三木は三木清、右翼の老人は頭山満がモデルっぽいな。
熱い、熱いですよ。戦前の日本って、孫文の亡命を助けたりして、決して日本中心主義ってワケでもないところがあり、なんつーか、懐の深いところがあったように思う。正気で信じるわけでもないんだが、まだ日本が世界に向けて飛び立つっていう躍動感があった時代かなとも思う。もちろん、今話でも述べられていたとおり、日本としてすごく傲慢な態度が露骨な部分もあったし、山師的なものもたくさんいた。
で、グローバル化の著しいといわれる昨今の日本の態度がどうもね。まぁ'90年代に大流行した自分探しの顛末にもよるんだけど、海外に出ることに夢がなくなったよね。自分も中学生ぐらいの時には世界にはばたくコスモポリタンとやらを目指して、国と国とを繋ぐことで何かやれないだろうかと夢見てたこともあったんだけど、結局招来したのはグローバリズムという名の欧米至上主義と彼らによる搾取構造の固定化だった。いろんな国や民族、それに付随する文化やモノが渾然一体となって同居する、雑然としてるんだけどワクワクするものがいっぱいあるってものではない。画一的な価値観で、カネを媒介とする階級構造がやってきたのだ。
というわけで、この作品がその世界にはばたくことでなんかワクワクする感じを抱かせる戦前のいわば能天気な日本の気質を、今現在持ってくることの意味がなんとなくわかったような気がした。中国でも猥雑な国際都市上海を舞台に持ってきたのはそういうことかと。アジアといえば欧米の価値観とは別個のところにあったはずなのに、いつのまにかグローバル経済に巻き込まれて画一化している。アジア通貨危機の時のようにアジア全体が国際(という名の欧米)金融資本に搾取されたり、アジア同士で競い合わされたり。で、どこの国に行ってもマクドナルドやケンタッキー、コカコーラがあって、その土地固有の物産はいつのまにかなくなってたりする。今話の台詞にあった、理想を語っている段階ではないってのは、今まさに世界というか欧米以外の国々が直面している事態*1なんだろう。だが、夢と嘲られても語るのを止めたらその時点で可能性は0になる。だから老人は高千穂にバカを貫き通せといったのだろう。熱い、熱すぎるよ。
しかし、アジアの代表者が語る共通言語が英語ってのが構造として泣かせるよね。当時の植民地は当然宗主国の言語を公用語として使っていたであろうし、いくら日本がアジア一の大国であろうと、中国の人口がアジア一であろうと、日本語や中国語で会議がもたれていたとも思えない。だからといって英語を敵性語として排斥するのも馬鹿げてはいるのだが。
で、今回はキャラ達の物語はそこそこに、むしろあの当時(むしろ現状)の説明と高千穂勲の理想がメインだったよね〜と。ストーリーとしては物足りないんだけど、主張そのものが濃くって、自分にとっては嬉しい不意打ちでしたよ。
*1:言わせてもらえば、あの茶館での会議で述べられていること全部が、昔ではなく、今、まさにアジアが直面している問題だったりする。