ちはやふる 第11話

 なぁんだ、勝っちまうのか。
 とはいえ、これは盛り上がる。モーパイとの比較がどうしても気になってしまうのだが、いやなんつーかね、そりゃ視聴者に夢を見させるって目的があるから、この作品はこれでいゝんだけど、こういう才能と精神主義って、日本が先の大戦で一番反省しなきゃならなかったことなんじゃね?。まだ先の大戦のほうが例えば搭乗員の猛訓練による空中戦技量の向上だとか、努力という積み重ねがあったけど、このチーム、初心者は確かに順当に負けていたけど、まともに練習したの一ヶ月未満だろ。なんか真面目な人間はこれ見て「やってらんねーヨ」とか思わないんだろうかね。
 しかし、太一のリーダーとしての成長とか原田先生が感心しなくともグッとくるねぇ。男子三日あわざれば刮目して見よなんてのが説明されなくとも浮かんでくるよ。初心者二人も他の選手の立ち直りのきっかけを与えて退場だし、肉まん君も今までの履歴を振り返って生まれ変わるという姿だし、千早は千早で神懸かった落ち着きぶりでのかるた描写でなんとも美しいシーン作り。こういう感情に訴えかける仕掛けは煽動になるのでちょっとアレだが、モーパイのシーンと比べると、たしかにこちらのほうが泣ける。
 泣けるんだけど、結局こういう描写をしてしまうと、優勝以外はどれだけ努力してもクソという構造を作り出してしまう。海外だとこういうのはどう受け取られるのか結構気になるねぇ。前に中国では日本の部活動のようなものはなくって、勉強ばかり…なんて某巨大掲示板まとめサイトのエントリーを目にしたんだが、中国あたりだとスポーツは体育を専門にしている学校があるだろうし、欧米だと授業は午前まで、午后は基本放課で、スポーツはやりたいものだけがやっているなんて環境らしいから、なんか棲み分けなんてのがなされてそう。でもまぁアタックNo.1が海外で放映されてバレー少女を生み出したなんて例もあるので、案外日本のような価値観も受け入れられているのかね?。わからんけど。
 で、日本はおろか、おそらく世界中でカネ持ちの収奪によって雇用問題が深刻化しているわけで、仮に中高生時分に感動を獲得してもその後の人生はみんなくら〜いってことになって、なんか見果てぬ夢、それも人生に必ずしも貢献しないかもしれない遊びごとで夢を見させているような救えない状況になりはしないか?なんて心配をしてしまう。まぁコネと言ってしまえばアレなんだけど、このような繋がりがその後の人生でも重要な繋がりとして有効に働いていくって部分もあるだろうし、なんともねぇ。で、先天的な運動能力や支援体制の多寡によって大きく伸び幅の違うスポーツよりも、初期投資がほとんど要らず、ある程度の才能に左右されないわけでも無いだろうけど努力でなんとか技能を向上させることができるかるたのほうが公平なのかもとは思うけどね。海外と無益な対戦をするわけでもなく、文化性そのものでもあるし、年齢に関わらず楽しめるってわりとおだやかっぽくて罪が少ないような気はするよね。まぁ競技人口が少なくて欲まみれの構造にまだなってないって部分が大きいからのような気もするが。