魔弾の王と戦姫 第7話

 そういや第2話までのダラダラは何だったんだ?。
 戦姫の見せ所ばっかなのかと思ったら、今回は騎士ロラン押し!だった。燃える!。国王直属の騎士ってのが、日本人が思い浮かべる典型的な西洋騎士像であって、そういうのが存分に描かれていた。やっぱ基本に立ち戻るってのがミソで、国王から授かった宝剣はそもそも民を守るため*1のものってのが熱い。
 オモロイのは国王の姿で、正常な判断力を失っているというのが“らしい”。国王だから現実社会だと現天皇のメタファーか?と言われたら別にそんなことはなく、実際問題国民そのものなんだろうなと思わされる。この作品だと現実の誰かを暗喩するんだったら、似せなくても顔は描写するはず。その顔を描かないのだから、誰かをというんじゃなくて、不特定多数だから描けないんだろうなと考えてみた。なんか苦しいが。
 主人公が得体の知れない力を得るエピソードでは、なんか絵面で勘違いしそうだけど、おそらく必要だったのは勇気だとか決断でなくて「知恵」のはず。問いかけられたのは娘を射つことであって、殺すことではないわけで、それを見切って矢が砕けるように力を加減したわけだ。そこにはほとばしる思いは必要なくて、正確な技量と冷静さが求められる。いやまぁ確かに折り返し地点だから、昔話でいうところの「主人公が試され、それを乗り越えることで問題解決に必要な力を得る」であって、まぁフォーマット通りといわれたらそう。が、かなりダイジェスト風味になっているこの時点では、わりかしそういうのがありがたい。三国志なんかでいう、物語を象徴する副題がつきそうな場面なんだよね。
 しかし、わかりやすいお題目として民のためにっていうんだけど、正直今の世の中、それほど民は守られるべき存在とも思えなくなってしまっているというか。前にも述べたとおり、中世以前の昔だったら例えば国民の大半が農民だったとして、農業ってのは基本的に家族を基本とした経営体だから、もちろんその一家の家計をもって国家運営も同列に語ることはできないんだけど、しかし、社会というものはどういうものかという縮図が一家の中に反映されていて、そういう物の考え方が出来る環境があったわけだ。が、今のように雇い雇われの関係だと、ヘンな話、それは形を変えた奴隷制でしかなくって、雇われ人が主体的に物を考えさせてもらえないし、考えようもないし、実際に考えてもいない。最近またクレーマーの傲慢さが報道されていて、お客様は神様論への批判を目にするようになってきた。民は、守られるのはいゝが、それがあたりまえになってしまって、あたり構わず我儘振舞うようになれば、そういうのを守る価値がどこにあるのか?ということになる。
 では守るべき民と守らなくてもよい民に分けることが必要か?といわれても困るし、難癖つけるクレーマーの職業が過酷な労働環境下のサーヴィス業だったりして加害者と被害者が同一人物に同居デモしそうな複雑な社会を物語に反映するのもなんだかなぁであって、まぁそのへん昔話フォーマットにしたがって無難なものにしとけってのはある意味正解ではあるんだよね。で、やはりそれらをオミットするにしても、じゃぁ民を食い物にして利権構造を維持しようとする立場は問答無用で弾かれるべきなわけで、うーん、確かにそういう視点は一貫してこの物語に埋め込まれているような気はする。
 昨今のテキストだと、物語性というよりはキャラ性に重点をおかなくてはならないようで、そのへん原作者にしろ脚本にしろ大変な時代なんかね?という気がしないでもない。キャラに焦点を当てれば、人目は惹くが、キャラクター性に社会問題はそうそうたくさん盛り込めるものではないので、そういうのを考えるといろいろ難しいというか。議論はもっと深めたいんだけど、その手前で断念しなければならない残念感だとか、それでも深めるための材料の仕込みはできるだけやっておくというテキスト側の努力とか、わかる人にはわかるようにって投げかけの仕込みだとか、いろいろ感じいるところはある。

*1:こゝらへん、実際の中世西洋とは違っていて、別に騎士は民を守るとかそんな契約はほとんど交わさなかったハズ。