咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A 第11話

 呉起に膿を吸い出してもらった兵士の末路を思い起こさせる。
 うーん、今までの扱いからするとなるほどではあるんだけど、正直千里山女子…というより阿知賀の脇を固めるキャラたちがこれほどまでにクローズアップされるとは思わなかった。次回最終回ということなんだが、準決勝の先鋒一人にコレだけの話数をかけるんだったら、準決勝が終わるまでにあと3話での全15話ってのはありえないんで、もうプラス1クール、つまり12話ぐらいあってもおかしくなさそう。まぁ準決勝の終わりまでアニメ化するというのも推測でしかないんだが、かといって準決勝の途中で終わりってのもね〜。
 いや、自分も日本人なので今回の話運びには泣きが入ってしまうんだが、でもこういうのをもちあげるのはヤメにしないといけないと思うんだよね〜。チームメートの優しさが園城寺を死地に追いやるという皮肉ってのがね。しかも今の日本って上層部は部下に対して思い遣りもなんにもないのに、部下に自己犠牲・自己責任*1を押し付けてるもんな〜。こんなんが美化されてしまうとおんなじことの繰り返しで上層部をつけあがらせるだけだろ。
 これだけ組織論的言説を開示しているんだったら、でも原作者はわかってやってるはずなんだよね。園城寺の病弱設定を死に絡めて利用するんじゃなくて、素直にチームメートの気遣いが園城寺の技能的成長に繋がるとかそういうのにしとけばいゝのにと思ってしまう。そりゃいくら悲劇的な描き方をしていても、この作品で死人が出ることはまずありえない(どう考えても視聴者がドン引きする)からそのへん安心してよいのだが、あの描き方は死ぬかそうでないかというのを明らかに演出しているし、そもそも勝負を盛り上げるために死の悲劇性を意図的に利用しているだろ。
 しかも「すばら」の人で先鋒はエースがという説明がわざわざなされているから、園城寺は「名ばかり管理職」の記号でもある。大会規定がどうなっているか細則がわかんないのだが、点数が飛んでも意識が飛んで試合続行が不可能になってもおそらく次鋒以降の局はやらずにそこでゲームは終わる。そういう追い詰められた状況で園城寺は無理をしちゃってるわけだ。思い遣りが連鎖して組織がうまくいくという作風からするとちょっと毛色が違うんだよね。
 というわけで、この自己犠牲は場の盛り上げには使われるが、おそらくなんらかの否定が伴うんじゃなかろうかと予想して次回最終回を待つことにしたい。

*1:自己責任というより、上司の失敗の責任が部下に押し付けられる