夏目友人帳 伍 第9話

 今までとちょっと毛色が違ってなんか前向きのお話。
 視聴直後はイイハナシダナ〜と余韻に浸っていたが、ふと思い当たることがあって、困っているところを助けて仲間にするって典型的な新興宗教の勧誘の手口じゃんとか考えていた。但しこの話がそうであるという要素は念入りに排除されていて、誤読することはない。新興宗教の場合、なんだかんだいって下心があるわけで助けるほうが勧誘するわけで。
 とはいえ、この朱遠なるキャラクターがいかにも不可解で、彼がどんな目的でどんな行をやってるのか伏せられていたのがどうにも納得いかない感じ。もちろんこれは具体的に描かないことで汎用性を高めているのだが、どうにも朱遠一行が人との関わりを断った上での修行っぽく見えるので、それはどうなんかな?と思ってしまったのだ。朱遠という命名、針をつけずに釣りの真似はどう考えても中国っぽい人物像で、気になって朱遠でggってみたが、それらしいモデルが見当たらない。もしかすると作者はモデルはあるのだが名前を変えてオリジナルっぽく見せているだけなのかもしれない。オモロイのはどうも中国でもこの作品を見て朱遠なる人物が気になっている人がそれなりにいるらしく、フォーラムっぽいところで尋ねていたのだが答えはなかった。
 仏の道っぽくも感じるのだが、仏教なら人と人との関わりを完全に断つことはないだろうし、中国といえば仙術が思い浮かぶが、仙人になるための修行ならむしろ人助けすらしないような印象があるのでそれとも違うような気はする。上述のとおりわざとなんの行かはぼかしているはずなので考えるだけ無駄だとは思うが、この作品自体が人と人との関わりそのものがテーマなのでそれから逸脱するはずもないだろうし、それならぼかすのはちょっと卑怯な気もする。人と人との関わりはあまり重視しないということであれば、アーミッシュみたいなのも思い浮かぶが、彼らは共同体から離れるってことをしないはずなのでそれも違うかなと。
 人の恩義を受けて、さらにその人の在り方に触れ心酔するってことはありふれているというほどのものでもなく、あっても別に不思議はないのでそういうものゝ一種と考えたらよいのだが、個人的にはそのへんのほのめかしがちょっとぐらいあってもよいのになぐらいに感じた1話ではあった。
 あ〜、あと捧げ物と言われたときに夏目を見ていたが、夏目の価値を提示してないのでこりゃミスリードだよなと思った。個人的にはこの一件だけが致命的なミスといったところ。