閃光のナイトレイド 総評

 あらかじめ言っておくと、かなりだらだらした駄文になると思う。ご承知の程を。
 うーん、結末はアレなんだが、さて、この作品が主張したかったこと、即ち結論ってなんなの?と考えた時に、実はそれなりに見えてくるものがあったと思う。まぁ原爆云々の話が出てきてから、この作品は仮想戦記モノにはしないんだろうなとはわかっていたので、陳腐に見えようともある程度の意外性を確保しつゝ、歴史を改竄しない〆にするという方向性だったのだろう。前にも述べたが、欧米列強の交渉相手としての資格が高千穂勲には著しく欠けており、そもそも彼が原爆を保持していた所で上海に落とすとは到底考えられない。だから、陳腐なストーリーはあくまで(物語を終えるための)ネタでしかなくって、主張はそれとは一歩離れたところにあると思っている。
 では、本作の結論というか、主張とは何か?と考えた時に、現時点で自分は大きく2つあると考えている。一つはアジアの連帯、もう一つは核兵器の有効性*1だ。
 では一つ目のアジアの連帯なのだが、これは頭山満の登場の回でクライマックスを迎える。で、これは前にも述べたとおり、構図としては現代にも大いに通じるところだ。さて、マスゴミが媚米売国派の主張を垂れ流す現代においては想像もつかないことだと思うのだが、戦前の日本はアジアの連帯を真剣に考えている人がいた。例えば孫文だって日本に亡命していたし、インドやビルマ独立運動家も日本に滞在していた。それこそ本作の大きな舞台装置になっている満洲国とか、その後の中国への戦線拡大、対米戦争突入後のアジア各国の占領など、日本が国としてアジア侵略をしてはいたのだが、日本を結果として滅ぼしたキチガイとは別に、割と真剣にアジアの連帯を考えている人が知識人だのちょっとした有力者だのにいて、アジア解放を夢見た人々を支援していたりしたのだ。もちろんアジアを欧米列強と同じように喰い物にしようとする国策に反するわけで、そんなに大っぴらに支援していたわけでもなさそうだが。
 日露戦争で、南下政策をとりアジア各国にとっては脅威であったロシアを撃退した日本に期待を寄せたり、対米開戦後も破竹の進撃をした日本軍に友好的だったりしたわけだ。終戦後も独立のために働いた日本人もいたそうだ。だから、今でもその経緯を踏まえて親日的な発言をするアジアの政治家なんかゞいたりするわけなんだが、戦後の媚米ぶりに警戒心を解けない複雑さも持ち合わせている。アジア通貨危機も欧米のハゲタカがアジアを喰い物にしたのであり、現代でも大局で見てアジアvs.(欧)米という構図は変わらない。日本人の劣化ぶりに心配の念を表明したマレーシアだかシンガポールだかの大臣がいなかったっけ?。まぁどっちにせよ、日本は戦前と比べてもアジア軽視の度合いが強く、何かを見失っているのではないか?という問いかけをしているのが一つだ。これは本作に登場するアジア人に対しての蔑視表現が全く見られないというところからも窺える。
 さて、二つ目なんだが、核兵器のもつ有効性だ。これは高千穂勲の台詞にあったように、身内が傷つかなければ自分のことゝして考えないってのがあるだろう。これは明らかにヒロシマナガサキのことを踏まえている。日本は唯一の被爆国だからこそ反核をとなえているのだが、逆にその行動が決してこの世から核兵器がなくならないことを示していることや、核兵器がそれほど有効であるということを証明してしまっているってのが逆説的だ。被爆者が無くせと言えば言うほど核兵器は無くならないという皮肉。これはもちろん現代にも通じる。いくら日本が軍隊を保持しないと強弁していても、現に自衛隊ってのは軍でしかありえない。いくら日本が核兵器を持っていないといっても、在日米軍が持っている事は明らかで、いざとなったら数日で日本も核兵器保有できるのも厳然とした事実だ。この作品で、高千穂勲が国際交渉の代表としての資格が無いからちゃんちゃらおかしいと述べたが、彼に物語上の代表権を与えてしまったら、どう考えても持っている核兵器を実際に使う描写をしなくてはならず、だからこそ代表権を持たされていないという設定になっているのだろう。そして、上海が投下目標ってのも、彼が代表権を持ってたら絶対にそんな事はしない。インドの独立派が背後にいたらインドの総督府近辺に落とすだろうし、日本が背後に控えていたら、そりゃ真珠湾に落とすだろう。上海に落としたら、それこそ欧米に「自分のところに落としやがって、アホだろ」と思われるだけだ。当時のアジアが欧米に伍するためにはそりゃ核兵器ぐらいのネタが無いと相手にしてもらえないだろうし、そしてそんなのはアジア最先端の日本の技術を持ってしてもムリ。それが仮定にせよ核兵器をもたせて、しかも賢い交渉なんてこの作品でしてしまったら、途端にアジア解放のリアリティが増す。だから敢えて陳腐な結末にしたんだろう。
 というわけで、やはり結末は荒唐無稽であっても結論自体はそれほどダメでもない。たゞ、そういう現代情勢とも重なる状況に気付けるかどうかによるものだと思った。あと、この作品では自分が第1話で感じた「弱者でも才覚を発揮してなんとかやりくりしていく」ってのは、消化不良ながら描写はされていたと思う。桜井機関の能力者4人(棗は生き残れなかったが)、風蘭が持ち前の性格で料理店を切り盛りしているところ、それこそ高千穂勲が原爆をネタにアジア解放を欧米に迫ろうとしてたなど、結果はさまざまなれど、生き延びつゝ、できる事は精一杯やれって主張を伝えようとしていたと思う。
 とまぁ、全体のストーリーを見てみるとしおしおではあるのだが、抽象度を上げて主張をみたときにはそれほど悪い出来とも思えない。後半はむしろわざとストーリーをダメにしているんだろうなとすら思える。自分的にはこの作品は頭山満の回でほぼしゅーりょーって作品だったんだろうなと思った。核兵器に関してはそんなにヒステリックに否定すんなよ、そもそも石原莞爾の最終戦争論通りになっているし、世界で一度ヒロシマナガサキに使われてから実戦使用されて無いだろ、で、核兵器は今後絶対に使用しないって言ってんだからサァぐらいの主張なんだろう。
 で、音楽は控えめな作りで、作画的にも年配に配慮した*2つくり。桜井機関の4人が若手なせいか若気の至り的なところもあったのだが、基本萌え描写や媚び描写がほとんどなく、後半の流れさえ我慢できれば全年齢的な訴求力はあったと思う。つまり万人にも勧められるという側面を持つから、できるだけ評価を上げたい気は山々なんだが、やはり、多くの感想サイトさんがそうであったように、この展開はポカーン状態を引き起こすだろう。自分的には主張の熱さを大いに評価したい。おもろ+。

*1:抑止力と断定してしまっては範囲が狭まる気がする

*2:あぁ、雪菜の描写がよかったな。最終回の嗚咽の演技がまた素晴らしかった。棒っぽいが、けなげな様子がよく表現できていたと思う。