今日はたまゆら曜日

 なんか今日視聴した第4話があまりに面白かったので、なんかエントリーするのも憚られるのだが、バカをあやつれ!を読み終わった。密林の書評だとあまり評価が高くなくて、前半は見るべきところがあるが、後半は「激安」とかあって、どうなんかな?と思いながら読んだ。が、自分的にはあの表現はわざとやってるとしか思えなくて、激安とはいってもそれなりにメッセージ性があると感じた。で、今なぎら☆彡ツイスターを読んでいる。まだほとんど読み進めていない状態なのだが、これも寂れた田舎町が舞台だ。
 この人が書く舞台はそういうのが多いのか?。町に産業はなく、あっても利権絡みの発展性のない、むしろ町を食い荒らすが如きものであって、町民はその日暮らしの概念しかなく、娯楽に飢えているってのが見て取れる。ばかをあやつれのほうだと、あきらかに住民は徹底的な「消費者」であるという認識だ。そして田舎だけでなく、都市部も住人の荒みようは同等という印象を受けた。ほとんどの自治体がこうだというつもりもないが、こういう自治体は多いんじゃないかと思わせる。結局資本家はなぜ金儲けをするのかの自覚がなく、たゞ自己増殖のためだけに他者を犠牲にして町を崩壊させているという現実があって、じゃぁ住民がその中で格闘してなんとか自立していこうというという姿も描かれない。まぁ住人の中にも意識的になんとかしていこうというのがいないわけでもないのだろうが、日本全体が下降線をたどっている以上、彼らの努力は徒労であり、多数派でもないだろうからリアリティに欠けるのだろう。小説とはファンタジーなのだからせめて夢ぐらい見させてくれてもよさそうなのだが、夢に浸りすぎて現実を見失っても本末転倒だしな。
 でも正直「どこで崩壊を止めるか」というより、「どこで崩壊が止まるか」でしかないんだと思う。自分がいくら筋を通そうと我慢していても、他人がそいつ自身の我欲を満たすために背中を撃ってくる状況だと、耐えるだけでは自分が消耗するだけでなく、我欲満開の他者を肥え太らせる結果にしかならないという現実があって難しい。もちろん、我欲まみれの連中はカメムシをビンかなんかに閉じ込めて振ってみると己の出す悪臭にカメムシ自身がやられて死んでしまうように、我欲が強すぎるがゆえに自滅することもあるのだが、それまでに罪もない他者を巻き込んで迷惑をかけ通しになる。結局のところ子鼠・ケケ中改革で国民を犠牲にして財界の便宜を図ったけれども、結局5〜6年経って結果が出てみれば製造業は軒並み赤字で、中韓にやられて今後の展望も見えない状況だ。これは先の大戦で有害な大本営が自分たちの失敗を糊塗するために若者を特別攻撃隊という自殺兵器で命をすり潰し、でも戦局が好転することは一度としてなく、敗戦を迎えて軍部は一切責任を取らずに自民盗などの特権階級として生き残った構図とまったく一緒だと思う。たまゆらを見ていて、今回の大崎下島があまりに別天地のように写ってしまったのだが、なんだろ?、あの島だって経済的に本当に自立しているのかどうかもわかんないし、きれいなところだけ切り取っているんだったら、やはりファンタジーでしかないのかなとも思う。かといってギスギスした状態を打開するために個人でやれることってのはあまりに微量でしかなくって、激流に逆らっても消耗するだけで、なんかめげそうになるんだよな。