そう思わせておいて実は…という場面が多いからなぁ。
とはいえ、そろそろ話を畳みにきましたかねってところ。物語として高倉兄が退場させられるのは当然の話だし、陽毬も自分の意思と無関係であっても、他人を食いつぶす存在だったからこれまた退場させられるってのが普通なんだけど、最終的にそうなるかどうかはテキスト次第。世間知らずで守られる存在だった高倉弟と荻野目は、七人の侍でもそうだったように、大抵未来を作る担い手として残されるのが普通だが、これまたテキストがそう設定しているかどうかなので、そう予想することに意味は無い。
なんか男は生き方を選べない(途中で路線変更することなどできはしない)というのも一種の美学なんだけど、こういう作品で使われるとちょっと微妙なものを感じてしまう。視聴して退屈でもないしダメ出しすることもないんだけど、いやもうなんていうか、しんどいんだよね。