セキレイ Pure Engagement 第5話

 先生、我が本妻のはずじゃの先生は、極楽院櫻子のことか。
 このもたもたした感じがこの作品の特徴だということに慣れてきたよ。作者が女性だということなんだが、いちおう原作は男性向けなんだよな。だが、もしかすると女性向けなのかもと思えてきたよ。
 理想の女性像は男性のほうが想像しやすく、理想の男性像ってのは女性のほうが想像しやすい*1…だから女性である原作者はむしろ理想の男性像を描いて(しまって)いるのでは?とも思うのだ。で、実際には甲斐性があるとも思えない皆人がなんで理想の男性なのか?って疑問は当然湧く。
 普通の少女漫画だと、大抵イケメンの男の子がいて、冴えないヒロインが彼のハートを射止めるってのが古典的構図だ。まぁこれは昔話のヒーローが困難を解決してご褒美として格の高いお姫さまを獲得するのと等しい。対象のスペックが高く、そのスペックに憧れて喰おうとする構造だ。
 が、この作品のヒロインはよくよく考えてみると少女ではない。草野を除いて、ほとんどが自分の本心を隠して対象をよく観察しているという大人の女*2だ。大人の女が見かけのスペックではなく、男のどこを見ているのか?というところに気をつけてみたい。
 で、他の葦牙はどうも鶺鴒計画の勝者になることが目的であって、皆人(もしくはユカリ・瀬尾)はあまりそれにこだわってない。勝者になることを放棄しているわけでもなく、でも計画に巻き込まれているのは鶺鴒たちを助けたいという一心だ。皆人グループ以外の葦牙は勝者になることが主で鶺鴒は道具であるのに対し、皆人グループは勝者になる事はどうでもよく、鶺鴒との人間関係を主としている。これは仕事にかまけて家庭を顧みない夫と、仕事なんてほどほどにして家庭での時間を大切にする夫の対比と構造が似ている。金持ちだが妻をほったらかしの夫と、貧乏だが妻を愛してくれる夫とどちらがいいですか?という選択だ。
 しかも、松が今回明らかにした通り、皆人は幸せになる鶺鴒はタダ一人という構造そのものをぶち壊してくれるという可能性を持つ。これは昨今の規制緩和新自由主義などの、競争第一勝者は一人ってのを批判しているようにも思える。もしかして皆人は頭がいゝのに大学に落ちるのは、その類稀なる頭脳を相手を蹴落とすだけの競争に使いたくないってのがあるからなのかね?。というか皆人がそれを意識していなくても原作者がそういう構図にしているってことなのか?。
 ま、そんなわけで、攻撃性のある男に女は本当に惚れるのか?って点を考えながらうだうだ述べてみた。本当に女が「優しさ」の部分に惚れるのかどうかは別にして、いやいや、皆人が頼りない描写ながらも、鶺鴒たちが彼の芯の部分に惹かれるのは納得だわなというのを感じた次第。

*1:理想化されている当の男性・女性自身はありえねぇと思っているとは思うんだが…

*2:意外なように思われるかもしれないが月海だってそう。ただ、彼女はバカなので本心ダダ漏れであるというだけだ。