花咲くいろは 第8話

 蓮のあがりようにはビックリだな。
 緒花やみんちーがひいきにダメ出しゝてたが、自分なんかは蓮がもっとしっかりしていて、ひいき提案にNoを突きつける展開なのかなと思っていたんだけど…。必要とされて喜ぶなこちーとか、徹を呼びに行くのがみんちーではなく緒花であるとか、見どころたくさん。
 いやー、自分が大学生の頃「美味しんぼ」が流行っていて、アレのパターンの一つが、覆面記者へのおもてなしが話を盛り上げる要素になってたんだよな。覆面記者というよりは料理評論家とかそんなの?。まず寂れている料理屋に料理評論家とやらが来て出されたものにケチをつける。そしてその場に居合わせた新聞記者である主人公山岡が難癖つけられた料理屋の側に立って新メニューによる巻き直しを図る。で、その料理評論家を唸らせるような料理を考え出して撃退するという流れ。まぁいろいろなヴァリエーションがあって他のキャラが絡んできたりするんだけど、あの当時は勝負という形が好まれていたせいか、料理評論家に対する特別扱いって構造があまり批判を受けることがなかったような気がするな。大体出てくる料理評論家ってのは雑誌に「こんな料理を出しやがって、雑誌に悪評を書きたてゝやるぞ」ってなヤクザ根性の持ち主になっているわけで、今考えるとバブルの頃ってこういう構造がよく容認されてたなと、複雑な気持ちで振り返ってみる。
 まぁバブルの頃ってのは、よくあんなことが罷り通っていたなぁと思うようなことが山ほどあって、また、そういうトンデモ商売がまともな商売を駆逐していった時期でもあった。そのあと起こるバブル崩壊でも、当時の経営者はデタラメな経営をあらためることもせず、「バブルの夢よ、もう一度!」という他力本願なのがいっぱい居た。不良債権処理の重要性が声高に叫ばれていたが、あのときのデタラメな経営の後始末を税金で尻拭いしろというものであり、クズ経済学者が「あのときに不良債権処理をしていれば日本の失われた10年はなかった」なんてホザいているが、不良債権処理という名の放漫経営の尻拭いをあの時していたとしても、より傷が深くなっただけということが今振り返ってもよくわかる。しかもあのときデタラメな経営で生き長らえてきた企業が、やはり商売の基本に立ち返るというふうに頭を切り替えることが出来ず、泥縄式に実施したのが「リストラという名の馘切り」だった。経営の失敗を従業員を切り捨てることによって処理したのだ。しかもそういうことを行った企業に限って、企業自体が優秀な人材を切り捨てたり、優秀な人材が企業を見限ったりして、より体力を失っていったのだ。そして生まれたのがブラック企業群になる。
 この作品で面白いのは、喜翠荘がもとから商売の基本を忠実に守ってきたと思われる点だ。いわゆるマーケティングというものとは無関係に見えるのだが、客集めのための浮付いた手法を取り入れておらず、実際に客も集まっていない代わりに、おもてなしを評価してくれる常連客がいくらかいるらしい。財政状況は厳しそうだが、なんとかつぶれずにやっていけているという設定が(リアリティがあるかないかは別にしても)よく考えられている。おかみさんも仕事には厳格だが決して理不尽を従業員に押し付けているわけでもなく、従業員のほうもカネ目当ての志の低いのがいない。給料は安そうだが、従業員もむしろ喜翠荘で働くことが喜びとまでは言わなくとも落ち着ける場所として認定しているらしい。Working!とはまた違った意味での理想の職場といった感じだ。
 そして縁と祟子がまた怪しいのだ。バブル時期からコンサルという職業が勃興してくるわけなんだが、祟子がまたあの時期のコンサルを思い起こさせる。経営コンサルタントなんて、バブルの時期はデタラメなことを言っていても大抵は儲かったから、とにかく目立つことをアドヴァイスしていた。MBAだとか最新のトレンドとかに染まって、景気が良かろうが悪かろうが実効性があるというものではなく、とにかく理論をどっかからかっぱらってきて、思いつきで献策していた。まぁバブル崩壊後、コンサルはやれ成果主義だのリストラだのとにかく費用を削ること=人を切り捨てることしか言ってこなかったワケだが、それは別にして、祟子はあの時代の勘違いコンサルを髣髴とさせる。で、おかみさんがあのコンサルをまともに相手していないという描写が、こゝ失われた20年の総括といったところなんだろう。
 で、この主張が決してネガティブなものではなく、これからの世代に向けての指針になっているのが明るいところ。たぶんではあるが、これ、最近のアニメ作品によく見られる、実年齢のキャラを低くした設定だよな。巴はまだ一致度が高く、20代後半から30代前半。徹がそれより上、蓮がそれより上だろう。電六は60〜70代、みんちーやなこちーは20代であり、緒花はもちろん新米社員。ヒロインというか主人公が高校生の設定ではあるが、それは視聴者を獲得するための方便であり、この作品自体就職したての新入社員向けだわな。おもろいのが、(多分)団塊およびポスト団塊がいないこと。強いて言うとすればおかみさんがその世代にあたるかもしれないんだが、彼女の性格付けはあきらかに団塊の世代およびポスト団塊のメンタリティとは違っている。なんつーか、この作品は50代を最初っから相手にしてないんだわ。まぁあとから50代(もしくは団塊を含む60代)の出番があるかもしれないのだが、どうも50代は社会の構成要素として認めていませんよという主張がこの作品の暗黙の了解になっているかもというのは頭に置いておくとよい。