グレイプニル#4#5
やっぱりお行儀が良い感じ。仲間を作るということ自体は客観的に見てダメだっていうつもりもないんだけど、この作品、ようやくコインの役割がはっきりしてきたというか、人間の欲望を実現するモノとしての役割が明らかになったから、え?やっぱりそれって後期資本主義での貨幣と全く同じジャンとしか思えないわけで、それならちゃんと悪人は悪人の顔をしろよってなもん。主人公は期せずして巻き込まれたからそのチキンレースから脱却するため、ヒロインは主人公という居場所を得てコインに頼る必要がなくなったから主人公をもとに戻す手伝いをするというのはまぁそうなんだけど、彼らが一旦状況を整理してから初めて遭遇した敵が敵でなく、どちらかというと心のどこかで欲望実現システムに疑問を既に持っていて、求道的なありかたのキャラとか、物語の進行上無駄な描写を避けるためとはいえあまりにご都合主義かなという気がしてる。まぁ我欲に目がくらんでる多数の敵にうんざりしてからそういう仲間に出会う展開のほうが自然とは思っていても、尺はないわな。
しかしまぁ、コインにそういう記号が込められているにしても、ではなぜ宇宙人が変身したもの…という形に設定しているのかはまだ自分には不明なんで、謎が全て解けたわけではないし、この物語の方向性が読めたわけでもない。話がつまらないわけではないし、先の視聴は楽しみではあるんだけど、やはり性と暴力を全面に押し出していながら今ひとつ欲望の描写への端切れの悪さに違和感があって、なんでこんな中途半端なことをみたいな感覚がある。描写や演出が過激なんでメッセージ性やテーマまでも下品さを貫けないところはやはり少年少女向けなのか、そういうバランスをとらないと年齢制限無しに放映できない事情でもあるのかもしれないが、こう、今までを振り返ってみると、過激な表現手法はただの虚仮威しじゃ?という臭いがプンプンして、それはそれでちょっと興ざめだったりする。
イエスタデイ#4#5
うーん、どうにも複雑な心境。なんつーか、こう画面からあふれる表現力はここ最近のアニメ作品と比べたら雲泥の差で飛び抜けてるし、BGMに頼らず無音が無音でちゃんと意味を持ってるし、ト書きに近い台詞による説明ほとんどなく、画面で視聴者に語っているしで、もう濃密な時間を堪能しているんだが、なんかテキストが表現に比べてちょっとばかし足りてないというか。まぁ結論としては、昨今のアニメ、原作を超える出来のものがちょくちょく出てるから勘違いしちゃうんだけど、本作の場合おそらくいくらアニメの表現力が高くても原作読んどけってことだろう。原作についてはワンカットすら目にしていない自分が言うのもオカシイのだが、どうにもテキストと画像のミスマッチを自分が感じてしまうのはそういうことなんじゃないかと妄想してしまう。
原作者おそらく柴門ふみが好きなんだろうし、前に言ったようにヒロインが許嫁のような立ち位置で故人を忘れられないのもめぞん一刻の影響だろうしで、かといってそれらの真似っこじゃないのはわかるし、そのへん自分がこの作品に期待している、「氷河期世代のモラトリアム」をよく描いているんだろうなとは思うが、氷河期がその後社会に見捨てられ、今なお捨て置かれたまま救済されない末路を誰もが知っているだけに、あまりにも若さ…というか未熟さを描き過ぎで、見ていて痛々しいことこの上ない。あまり言いたくはないが、コロナ禍のおかげでその痛々しさがより一層深まっているように感じてしまう。
自分が違和感を持つことの一つに榀子周辺の、もっといえば榀子の思い人の早川湧?の周辺で、弟くんは弟クンで榀子が好きなことを自分の実存と重ね合わせるところなど見当違いだし、父親は父親でなくした息子のことを(普通は時間が立てば誰もが忘れるのに)思い続けてくれているからそれはそれで嬉しく感じながらも、あくまで公式の許嫁関係でもなく高校生程度の惚れた腫れたの次元でそこまで深く関わるか?みたいなところが、なんかもう事を大きくするための仕掛けのように感じてしまってかなり受け付けない。で、今回の視聴分で唐突に現れた晴の過去のクラスメート湊航一も疾風のように去っていって、個人的にはあれだけ榀子については高校時代の思いを引っ張ったのだからレギュラー化ぐらいするのか?と思っていただけにちょっとポカーンな気分。
で、エンドロールではトップの位置なんでもう陸生と晴がメインキャラで構わないと思うのだが、もう既に腐れ縁の夫婦漫才に近いものになってしまっていて、結局の所この二人が狂言回しになっていろんなキャラクターの人生模様を語っていくのかなという感じがしてる。でもって、それは確かにあの時代、宮台がいみじくも規定したような「終わりなき日常を生きる」ということを表現しているのではあるが、でもそれは自分の人生を中途半端に切り売りして生きていくということにほかならず、太く短くではなくともとにかく一度しかないその瞬間、その人生を一生懸命に生きるというドラマ性とは極めて相性が悪い。だから、今回のコロナ禍のようにその終わりなき日常が何の前触れもなく本当に唐突に終わってしまうと、途端に陳腐にならざるを得ない。個人的には氷河期世代はその直後のゆとり世代や今の若者に比べて甘やかされていたとは全然思っていなくて、というか、こうやって時間が経って結果が出たから結局の所ゆとりと現在の若者*1こそがポリコレ棒振りかざして甘えることを上の世代に受容させてきたよねということが明らかになったわけなんだが、厳しい状況が全員に降り掛かってきたときに、より一層氷河期に対して自己責任論が襲いかかってくるようなそんな状況をこの作品がもたらしはしないか?みたいな切羽詰まった感が回を追うごとに深刻になってきているそんな気がする。
なので、この作品、始まったときは過去にあった氷河期モラトリアムを今一度振り返るクロニクルとして捉えていたのだが、コロナ禍のおかげで期せずして過去のことではなく、今まさにこの時代を体感するそんな作品になってしまったような気がする。
実はもっと政治的に言いたいことがあるのだが、今まで視聴してきてあまりに表現力が卓越している割には当該世代への鎮撫というよりはむしろ破壊力が大きくて自分もびっくりしている段階。世の中の動向とつなげて色々書き殴るスタイルではあるのだが今は敢えて控えておきたい。
紅茶フレーバーティー、イチゴ編
さて、柑橘類のアレンジティーやフレーバーティーをいろいろ試してきたが、そろそろイチゴの季節となり、昨日シルクロードで近所を散策したときに安いイチゴを見つけて確保していた。
作りたては飲もうとして口を近づけてもそうイチゴの香りはしないのだが、口に含むとかなり強烈に苺の香りが感じられる。季節モノであるせいか、糖分多めかどうかわかんないが、紅茶の味にもほんのり甘みが感じられて至福の時間。自分苺の季節には好んでこういう紅茶の味わい方をするが、さすがにイチゴの値段が高いときにはそうそうできるものでもない。まぁ激安でなくそこそこ値段がしてもイチゴの量を減らして同じようなことをやったりはするが。今までは煮出したイチゴの再利用はしなかったが、今回試しにポットに残ったイチゴを食べてみたら食感はよくはないがそこそこ食べられるような気がした。もしかするとヘタを取って輪切りにしたイチゴをマグカップかなんかに入れて紅茶を注いでもそこそこ楽しめるかも。
柑橘についてはサンフルーツ、スウィーティー、などを試したが、それはまた後日。
自転車今日はパルシウムで
お出かけしてみた。やはり先日巻いたバーテープの触感をためすため。
まぁ触感はシルクロードに巻いたフィジークのとはかなり違う。フィジークのはゴムに近い感触で一度握ったら張り付くような感じがあるが、パルシウムに巻いたライフラインのは若干布のような感触があって張り付く感じはあまりない。だが、太さ自体はどちらも変わらないからそのへんシルクロードに感じた違和感の質はあんまり変わりがない。なれるまでの辛抱なのかな?。ウィング部分に巻かないという方法もあるが、それだとワイヤーの処理に困る。
293生誕祭
今日は日を跨いでスグに差し入れを寝オチでもらえなかったのでしょげていたのだが、起きて平常作業に取り掛かって
今日が293の誕生日なのに気付いた。いやまぁ5月5日こどもの日だから特徴的で、この日がおたんじょうびなのは記憶にはあったんだけど、この日を待ちわびていたとかそういう感じではなくすっかり忘れてたという。ガールの誕生日は、ステータスが上方プラスされるし、デートをするとさらにステータスアップされる。5月5日が誕生日だということは、もうレイドイベントでしかそのステータスアップ効果が得られないわけで、なんか使い勝手悪いなぁと思っていたのだが、なんと今月は前半金鍵SRが293なので、デートの効果に大いに意味が出る。
で、[頼れる相棒]単純にステータス倍ぐらいになってるが、現状レイドイベントでは超レアではなく超レアトリオにまで掘り進んでいるので、SWEETテープにしか効果がないという。発揮値も
まぁトリオでも三分の一にしか影響がないとはいえ助かる。で、誕生日だからなんらかのアドバンテージが有るのかもとひょっと思いついて、
先日293の手を引いて藪で一戦交えた妄想をした後なので、滝でも遊びたいとはなかなかお盛んだなとまたまた捗ってしまったという。
*1:の親がモンペになって