最終回としては可も不可もなくといった感じか。
えーっと、整理すると、グリードの最期、ホムンクルスの最期、エドワードの真理の最期、ホーエンハイムの最期か。いや、こうやって書き出してみると結構処理しているな。で、詰め込み感がないのは素直に素晴らしいといっていいのかな。
グリードについては、やはり強欲を捨てることによって他者から承認されるという、属性とは反対の行動をとるといった構成だった。いささか軽い扱いのような気もするが、Aパートのヤマ場としては十分。
ホムンクルスの最期については、彼の最期の追い詰められようはなかなかのものだったかな。彼が戦いの最期に切望した賢者の石についても言語化されており、ここらへん視聴者の全対象に優しいつくり。もうちょっと与えられた絶望とやらに深みを持たせて欲しかったような気もするが、尺を考えたらこのぐらいが適当だろう。
エドワードがアルフォンスを取り戻すくだりは、なんか釈然としないものを感じた。父親が命を差し出す様を提示しているわけで、これはエドワードが自分の命を対価にアルフォンスを取り戻すと思わせるミスリードであることはわかったんだけど、で、正解ってのがエドワードの真理ですか…。じゃぁそれなら、エルリック母を取り戻すのに、エドとアルの真理を差し出しゃぁ実現できてたのか?と、無理目なツッコみをしてしまうそうになる。錬金術がもたらすモノを考えると、確かにそれを失うってのはたいした対価ではあるんだが、なんか軽すぎね?。
前にも書いたような気がするのだが、
人間は、本当に欲しいものを、誰かに与える(プレゼントする)ことを通してしか、手に入れることができないのである。
というフレーズがあり、これは結構本作の重要なテーマではないのか?と思っていた。初めは内田樹のブログ
とりあえず安定だよね - 内田樹の研究室 魚拓
で目にしたし、幸田露伴も言っているらしい。
本当に欲しいものは、それを誰かに与えることでしか手に入らない:幸田露伴『努力論』 魚拓
が、本当の原典は、両リンクにあるとおり、どうやらレヴィ・ストロースということらしい。
で、今回グリードを見れば、これが見事にあてはまっているのだ。彼が本当に欲しかった仲間からの信頼は、彼自身が自分の身を犠牲にして(強欲を捨てて)仲間のために尽くすことによって得られた。
が、エドワードはどうだ?。アルフォンスを得るために、彼が捨てたのが錬金術の知識だ。いや、この作品のそれこそ明確なテーマ、「対価」って観点からすると、あまりに軽すぎ*1るような気がした。確かにエドワードの持つ錬金術の知識は、かなり有益なものではあるのだが、でもエドワード内で完結している彼独自のものであって、それが生み出すものは他者に何かを与えたりするのではあるが、それそのものを他者に与えることは出来ない。しかも、彼自身が錬金術なんて厄介なものと言っており、それを失うことでかえって身軽になるとさえ感じるのだ。いらないものを捨てるのがそんなに偉いことか。そもそもこの長い苦難の旅の窮極目標が彼ら自身の体を取り戻すことであったわけだからして、いや、確かに知識を失うことは対価を払ったことにはなるのだが、あまりに安すぎね?とあっけにとられた。もともとハッピーエンドにするという結果があった*2にせよ、それに繋がる理屈付けに苦労したのはわかるのだが、ドラマとしてはあまりうまい解決方法だとは思われない。
で、ホーエンハイムの最期は、あれはあんなもんかなと。EDで彼の生涯が走馬灯のように流れていったが、これは良い演出。
というわけで、悪くはないのだが、なんか一番の要所で無理をしちゃったねと。そのおかげで画竜点睛を欠いたかなというのをひしひしと。なんかもったいないというか。