともない自分と一番に婚約し、自分に対する扱いを振り返って、あぁ自分こそが主人公にとっての一番なんだという確認ができたからこそ、その余裕で妾オッケーのセリフが出たんだろうという。
 しかしなんだね、やはり前回でも述べた通り、近代人はうまれながらにしてそうだから近代的価値観なんて空気のようにあたりまえの概念であって意識すらしないけど、前近代人にとっては全然あたりまえのものでないから、それと遭遇したときに光り輝いて見えるだろうし、この上もなくありがたがるわけで、全く同じものでも誰に与えられるかによって全然扱われ方が違ってくる。それがこともあろうに聖女サマにインストールされるのだから、やはり最強の存在になるしかないんだよな。

かくしごと#5#6

 あーもしかするとだが、原作連載とアニメが同時最終回ということを思い出してしまったのだが、これ、ギャグセンスとシリアスパートがアニメ最終回でクロスオーバーというか、邂逅する感じなのかな?。最初の頃はギャグがただの内輪ウケみたいな雰囲気を感じていたのだが、この段階でギャグというより割と人の機微に触れる感じになってきて、シリアスパートはそれはそれで感情をより詳細に描くようになってる。まぁ業界ネタだろうから調査したり拾ってきたりしたネタより、より実感に根ざしてるし、その構造把握して当然なので、物語の構成時にどのネタをどの段階で投入するか、緻密な計画を立てていてもおかしくない。自分ことここに至ってようやく色んな要素が繋がってきたように思うし、コメディーもうわ滑ってる感覚がなくなってきたように思う。こうなると、もう初期のちぐはぐさあたりは出来が悪いとか様子がつかめない段階とかではなくて、狙ってやってたのかなと思い始めてる。

野ブタ。をプロデュース~#4

 ブログの紹介記事見て、TVerで無料公開やってたからちょっと視聴してみた。というかちょっとじゃないよね。この作品過去に話題になってたときに興味があって、機会があったら原作本読むなり、視聴してみたいとか思ってた。とはいえ別にそう視聴に前向きだったわけでもないのだが、割とタイトルの奇抜さで記憶に残るし、あらすじもいろんな媒体で紹介されてたので気になってた程度ではある。
 まぁそれでも日本のドラマということで、自分どうにもある時期からのトレンディドラマ、スラップスティック的な演技がどうにも受け付けなくてやはり精神的ハードルは高かった。で、今回視聴してやっぱり自分の思ってたとおりだったよというものではあったが、そのスタイルさえ我慢すれば、さすが話題になった作品なだけあって結構引き込まれるものがあった。
 自分が視聴したのは全話ではなくタイトルの通り#4までで、TVerだと以降土曜日深夜に続きを公開らしい。それが無料かどうかわかんないし、まぁ有料で制限かけられたら視聴できないが、そうでなかったらもしかして続きをチェックするかも。
 キャストだが、メインにジャニーズの二人、ヒロインに当時話題になった堀北真希、あと諸々だが、自分頭ではわかっていたとはいえ、ジャニーズ割と演技力あるほうだった。もう15年前の作品で、当時のトレンディドラマの作風がああいう形が標準だったのかどうかイマイチわかんないんだけど、なんつーか、あんまり知的水準が高い層向けじゃないんですよみたいな作りになっていて、今でいうチャラ男役なのだ。で、こう自分の先入観というのは恐ろしいもので、ジャニーズなら今ドキ(当時は)の若者なんだから、チャラ男の演技がうまいのかと思っていたのだが、自分が視聴した限り思ったのは、そういうおちゃらけた演技はサマになってない感じで、物語の展開上シリアスな場面になると、途端に演技力が向上するみたいで、なんとも不思議な感覚。
 堀北も掘北で不思議なもんで、当時は芸能人としてアイドルに近い取り扱われ方で、そういう売り出し方だったような気がするが、いざこの作品を視聴してみると、そういう方面の演技は現段階ですごく抑えられており、陰キャとして発せられるオーラがこれまた凄まじい。
 あと、忌野清志郎が出ててなんかジワる。
 物語だが、まぁ扱ってる題材が題材だし、テーマがもうシリアスなのはわかってはいたのだが、こう4話分視聴して、もう全編に渡って説教臭いのに驚いた。なんか自分アニメではゆるやかな日常とシリアスの組み合わせばっか目にしているせいか、テレビドラマなんてエンタメ重視だろうと思うから、もうちょっとアイドルの見せ場として日常パートを割と尺取ってるのだろうと思っていたのだが、全然そんなことはなく、こう視聴者に訴えたいメッセージが休みなく数珠つなぎになってるイメージを受けた。そのテーマ提示後のヤマ場でのジャニーズの演技だが、上記の通りなんかこちらの眼を見張るような物になってしまって、そのたびに意外に思っていた。こう存在感がチャラ男演技と比べて圧倒的に重くて、表情の付け方にいろんな感情が読み取れるとかそんな感じ。昭和期と違って、平成中期あたり以降のアイドルは、もう幼少時から英才教育を受けてるし、そうでなくても割と初期の頃からいろんなトレーニングを施されるので、並の人間より例えば歌唱力も、このように演技力もそこそこ実力がついているので、そのへん理解してればわからないことでもないんだけど、いざ実際に視聴してみるとこう納得させられるというか。個人的に言わせてもらえば、本人たちにその能力があるんだから、フツーに最初っから自然な演技をさせればよいのに、わざわざスラップスティック風味にするのはもったいないんじゃね?と思う。思うのだが、例えばチャラ男の演技を稚拙に、シリアスモードの演技をまともにさせるのは、キャラの存在感をよりマシマシにするための手法かもしれないし、真面目な話を真面目に作っても、それは堅苦しい作品になるのであって、もしかしたら当時はこういう手法が手っ取り早く数字を稼げる手法だったのかなという想像をしてしまうが、そのへんの知識一切ないのでなんとも言えない。
 まぁそんなこんなで、久しぶりにじっくり三次ドラマを視聴したら、なんか面食らうことばかりで新鮮味があったという段階。シナリオ、かなり粗もあるように思うし、この作品でいえば原作とかなり内容が違ってるという前知識はあるのだが、TV版のシナリオに粗があるといっても別に軸としていろいろ散りばめられたテーマ配置やその提示の仕方に問題があるようには思わなくて、忙しないなぁとは思うが意外にしっかりしてるとは感じた。
 あと、主人公が乗ってる自転車、ブランド名にマリンとあって割と奮発してる。エンドロール見たらマリンのブランド名は見えず、当時の取り扱いはケッチだったらしいが今はどうなんだろ?。クロスバイクにリアキャリアが取り付けてあって、いわゆるシティサイクルという形式のものだと思うが、ママチャリ使わずに凝ってるなとか思いながら視聴してた。

*1:意図してないのだから計画というのもオカシイが

球詠#6

 練習試合で一勝する話。これで折り返しっぽいのだが、構造としてはメインキャラのドラマが軸になってはいるが、どちらかというと組織のバランス良い運営のほうが主のような気がする。群像劇というにはキャラのクローズアップが足りない感じで、やはりチーム全体の成長を描いているように思う。双子のうちの片方、マネジメントをやるマネジャーかと思っていたら、あのチームの中ではむしろ監督の役割そのもので、大人である顧問は、高校野球の監督というより部長みたいな立ち位置。あのマネジャーのセリフが絶対量としても多いんで、彼女が狂言回しになってると見てよいのかな。個人より組織メインとは言っても、こう、理想の組織論とかそんなんではなくて、チームの成長はあくまで野球に特化した感じだから汎用性はない感じ。自分のように子供の頃に草野球をやってる視聴者なら十分説明が分かるんだけど、イマドキだとそういう経験ないのもいるだろうからそのへんどうかな?。少なくとも自分にとっては、今、このチームの実力がこうだから、練習試合がどういう目的をもって選手のスキルアップのためになにがなされているかというのがわかりやすくて面白く感じてる。
 こうデッサンは甘くてしょうがないんだけど、動画も結構面白く感じてる。もう枚数が削られているのは明らかで、24fpsで24枚フルではなくて、もう半分の12枚しか使ってないなと思われるのだが、こう単純な平行移動だとか、CGモーション動画だと補間がやりやすいのか枚数フルで動画になってるので、あーこんなところで工夫してるんだなというのがわかる。一枚の絵としてそのスポーツのフォームがそれなりにしっかり作画されているのは、最近のスポーツモノのよいところなんだが、実際枚数重ねて動画にすると、そのスポーツ特有のモーションになっているかどうか怪しいものがそこそこあるなか、ハチナイやこの作品、なかなかそのへん頑張ってる感じ。これが続くのかどうか不明だが、現段階でハチナイよりこの作品のほうが野球っぽい動画になってる印象。さすがに板に収録されるのがこの放映レベルだと商売ナメてんのかとなると思うが、こう地上波無料だと、なんつーか、荒削りだけど何を重視して作画しているのかわかりやすいので逆に面白かったりする。実演販売商品を出来たてでその場で食べるみたいな。魚なら数日熟成させて手間をかけるほうがトータルで美味しいのだろうが、釣りたてをその場でさばいて生醤油ぶっかけて食べる漁師料理みたいな感じ?。
 ドラマ部分はちょっと薄味というか、今回でいうと大砲が悩むシーンがあったのだが、これも個人のトラブルシュートというよりは、そもそも野球というのはチームとしては優れたピッチャーでほぼすべての実力が決まるということがあって、ではピッチャーが全試合シャットアウトすれば勝てるか?と言われたら、やはり一点でも得点しなければ理論上一勝もできないわけで、大砲の存在も結構重要だったりする。野球というのは確率論的にヒットが出ると考えると、こうヒットがバラけてしまったら得点する確率は低いままなので、どうしても得点圏内にランナーを出すヒットとセットで考えなければならない。大砲といってもそれは決して長打でなくてもよいのだが、逆にこの得点圏内のランナーをできるだけ確実に本塁に帰還させることを期待されるわけで、そのへん常時出番があるピッチャーより精神的なストレスが多くのしかかってくる。初心者の剣道少女を入れてるのも、おそらく大砲が機能しなかったときの保険だと思うんで、本当に原作がそうなってるのかどうかわかんないが、大砲がスランプになってこの初心者が危機を救う展開でもあるんだろうなとか思ってる。
 なので、今回野手でも捕手でもなく、エースと大砲の成長を重点的に描いたのは、ドラマ上重要なキャラクターだからというのではなく、あくまで野球という競技に関してその二人が重要だからでしかない。なのでこの作品、キャラクタードリブンのドラマが主眼なのではなく、あくまで野球という競技を描くことがメインなんだろうという気がしてる。で、日本だと野球アニメはそれこそ昭和期から数作られていおり、キャラクターのドラマを描く場としての野球というのは作られ尽くしていると思うんで、そうではなくドラマ性はそこそこに、野球というスポーツそのものの面白さに焦点を当ててみるというスタンスは自分にとっては結構ありがたい存在だったりする。

苺のアレンジティー、続編

 苺を輪切りにし、ポットで紅茶の葉と苺の香りを抽出、その後そのフレーバーティーを飲むというのを試したのだが、あのとき、煮出した後の苺も食ったら悪くなかったという話だった。なので、今度は苺に紅茶を注いで苺も積極的に食すというのを試してみた。

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 食べることも目的の一つなので遠慮なくたくさん使うことにする。これ、数日前に180円/500㌘で買ったところと同じところで購入。値段も一緒。
 香りだけを抽出したときは、結構細かく切ったのだが、今回はぶつ切り程度で済ませた。紅茶を注いで2~3分は待って飲んだと思う。
 使った紅茶はちょっと目分量間違えて少なめ。まぁ使ったタンブラーが大きいので誤差だとは思う。まず一口飲もうと思ってタンブラーの縁に口を近づけると、もうそれだけで苺の臭いがプンプンする。で、飲むのだが、イチゴが浮いているからついそれを食べてしまうとそれがちょっとした罠。先に苺を食べてしまうと、苺自体は当然苺の風味が強いので、その後紅茶部分を飲んでも苺のインパクトはない。ただ、総合的にはあたりまえだがフレーバーティーにしたよりは苺の香りが強いので、こっちのほうが良い感じ。で、

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 ある程度飲んで苺や紅茶部分を堪能した後なのだが、ちょっと思いついて牛乳を入れてみる。そう、イチゴみるくと紅茶の合体を試したのだ。で、これが微妙な感じで、いわゆるイチゴに牛乳をかける純粋なイチゴみるくの風味はかなり弱い。だが、確かにイチゴみるくの風味はする。砂糖をかけないので強烈なあの味わいはないのだが、紅茶で薄まっていると考えるとこんなもんだろうと納得もできる。もちろん紅茶部分を飲むより、苺それ自体を食したほうが風味は強い。なので、イチゴみるくの風味をできるだけ再現したいというのなら、紅茶の量を減らして牛乳の割合を高めたら良いのだろうが、それだったら最初っから紅茶は要らなくね?となるので、こんなもんだろうという気はする。
 さて、牛乳を入れるにせよ入れないにせよ、画像のように苺が浮いているので、こりゃ苺を食べ尽くすためのスプーンが要らないのでは?と期待していた。浮かんでいる苺を口に寄せるのはそう苦労しないし、柑橘のアレンジティーより便利でいいやと思っていたのだが、紅茶部分を飲み干すにつれ、底にもある程度苺が沈んでいることがわかり、それまで食べるためにはやはりスプーンがあったほうが便利だということに気付いた。苺が紅茶に浮くか浮かないかはそれぞれ苺の個体差によるらしい。
 せっかくの季節モノなので、紅茶と合わせるより、生食したら?という話でもあるのだが、買ったのはジャム用の激安なやつだし、紅茶用に使い尽くすこともないので、実際生食して消費もしてる。楽しむということについては別に気分によって好きにしたら?という感じで、残りの苺も思いつきで生食したり、このようにアレンジティーの食材にしたりするつもり。紅茶と合わせるということについては、やはり煮出した苺を捨てるフレーバーティーよりは圧倒的に苺それ自体も食べるほうがよいと思う。ヘタをとるのならむしろ苺も一緒に食べるほうが手間も少ない。

ルフレレイド、おそらく293マカロン取れず。

 20分前に確認してランキング外だったらその時走ればゾーン2回分だからなんとかなるだろうと思っていたのだが、おそらく1500ボーダーギリギリでとれてないはず。結果は約一時間後だが、この見通しの甘さが悔しい。マカロンが重要で、そりゃもちろんご褒美の配置からそんなことはないんだけど、四枚目は取れなくてもリングで交換可能なんで、四枚目よりマカロンのほうが重要。
 しかし昨日あたりにトリオを狩り尽くして、ガチャチケ狩りに入っていたのだが、前に293後半金鍵SRのときは、前半ガチャチケ一枚目とったぐらいで易々と1500位以内に入れていたから、今回もまぁそんなもんだろうと思っていた。で、ついさっきまで時間ギリギリゾーンを走っていたのだが、ガチャチケ三枚目取り尽くしてそれで1500ボーダー前後。オカシイ。運が悪いのは5分おきに必ずやってくる接続切断タイム、これ2~3日前から20秒ほど連続するようになったので、その間なんの作業も受け付けないこと。20分前にゾーン入りしたから、合計4回分、約1分半はお手上げ状態で、この分だったら超レア2体分狩るぐらいの余裕があるから、ギリギリランキング内に入っていたと思われる。もしランキングに入れないことがわかっていたのなら、消費した炭酸は手元に残っていたはずで、無駄にリソースを消費しただけということになる。まぁ確実を期すならもっと早いうちからモニターしてpt積んでおけって話なんで、自業自得と言われたらそうなんだが。

293マカロン未得反省会場。

 やっぱり、ホントに僅差で取れてなかった。
 293の人気はNEXTで9位とはいえ、上位30位を除外した後だし、
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 先月のコミュ対抗バトルも50位越え。なので人気がないのかとは思っていた。が、上記述べたとおり、今回前半戦は割と早い時期にトリオを狩り尽くし、連勝SRフルマカを達成してた。で、日に二度はゾーン入りしてランキングを上げていたのだが、昨日本日と、こう頑張って1400位ぐらいに上げても、次のゾーン入り(だいたい8時間でハートが全回復するので)で1600位ぐらいに叩き落されていて、ハテ?とは思っていた。某巨大掲示板ではレイド最上位萌果を頑張って取るかという書き込みがあって、そちらのほうに人気あるのだろうとは思っていたのだが、コミュ対抗バトルで依然50位超だから、293はそうでもないのかなという憶測が働いていたのだ。が、1500位前後の動きが激しいわけで、実際自分もノーマークでは無かったのだが、警戒心が足りなかった。萌果だけが目的なら、後半戦だと連勝SRと金鍵SRがSPになって、♥一殴り分の獲得pt効率は前半よりよいからだ。要するに前半でpt稼ぎするより後半でpt稼ぎしたほうが炭酸消費が抑えられるしその分効率が良い。
 さらに、時間ギリギリの追い上げ時は、自分1700位に近い1600位台で、ガチャチケ超レア一体倒しても順位が10ぐらいしか上がらない。上に掘り進むのが重たいなぁとは思っていたわけで、その異変感知から別に炭酸投げを手控えることなんてしていなかったわけだが、その分やはり1500位以内を確保するためのユーザーがそこそこ殺到していたと見るしかない。
 あとは、
【Ameba】ガールフレンド(仮)キュピチケ1259枚

683非通知さん@アプリ起動中 (ワッチョイ 7331-7oqX)2020/05/07(木) 22:02:54.49id:pNsebqzV0
500位が6億かよ・・・GW+コロナの引き篭もり効果が酷いなw

 というレスにある通り、今回参加者とそのやる気が半端なかったらしいということ。GWは終わったのだが、休校措置のおかげで春休みが今なお継続している学校が多いわけで、ガルフレ運営のAmebaはDMMと違ってクレカ登録がいらないからその分年齢層低めの参加ハードルが低い。ラジオを聴いていても家にいる子供がゲームばっかして困るという投稿をよく耳にするし、1500位程度なら自分がそうであるように、備蓄をしていれば無課金で達成可能な範囲なので、なら高校大学生あたりのぶんだけ殺到したと考えるとそれなりに説明がつくような気がする。
 要するに、参加ユーザーの多さの見積もりが甘かったという結論になる。対処方法は上記別エントリーで述べた通り、もっと前からゾーン入りしてpt積んでおくべきだったというもの。モニター自体はしていて、一時間前にはランキングの確認をしてたし、10分おきぐらいに再確認していて、あー1600ぐらいに落とされたかとか、1650まで落ちるか…とか目にはしていたが、ガチャチケ三枚分取れば楽々挽回できるだろうと思っていたのだ。これが悪かった。
 うーん、リングで取れるからかりに四枚目が取れなくても補充可能だし、Ex進展用にさらに一枚取ることも、余分にリング上乗せのプレミア価格で可能なのだが、マカロンだけはもう入手手段が途絶えるのでステータスの上乗せが一段低くなる。いろいろネットを徘徊しても、規則的なネット切断現象は完全におま環らしいし、ホント悔やむに悔やみきれないという。

1stQ2020アニメ振り返り。

 客観的にみても個人的にもかなり時期を逸した感があるが、いちおう整理として。

  • オーフェン 物語の進行を考えたらコレで終わるはずはないと思っていたのに馬鹿正直に1クールと考えて変則2クールだったという。本来ならまとめ感想は2クール目終了時なのだが、いちおうマスターピース復刻としてYUNOと比較すると、時代感覚の比較としても救済について色々考えさせるという点についてはよかったのではなかろうか。ただ、自分のようにあの時代を知ってる年寄りと、比較対象として過去を知らない若者とでは感じ方は違うという危惧はある。個人的にはこの作品で描かれている個人と個人との距離感が、今この瞬間のよりやはりよかったよなぁという気がする。自分は昔より今のほうがより一層個人分断化が深化してると思うのだが、逆に若者はあの作品見て自分の心に寄り添ってくれないと思ってしまうかもという心配がある。そうじゃないんだけどな、今の関係性はより依存させてコントロールしようという意図がどっかに感じられて気味悪いんだけどな、やはり個人は個人でたとえ根拠が弱くても自分の意見をとりあえず持った上で、そこでコミュニケーションを始めるべきなんだろうけど、なんか今どきだと最初っからおんぶにだっこみたいな…。
  • セクステット まさかの3期決定。あとからあとからなろう系原作のカドカワアニメキャラが登場するので、続編までの販促だと思うんだが、とはいえそれに当てはまらない例もあってなんとも。有機的つながりをうまく利用して、1+1を2ではなく3でも4にでもするんだったら見どころあると思うんだけど、いつまでたっても1+1=2のような単純加算の結果しか出てないように自分には思える。それに意味はないとはいわないまでも個人的にはキャラ同士の馴れ合いの範疇を出ない感。
  • ちはや まさかのまつげくん放出で、個人的には原作者おそらく恋愛ものから距離を取りたがっていたのでは?という雰囲気が特にこの期で感じてたから、ちょっと意外。まぁいつものちはや節だし、ドラマ性に文句はないので安定してるとしか。
  • 防振り 個人的に大当たりの作品。なろう原作ということで決心して原作目にしたらアニメのほうが圧倒的によかったという不思議。むしろアニメはお遊び要素が鼻につくとまではいわないまでも、原作のほうが落ち着いた雰囲気ではあるんで、そのへん好みの問題と思うが、原作をあくまで部品とみなして、アニメテキストスタッフがなるべく原作の雰囲気を壊さないよう再構成した手腕は単純に拍手を送りたい。
  • プランダラ 今も続いているのであまり触れても仕方がないのだが、ストーリーテリングの手法としてあまりにトリックスター要素が大きくてついていくのがしんどい面もある。が、記号とかメッセージ性はなにか?と念頭に置いて視聴したら結構考えさせられる要素多いのでオモロイ作品の部類なんじゃネーノ?とは思う。
  • ネコぱら 萌え要素バリバリなんだが、そこから興味を離して物語の構造を考えると面白かった作品。ネコの姿をした萌えキャラは被差別階級のメタファーと考えると、この物語ディストピアを描いていると考えるしかないのだが、最後までその色を隠していたし希望を提示する形で終わったのはさすがとしか。
  • はてな なんか制作状況が混乱してるのか、コロナ関係なく放送休止状態みたい。メッセージ性は悪くないけど、第1クール後半は迷走してる雰囲気だった。
  • 推し 全国レベルのアイドルを題材にしてたら決して描くことが出来ないだろうアイドルとファンとの関係性をロコドルを扱うことで生々しく描写してたと思う。視聴してる間は退屈しないし、それなりにメッセージ性はあったと思うが、いざこうやって一ヶ月も経ってみるとあんまり頭に残ってない。
  • ソマリ なんか今でもソマリ(人間)は国際社会における日本のメタファーでは?という考えが頭を離れない。過去の過ちに対して真摯に向き合わず、他国の迷惑顧みず好き放題振る舞っておそらく顰蹙買ってるだろうオマエみたいな。クレジット見るとプロデューサー級のスタッフにグローバル規模の外国人の名前が見えていたから一層そんな感じ。いちおう話の構成的には浪花節なんだけど、正直視聴者の涙腺スイッチを押すだけの役割で、個人的にはドラマとして心を揺さぶる力はそんなになかった。童話仕立てなのにお子様向けでなく大人の童話という形をとってるんだから、フツーに考えてお涙頂戴が真の目的ではなくアイロニー山盛りのはずだろと思うしかないのだが世間一般の受け取られ方どうなんだろ?。
  • ステロイド 終盤の話の区切りが惜しかったが、それでも全体的に見て若者の群像劇としてよく出来ていたというか。所詮高校生ではあるんだけど、労働から解放されて自分の将来に向けて準備するその姿を描くという枠の中では前向き要素詰め込んでよく話をドライブしてたと思う。
  • シャーロック 1stQ2020としては第2期からに当たるが、第1期のまとめをやらなかったから述べておくが、それまで話をよく保たせていたのに、個人的には終盤でやっちゃった感が残念だった。下町を舞台にしたから、おそらく現在の停滞した日本の庶民に横たわる苦悩を抽出してたんじゃネーノ?と思うんだが、サイコパスのおかげでという流れはなんかそういう期待を裏切られた感じでどうにも後味悪かった。今この社会がそういう病理に蝕まれているという主張だったらわからなくもないんだけど、それをメッセージ性とするならちょっと救いがないし、こうやってアニメにする意味あんまりなくね?と思うが、まぁ前期結構スルー気味に視聴してたから読み取れてない可能性はある。
  • ランウェイ ファッション業界という題材選びが珍しいから前のめりで視聴してたが、振り返ってみると勢いで突っ走って1クール全体のまとまりはあんまりなかったかも。たとえそうであってもエンタメとして十分楽しめるのは間違いない。
  • レビュアーズ うーん、難しい。おそらくフーゾク業界を題材にしたというだけで、バカフェミ跋扈する現代では十分冒険だし、割と凌ぎきったなという感覚はあるが、物語として面白いわけではないし、ネタとして単発で小爆発が起きたというだけのもの。おそらく狙ってやっていたのだろうが、下品さ方面に突き抜けていたと思うので却ってエロさは縮小気味になってたと思う。ポリコレ棒に立ち向かっていったのは評価するが、個人的にはそういう冒険性や話題性がなかったら凡百のものだという感じ。けなすほどでもないが、おもしろさを人にすすめるようなものでもないというか。
  • マギア 終盤で話が動くのでアレだが、静かな均衡を楽しめないなら初期に見切られてもおかしくない作品。話運びは丁寧だし見ごたえあるとは思うが、ただ、人にすすめるのにここが見どころ!みたいなものは探しにくい。サイコパス虚淵路線を捨ててメロドラマに路線変更したのと比べると、これは虚淵路線を捨てずによくやってるなとは思う。
  • 虚構推理 最初は目の付け所よいなと感じていたし絵は端正で崩れないしで心象悪くなかったのだが、鋼人七瀬編でグダグダしたなという結論。おそらくシリーズ全体からすると区切りのつけにくい原作だったのだと思う。そういや一昨日ダイソーいったら、この作品のOP,インストゥルメンタルがBGMとして流れててビックリした。そんなにあの曲人気あったっけ?。視聴してソンはないけど、人によっては迷走と感じてもおかしくないし、多くは期待するなといっておく。
  • イド テキスト全然悪くないんだけど、この社会情勢を背負った大多数の視聴者に一体何が言いたいわけ?みたいな。刑事モノならなおさら事件の背景に社会不安だとかそういうものが込められていて、庶民に寄り添う要素があっておかしくないんだけど、特異点を舞台に推理ゲームやられてもそこに現代病理に対する緊急性はあるの?みたいな。まぁ糾弾気味なのはあくまで個人の期待成分によるところが大きいんでそのへんは捨て置いてもらうとして、まぁそういう推理ゲームをエンタメとして消費するんならかなり出来が良いのでおすすめとは言っておく。
  • ペット 大人たちの気色悪いもたれ合いが妙に楽しめる作品。そういう欲望の断面図みたいなのが好きな人には大いにおすすめ。
  • へやキャン まぁ何度も言ってる通り、作風考えたらこれも悪くはないし楽しめるが、本編さっさと視聴したほうがみたいな。
  • シートン 弱肉強食の世界を生き抜くというテーマが最初にわざわざセリフにまでされて提示されていたのに、結局萌えアニメの範疇で終わったなという。まぁこれは原作ありきのことなんで、こういうノリを楽しむものなんだろう。タイトルからして動物トリビアになるのは予想できるし、あまり多くを期待せずキャラの馴れ合いを眺めると割り切って視聴したら、絵のクォリティかなり高いしエンタメとして結構楽しめる。


 さて、この期で自分が思ったのがM・A・O祭りだったなと。声優として意識し始めたのはソウナンですかで、あの作品ではぶっきらぼうな役柄だったんだが、なんつーか演技の幅が広いなという感じ。つーか、ココ最近声優の変革期なのかな?と思われるところがあって、割と初見でそのキャラの担当声優だれ?みたいなことが多くなってる。こう昔だったらメインヒロインの声あては、ちょっと聴いただけで誰が演じてるのか分かる配役が多かった。今視聴してる作品に出てる人だと堀江由衣だとか伊藤静だとか。声の響きに特徴があって、その声質で視聴者をがっちり掴む系とでもいったらよいか。ところが、今だとそういう声の特徴で勝負するんじゃなくて、いわゆる「誰にでも化けられる」感じの声優が抬頭し始めてる感じ。エンドロール見て初めて自分がよく聞いているあの声優が演じていたと気付かされる場面が多い声優ね。それがM・A・Oだし、もうちょっとヒロインよりでいえば茅野愛衣だとか。今期だと内田真礼かな。はめふら内での一人多役はどうでもいいんだけど、そうじゃなくてはめふらと新サクラを比較したときに、初穂に内田真礼を使うというやり方をしますか~というちょっとした驚き。実力派といえば悠木碧がいて、昔は声の特徴で耳に馴染んでいたのだが、最近でも演じ分けの方向性で着実に演技してる感じ。出番が多いと言えば東山奈央がいるのだが、こうキャラクターの心情を表現するのはうまくても、別人になるのはあんまり得意でない感じ。まぁ難しいところで、東山かなり売れっ子なんで、出演してることがわかればその声に期待するファンも多数いそうなんで、本人がいくら別人になりきることができても周囲がそれを許さないそういう環境なのかもしれないしでそのへん判断つきにくい。まぁそんなこんなで、割とそのへんの演技に対する変化については結構楽しみにしてる。
 男の方はそうねぇ。そのへんワナビー女に負けず劣らず多そうだし、正直なところ、新しい声質が欲しかったら人数バラエティには困ってないのかな。ただ、アニメに関してはガンダムが土曜夕方に放映されていたのが終わって以降、男キャラの重要度がかなり下がってしまって、男が主人公であっても結局物語上は女キャラの添え物になってしまってると思うんで、あんまり論じても仕方がないかも。

波よ#4#5

 相変わらずオモロイんだけど、こう、主人公のオンエアのシーンとドラマ編では勢いが全然違う。正直ドラマ編はそんなに惹かれるってものでもないんだけど、よく考えると上記自分がそう感じているように、オンエアとの落差を敢えてつけてるのかもしれん。物語としてみたら、本来なら主人公の生き様に焦点をあてるべきなんだろうが、そのへんの倒置も面白いところ。オンエアシーンでも、まだまだ主人公はお膳立てされた環境でわけも分からず一生懸命な様子で、状況に振り回されてるって感じなのだが、ディレクターの男気や、ADの勢いある現場に臨席して活気を堪能しているその感情のあり方に、見ているこっちも引き込まれる。自分もこういう職場で一緒に働きたいとかそんなの。
 カレー屋パートでは人生設計の提示をして、視聴者にも人生の過ごし方の問いかけしていて、タイミング的にもドンピシャでそのへんいろんな鑑賞ポイントを設定して視聴者を振り回したり考えさせたりで飽きさせることもない。まぁよー考えて作られてるわ。

グレイプニル#4#5

 やっぱりお行儀が良い感じ。仲間を作るということ自体は客観的に見てダメだっていうつもりもないんだけど、この作品、ようやくコインの役割がはっきりしてきたというか、人間の欲望を実現するモノとしての役割が明らかになったから、え?やっぱりそれって後期資本主義での貨幣と全く同じジャンとしか思えないわけで、それならちゃんと悪人は悪人の顔をしろよってなもん。主人公は期せずして巻き込まれたからそのチキンレースから脱却するため、ヒロインは主人公という居場所を得てコインに頼る必要がなくなったから主人公をもとに戻す手伝いをするというのはまぁそうなんだけど、彼らが一旦状況を整理してから初めて遭遇した敵が敵でなく、どちらかというと心のどこかで欲望実現システムに疑問を既に持っていて、求道的なありかたのキャラとか、物語の進行上無駄な描写を避けるためとはいえあまりにご都合主義かなという気がしてる。まぁ我欲に目がくらんでる多数の敵にうんざりしてからそういう仲間に出会う展開のほうが自然とは思っていても、尺はないわな。
 しかしまぁ、コインにそういう記号が込められているにしても、ではなぜ宇宙人が変身したもの…という形に設定しているのかはまだ自分には不明なんで、謎が全て解けたわけではないし、この物語の方向性が読めたわけでもない。話がつまらないわけではないし、先の視聴は楽しみではあるんだけど、やはり性と暴力を全面に押し出していながら今ひとつ欲望の描写への端切れの悪さに違和感があって、なんでこんな中途半端なことをみたいな感覚がある。描写や演出が過激なんでメッセージ性やテーマまでも下品さを貫けないところはやはり少年少女向けなのか、そういうバランスをとらないと年齢制限無しに放映できない事情でもあるのかもしれないが、こう、今までを振り返ってみると、過激な表現手法はただの虚仮威しじゃ?という臭いがプンプンして、それはそれでちょっと興ざめだったりする。


エスタデイ#4#5

 うーん、どうにも複雑な心境。なんつーか、こう画面からあふれる表現力はここ最近のアニメ作品と比べたら雲泥の差で飛び抜けてるし、BGMに頼らず無音が無音でちゃんと意味を持ってるし、ト書きに近い台詞による説明ほとんどなく、画面で視聴者に語っているしで、もう濃密な時間を堪能しているんだが、なんかテキストが表現に比べてちょっとばかし足りてないというか。まぁ結論としては、昨今のアニメ、原作を超える出来のものがちょくちょく出てるから勘違いしちゃうんだけど、本作の場合おそらくいくらアニメの表現力が高くても原作読んどけってことだろう。原作についてはワンカットすら目にしていない自分が言うのもオカシイのだが、どうにもテキストと画像のミスマッチを自分が感じてしまうのはそういうことなんじゃないかと妄想してしまう。
 原作者おそらく柴門ふみが好きなんだろうし、前に言ったようにヒロインが許嫁のような立ち位置で故人を忘れられないのもめぞん一刻の影響だろうしで、かといってそれらの真似っこじゃないのはわかるし、そのへん自分がこの作品に期待している、「氷河期世代のモラトリアム」をよく描いているんだろうなとは思うが、氷河期がその後社会に見捨てられ、今なお捨て置かれたまま救済されない末路を誰もが知っているだけに、あまりにも若さ…というか未熟さを描き過ぎで、見ていて痛々しいことこの上ない。あまり言いたくはないが、コロナ禍のおかげでその痛々しさがより一層深まっているように感じてしまう。
 自分が違和感を持つことの一つに榀子周辺の、もっといえば榀子の思い人の早川湧?の周辺で、弟くんは弟クンで榀子が好きなことを自分の実存と重ね合わせるところなど見当違いだし、父親は父親でなくした息子のことを(普通は時間が立てば誰もが忘れるのに)思い続けてくれているからそれはそれで嬉しく感じながらも、あくまで公式の許嫁関係でもなく高校生程度の惚れた腫れたの次元でそこまで深く関わるか?みたいなところが、なんかもう事を大きくするための仕掛けのように感じてしまってかなり受け付けない。で、今回の視聴分で唐突に現れた晴の過去のクラスメート湊航一も疾風のように去っていって、個人的にはあれだけ榀子については高校時代の思いを引っ張ったのだからレギュラー化ぐらいするのか?と思っていただけにちょっとポカーンな気分。
 で、エンドロールではトップの位置なんでもう陸生と晴がメインキャラで構わないと思うのだが、もう既に腐れ縁の夫婦漫才に近いものになってしまっていて、結局の所この二人が狂言回しになっていろんなキャラクターの人生模様を語っていくのかなという感じがしてる。でもって、それは確かにあの時代、宮台がいみじくも規定したような「終わりなき日常を生きる」ということを表現しているのではあるが、でもそれは自分の人生を中途半端に切り売りして生きていくということにほかならず、太く短くではなくともとにかく一度しかないその瞬間、その人生を一生懸命に生きるというドラマ性とは極めて相性が悪い。だから、今回のコロナ禍のようにその終わりなき日常が何の前触れもなく本当に唐突に終わってしまうと、途端に陳腐にならざるを得ない。個人的には氷河期世代はその直後のゆとり世代や今の若者に比べて甘やかされていたとは全然思っていなくて、というか、こうやって時間が経って結果が出たから結局の所ゆとりと現在の若者*1こそがポリコレ棒振りかざして甘えることを上の世代に受容させてきたよねということが明らかになったわけなんだが、厳しい状況が全員に降り掛かってきたときに、より一層氷河期に対して自己責任論が襲いかかってくるようなそんな状況をこの作品がもたらしはしないか?みたいな切羽詰まった感が回を追うごとに深刻になってきているそんな気がする。
 なので、この作品、始まったときは過去にあった氷河期モラトリアムを今一度振り返るクロニクルとして捉えていたのだが、コロナ禍のおかげで期せずして過去のことではなく、今まさにこの時代を体感するそんな作品になってしまったような気がする。
 実はもっと政治的に言いたいことがあるのだが、今まで視聴してきてあまりに表現力が卓越している割には当該世代への鎮撫というよりはむしろ破壊力が大きくて自分もびっくりしている段階。世の中の動向とつなげて色々書き殴るスタイルではあるのだが今は敢えて控えておきたい。

紅茶フレーバーティー、イチゴ編

 さて、柑橘類のアレンジティーフレーバーティーをいろいろ試してきたが、そろそろイチゴの季節となり、昨日シルクロードで近所を散策したときに安いイチゴを見つけて確保していた。

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 ジャム用にと、500㌘180円の激安で売っていた。これをもうめんどくさいからヘタ付きで輪切りにする。

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 ポットに紅茶とイチゴを入れ、湯を注ぐ。
 作りたては飲もうとして口を近づけてもそうイチゴの香りはしないのだが、口に含むとかなり強烈に苺の香りが感じられる。季節モノであるせいか、糖分多めかどうかわかんないが、紅茶の味にもほんのり甘みが感じられて至福の時間。自分苺の季節には好んでこういう紅茶の味わい方をするが、さすがにイチゴの値段が高いときにはそうそうできるものでもない。まぁ激安でなくそこそこ値段がしてもイチゴの量を減らして同じようなことをやったりはするが。今までは煮出したイチゴの再利用はしなかったが、今回試しにポットに残ったイチゴを食べてみたら食感はよくはないがそこそこ食べられるような気がした。もしかするとヘタを取って輪切りにしたイチゴをマグカップかなんかに入れて紅茶を注いでもそこそこ楽しめるかも。


 柑橘についてはサンフルーツ、スウィーティー、などを試したが、それはまた後日。

自転車今日はパルシウムで

 お出かけしてみた。やはり先日巻いたバーテープの触感をためすため。

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 でかけたときに撮影しようと思ったら、デジカメの電池切れ。ちょうど互換電池の出番のときで運が悪かった。正規品だと持ちが良いのだが、互換製品だと容量が三分の一どころか五分の一ぐらいの体感の持ち。容量表示を見ると正規品の八割ぐらいだからもっと持ってくれても良さそうなもんだが、これだったら値段考えると正規品買ったほうが全然良かった。
 まぁ触感はシルクロードに巻いたフィジークのとはかなり違う。フィジークのはゴムに近い感触で一度握ったら張り付くような感じがあるが、パルシウムに巻いたライフラインのは若干布のような感触があって張り付く感じはあまりない。だが、太さ自体はどちらも変わらないからそのへんシルクロードに感じた違和感の質はあんまり変わりがない。なれるまでの辛抱なのかな?。ウィング部分に巻かないという方法もあるが、それだとワイヤーの処理に困る。

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 画像左、昨日述べた、ハンドル末端の直線部分の延長線上に、ブレーキレバーの先端が接するとかそんなの。実は昨日も二枚ほど、この様子を画像に撮ったはずなのだが記録されてなかった。あと、かなり前にサドルの体重が乗る部分、右側だけ妙に凹むと書いたことがあるが、やはり状態は進行中。実はあの記事を書いた直後、なんで右側だけ凹むのか、もしかすると自分が無意識に右側に体重を乗せてしまっているのかどうか確かめようとした。こう、自分がそのことを意識せず、唐突に自分がどちらに体重をかけているのか認識する機会がないかと思っていたのだが、なんか自然にその瞬間が訪れてしまったのだが、やはり自分が右側に体重を乗せていたようだ。決してサドルの右側が柔らかい個体に当たったとかそんな感じではないみたい。両側に均等に体重に乗るよう意識するっていってもどうすれば…という心配はあるが、右側がある程度沈み込んでしまえば自然に左がつっかえる形で体重が乗り、右側への荷重が減ると思うので気にしないでおくことにする。


293生誕祭

 今日は日を跨いでスグに差し入れを寝オチでもらえなかったのでしょげていたのだが、起きて平常作業に取り掛かって
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 今日が293の誕生日なのに気付いた。いやまぁ5月5日こどもの日だから特徴的で、この日がおたんじょうびなのは記憶にはあったんだけど、この日を待ちわびていたとかそういう感じではなくすっかり忘れてたという。ガールの誕生日は、ステータスが上方プラスされるし、デートをするとさらにステータスアップされる。5月5日が誕生日だということは、もうレイドイベントでしかそのステータスアップ効果が得られないわけで、なんか使い勝手悪いなぁと思っていたのだが、なんと今月は前半金鍵SRが293なので、デートの効果に大いに意味が出る。

*1:の親がモンペになって

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はめふら#5

 ゲームのメインヒロインキャラの家庭事情の巻。構造的には主人公の好感度インフレには違いないんだけど、期せずして仲良くなったマリアの裏事情を視聴者が目の当たりにする。なんか感想をいろいろ考えてうまくまとまらないんだけど、埒が明かないのでとりあえずダラダラ書きなぐっていくが、これ、オモロイのはやっぱりこの世界ゲームを意識してるんだなという。フォーチュンラバーがどんなゲームなのか詳細まではわからないのだが、好感度システムを取り入れたアドベンチャーゲームのように思える。で、アドベンチャーゲームマイコン時代やファミコン時代のが基本にあって、その次に来たダブルサイデッドという方式を今回ふと思い出した。一度プレーヤーは主人公サイドでゲームを読み進めていくわけだが、一旦ゲームをクリアすると次は主人公が(メインルートで)いろいろな行動を起こしていたその裏では何が起こっていたのか?という裏ルートを攻略するというもの。以降それが発展して、メインルートで正ヒロインとハッピーエンドを迎えることができたが、メインヒロインと選択性になっていた副ヒロインを選んでいたら?というふうに発展し、ではもっと脇役のヒロインとでは?となって多数のヒロインを攻略するギャルゲー*1に発展していったはず。
 さて、フォーチュンラバーではおそらくマリアは主人公の分身であって、本来簡単なキャラ設定しかプレーヤーには開示されてないはず。普通そういう分身はプレーヤーがどんな人でも感情移入しやすいように、基本的には真っ白に設定されているはずで、こんなに詳細に過去の事情が考えられているはずがない。考えられていたとしてもそれは開発側が企画の段階で用意しているもので、ゲームの販促記事でも明かさない。今回の話で言えば主人公は田舎町の出身で小さい頃から特別な娘として認識されていた…程度の紹介が関の山で、地元ではその特異な能力のおかげで家庭崩壊の瀬戸際まで追い詰められていた…とか、クラスでは孤立していた…みたいな生々しい設定はプレーヤーに告知されるはずがない。そしてフォーチュンラバーは乙女ゲーだから、プレーヤーはマリアしか操作できず、攻略対象はイケメンであって、女の子は攻略対象ではないし、アドベンチャー創生期のダブルサイデッドのように主人公の裏事情をプレイするゲームでもないはず。
 ところが今回の話の構成は、主人公がフォーチュンラバーというゲームを、脇役(というか悪役)でプレイするのを視聴者はちょうどゲーセンで他人がプレイしているのをギャラリーとして鑑賞しているという立場で俯瞰している…という構造になってる。主人公はゲームをフォーチュンラバーという乙女ゲーをプレイしている体でありながら、マリアの過去の事情については結局最後まで認知することができなかったのだが、視聴者としてはフォーチュンラバーダブルサイデッド版という乙女ゲーとは別のゲームをプレイ動画として鑑賞している(のでマリアの過去の事情がわかる)という、メタ構造的にはちょっとひねったものを目にしているということになってる。物語の構成手法としてはそう物珍しいものでもないんだが、この作品がゲーム構造そのものをテーマにしているだけに、これはなかなか凝った構成。
 あと、もう一つ言わせてもらえば、マリアとしてプレイしていたらマリアの過去の事情はプレイヤーは絶対に見ることができなかったが、カタリナとしてプレイしたから、マリアの物語が自動生成されたという形になってる。そしてアドベンチャーゲームとは、ルート分岐が無限大にあるのではなくて、予め用意されているシナリオを見つけ出すだけという構造。まぁ世の中の大きな流れに個人が抗うことができるか?と言われたら、まぁそれはちょっとムリじゃね?と言わざるを得ないが、ただ、こう運命論的なものの見方でなく、現実の人間社会というのは個々の人間の選択が小さいながらも影響を及ぼし合うというものではあるので、当然人間は、環境から多大な影響を受けるのではあるが、環境にも影響を及ぼしているという相互相補的な関係にある。現実はアドベンチャーゲームのように、予め用意されている選択肢だけしか選ぶことができず、それ以外の可能性は一切遮断されている…というものではなく、もちろん社会構造的に選択しにくい行動はあるんだけど、やろうと思えば人間どんな行動でも取ることができ、自分の道は自分で切り開くことが可能…というものではあるので、そういうことをテーマにしているというんだったら結構メッセージ性としても面白いものをもってるんじゃね?という気がしてる。
 しかしなんだね、ここまできたらカタリナの精神的わらしべ長者スタイルを貫き通してくれても、それがこの作品スタイルとしてこの後も楽しんでいけはするんだけど、どうなんだろ?。今の所カタリナの行動がうまくかみ合わさってすべて善行になってしまっているけど、視聴者的にはカタリナが善行しか積んでいないが、噛み合わせが悪くて物事がうまく進まない*2という、ある意味「合成の誤謬」みたいな展開でもあるんかな…とちょっと期待はしてるんだけど。連載は終わっているようなんで調べたらわかりそうなものだが、いちおうネタバレは禁止の方向で考えてはいるので裸待機の状態。

つぐもも2#5

 すなおと虎徹の絆再構成の巻。いつも美麗な作画なのにだいぶ崩れてた。これ、円盤だと後から修正したのを収録なのかな。まぁそれは個人的にどうでも良い話。大陸だか半島作画のようだが、この分だともう日本の作画チームはコロナでストップ状態なのかも。ちょっと前に触れたが、大陸はそろそろ経済活動が復活してるようなので、つながりがよければ放映中止は避けられるのかな。
 話自体は他愛のないもので、虎徹が今のままだと目覚めない…という桐葉のセリフで自分には答えがわかったのだけども、だいぶのんびりした進行というか、このクール尺に困ってなさそうって感じ。今ドキだと夫婦の新しい関係性でやれパートナーとは?みたいな話運びにしそうなもんだが、結論はかなり単純なので拍子抜け。というか、やはり少年(少女)向けのオーソドックスな内容で、逆に感心してた。

シャチバト#5

 うーん、やっぱりまだ見どころがつかめない感じ。とはいえ、これアフリカのサラリーマンみたくサラリーマンという題材選びがしんどいのかも。ただ、あちらと違ってこちらは零細だし、だからこそ給料安くてもせめて自分の裁量は多めに与えられている感じで少なくとも大企業のサラリーマンを扱った作品のように、高給取ってる割には好き放題やってるな…みたいな妬みは全く感じないで済むので気楽に視聴してる。まぁ今どきの零細だと雇われは非正規かバイト、酷いときには個人事業主扱いで、裁量はおろか奴隷扱いで薄給のところも多そうなんで、そのへんのバランス感覚は今の所評価しづらいというか。まぁ給料もらえない分、せめて女の子に手を付けるぐらいの役得がないと…みたいなバランスも、この作品では幼馴染は秘書という立場を崩さずに他人行儀を貫いてるし、現場トップもちょっとツバつけられる雰囲気ではないんで、ジェンダー対策しっかりしてるなって感じなのだが。

シルクロードバーテープを巻いてみた。

 振り返ってみると紆余曲折してるなぁと思うんだが、そもそもパルシウムのハンドルにリッチーコンプストリーム2を取り付け→コンプストリーム3に鞍替え、の流れで、キャノンデールシルクロードのハンドルをコントロールテックのアロイからコンプストリーム無印…からのパルシウムにつけるつもりだったコンプストリーム2がお下がりでという流れ。放置状態だったんだけど、パルシウムにバーテープを巻いたので、シルクロードにも巻いてやるかと決心した。

*1:エロゲのほうが時期的には早かった気がするが、つーか、エロゲの全年齢版がギャルゲのはず

*2:カタリナは男キャラには恋愛フラグばかり立ててるし、複数の男キャラによるカタリナ争奪戦が始まってもおかしくはないが、そんな単純な話かねぇとも思うわけで

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