星空へ架かる橋 第3話

 寝癖だといってくれゝば…って、盗み聞きしてたろ。
 いや、ホント、なぜか涙腺緩みっぱなしで始終視聴してた。なんというか、逆に一馬が気を遣っているという指摘の場面ではそうでもないんだよな。こよりがドロンと言った時に円佳が目を伏せるとか、歩発熱の折一馬が初に鞄をもたせるとか、それで初が鞄を持つとか、饅頭をパクつく初を笑い飛ばすとか。別にこれ見よがしな行為ではなくって、むしろ気付かずに流してしまうようなことなんだけど、これら全部他人を気遣う意図があってのもの。そして気遣ってもらっている当人も、そういう配慮をしてもらっているとある程度自覚しているからこそ相手に好意を持っているという構造になっている。そういうのをクドクド説明せず、むしろ淡々と描写して気付く人には気付いてもらうってのがね、いやはやなのですよ。もちろん詳しく説明(描写)してみせて見るだけじゃわからない人にも配慮するというものになっている。
 というわけで、なんか本作ってのが何を目的としているのかゞまだまだ不明だな。一馬が誰かを選ぶという形でエンディングを迎えるんだろうけど、たゞのラヴコメではないっぽい。もちろんこのハーレム状態から一馬は誰を選ぶのか?というだけでなく、一馬を獲得するのはどのヒロインなのか?という構造にもなっている。雑破業の脚本作品を振り返ると、どうも女人禁制といった印象があるのだが、本作はちょっと違うような印象を受けた。まぁさすがに一馬のありようは雑破業というより原作準拠なんだろうけど、ヲタクが自分を投射しやすい主人公じゃなくって、むしろイケメンっぽいんだよ。だからといってリア充か?と言われゝば、それも違う。視聴者というかプレーヤーに「女にモテるためには最低このぐらいの配慮ができないとダメなんですよ」という縛りを設け、それ以外の要素はプレーヤーの個性にお任せしますよといったもの。視聴者は物語の進行と共に女にモテるための優しさを学習しながら物語に入り込んでいく。ある意味巧妙な教育アニメではあるんだよな。で、それをそれと気付かせない脚本にしてしまうところに敬意を表さざるを得ないと思う。女の側はむしろ今までの女もプレイできるエロゲギャルゲの構造になってる。いくつかのタイプを登場させてるから、どれか1人ぐらいにはあてはまるだろ?、そいつに自分を重ねて見ろよってな感じだ。男の視聴者にも女の視聴者にもありうべき男性像・女性像を提示しているといったところか。だから、本作の目的ってのは、穏やかな気遣いを描写して見せる「癒し系」アニメの提供なのかな?と思ってみる。ホラ、気遣いの意図がわからなくっても、視聴してたら和むじゃない?。