ジョジョの奇妙な冒険 第23話

 カーズって、籾井勝人のようなやつだな。
 エシディシ、ワムゥときて、トップにいきなり人間(じゃないが)のクズを据えるという構造がなんだかなぁという。アニメシリーズ、第2期があるのかどうかわかんないが、第1期のラスボスにこういうのを配置するのって、やっぱ現代日本の組織のトップも最近はこんなのばっかだよね?というスタッフからの問いかけのような気がする。奇しくもそういうのが今日本の中枢に居座ってるし。
 でもって、ワムゥの最后がなかなかのもんだった。×憐れみ→○敬意であるという流れにちょっと考えさせられた。例えば募金だのヴォランティアなんかの動機は憐れみ主体だよね?。対してワムゥがシーザーに示したものや今回のジョジョがワムゥに示したものは敬意であるってことなんだけど、そのへんお互いの位置関係を想起させて面白い。おそらく憐れみではないという台詞で、?となった視聴者は多いと思うんだが、というか視聴者はそう思うだろうという脚本(原作者)の想定が前提としてあるわけなんだが、日本人ってのはというか、最近の日本人は経緯を知らず、憐れみの概念しか知りえていないという主張なんだろうなと思ってみたり。
 そして、カーズのようなクズにエイジャの赤石を渡すまいと努力しているジョジョたちの姿は、そのまゝ、自民盗(安倍)のようなクズに権力をあっさり渡してしまっているうすらバカな日本人への抗議のメッセージとしか思えないんだがな〜。