フラクタル 第10話

 フリュネとバローってのは、要するに統一協会合同結婚式で一緒になった夫婦ってトコだろうな。
 いろいろな要素が散りばめられていてオモロイな。僧院ってのが庶民を徹底的に見下していて、そしてその庶民がいかにも愚民であるという描写になっていた。そして、この愚民ってのは現代日本で言うとそのまゝ東京都民の姿と重なる。先日エントリーに上げた藤原直哉言うところの、東京一区の愚民だよね。大震災が起こって、まず何が必要か?、増税だとか、原発を再稼動させろといった、あの東京一区の代議士を当選させたあの愚民。もちろん石原慎太郎を当選させた東京愚民もそうだよね。上からフラクタルシステムというものを与えられないと何もできない庶民の姿に対して、ロスミレはむしろ地方民にあたるのだろう。フラクタルに依存しなくても人はやっていける根拠をフリュネは祭司長に示さなかったわけだが、ロスミレと一緒に生活してそういう見通しは得られなかったんだろうか?。もしくは敢えて祭司長にはそのことを言わなかったか。
 ディアスのキャラもオモロイな。物語的には彼は嫌われモノとして描かれているわけなんだが、状況判断に優れ臨機応変に対応できる、徹底したリアリストなんだよ。というか、彼を関わらせることによって物語にスピードが得られているわけで、あれだけ能力の高い人間が在野に埋もれてるもんかね?という疑問はある。あぁいう性格であれだけの実力を持ってたら、大抵大組織にもぐりこんで素早く出世してそうだが。
 あと1話か〜、どう考えても僧院を倒してフラクタルシステムが崩壊して、課題は山積しているが一から生活を作り直すエンドだと思うんだが、そうであってもそうでなくても次が楽しみ。
 あ、そうそう、目印ネッサは結局死んじゃってたのね。ドッペルネッサも触れる人と触れない人がいるという形になっていて、まぁそれはそれで伝えたいことがあるのはわかるんだけど、どうなんかね?。物語の結末としてクレインはフリュネもネッサも失うということになるんだろうけど、そのための盛り上げ要素にしかなってないんじゃなかろうか?。あと、フリュネの「自分が見られることに対しての構わなさ」については、どうしても昨日視聴したローズの少女への変化を思い出す。フリュネに関しては、多分少女になる段階も女になる段階もすっ飛ばしていきなり「母」にさせられたということが、あの性格形成に一役買っているんだろうなと…。