そらのおとしものf 第4話

 アストレアがだんだん可愛くなってきたよ。
 しかし、金髪ボインちゃんはバカって偏見をそのまゝ踏襲してるのな。で、バカというよりはバカ正直というか素直に見える。たゞ、ドジで要領が悪いだけなんだろう。しかし、あれだけコケていると近接戦闘が最強ってのがウソに思えるわな。敵の動きを見切って素早く体さばきしなきゃならないわけだろ。つまずくってことは足元の状況をよく見てないし、体感覚も鈍いってことだから、肉弾戦はムリってこと。でも、シリアスな場面での戦闘でそれをやらかすわけにもいかないだろうから、きっちりアクションは見せてくれるとは思う。
 自分はてっきり雪合戦勝利の報酬にニンフが智樹にマスターになってもらうって流れかと、途中で思ったのだがそうではなかった。まぁイカロスもニンフも合戦には参加してないからお願いする資格はなさそうで、実際二人はなんのお願いもしてなかったようだ。五月田根はどうも雪合戦のパワーバランスを考えて二人を排除したらしいってのが窺えて、そこらへんの思慮深さが沁みる。温泉を掘って智樹たちを油断させて相手を内部分裂に誘い込むってのも彼女の考えのように思えるが、ちょっとこれは出来すぎかな。五月田根が賢いのなら作戦段階で勝ってゝもおかしくないし、そはだるまって不確定要素が入っているから、どう考えても脚本のご都合主義ではある。が、これは正しい作劇手法なので別にけなしているわけでもない。
 アストレアに突きつけられた主題が重いな。しかし彼女の陥っている状況ってのは、よくよく考えてみると中高生にはわかんないような気がするんだよな。大体ブラック企業パワハラに遭って、上司の命令なら顧客を騙したり損させたりしても構わないって状況になったら、痛切に感じるだろう。命令とあれば他人を理不尽に傷つけても、自分が食えるならオッケーなんてね、そりゃ普通に考えたら許せないこと。
 でも、こういう主題って大抵アニメに限らずドラマでも繰り返して主張されており、今までの日本だとダメだとわかっていてもそれをやりきるのが大人だという結論をずっと押し付けられてきた。食うためには人を傷つけても構わないと。だめだとわかっていてもそれを我慢するのが大人なんだと言われつづけてきた。が、日本の失われた10年どころか、20年を振り返ってみると、そうやって他人を傷つけ、自分が我慢することで社会は良くなったか?、他人を傷つけた分、自分も他人から傷つけられることもあるわけなんだが、それもお互いさまと許しあえてきたか?と考えると、どう考えてもおかしいと気付かなくちゃならないワケだ。他人を傷つけても奪えと言った上司は結局どうなったか?といえば、部下にそういう役を押し付けて自分はのうのうと私腹を肥やして来た。そしてその肥えて蓄えた権力を使って、決して自分は我慢する立場に立たずに来たワケだ。我慢しなくて良かったはずのバブル期ですら、顧客のために営業が理不尽なことをやらされたり、他人を騙して利益を貪るってこともやっていた。そして下っ端に我慢させ続けてきて、やはり経済状況は悪化するばかり。それも先進国では日本だけ成長してない。結局下っ端に「我慢して理不尽に耐えるのが大人である」って言ってた事は、特権階級のおためごかしでしかないってことが戦後60年以上もたってようやく思い知らされたに過ぎない。
 で、智樹がアストレアに問いかけをし、イカロスがアストレアを止めはするがアストレアをぶちのめしはしないし、守形がアストレアに問い詰めはするが彼女の置かれた状況を理解して飯まで与えるってところに優しさを感じるんだわ。他者に理不尽を押し付けて我慢しろという側は問答無用でやらせるが、智樹たちはあくまでアストレア自身に考えさせて無理強いはしない。で、アストレアがいゝ娘に描かれているのがミソで、彼女がすんでの所で思い留まり、智樹たちの働きかけに対して思い悩むワケだ。バカなはずのアストレア*1が考える態度を示すところに今回のメッセージが込められていると感じた。現実にいる大方の人間は無茶ブリな命令に従うのが大人だと自分で自分を納得させて、智樹の首を刎ねるって実例がわんさかあったと思うんだよ。が、これからは本当にそれでいゝの?って問いかけ。前述の通り、別にこの作品だけじゃなくってずっとこういうことはいろんな作品で主張されてきたことなのだけれども。

*1:エンジェロイドなんだから、EDのように鍛錬は必要無いハズ。しかも鍛錬で辛さを感じるハズも無い。でも奮励刻苦してまで鍛えた能力をアストレアよ、何に使うのだ?という問いかけになっている。