干物妹!うまるちゃんR 第10話

 海老名、勉強が苦手なのではなく、テストが苦手なだけでは?。
 友達関係てんこ盛りの回。一度はうまるに恥ずかしいと言わせるほど。個人的にもそう友達であることを何度も確認しなくても…とか、友達症候群にこだわりすぎとも思うんだが、なんでこんなにしつこくこの作品は主張をするのかと思っていたが、ちょっと思い当たった。うまるはともかく、他のヒロインズ3名はコミュ障で、最初はいろいろトゲがあってもいま友達ができて幸せそうなところを見ると、要するに「コミュ障こそ友達を作るメリットが大きい」ということを言いたいのではないかと。まぁよく考えたらコミュニケーション能力があるんなら、友達はいなくても世の中一人で渡っていけるよねと。ヤンジャンはともかく、アニメ視聴者層はコミュ層含有率高そうなので、スタッフが数ある原作のエピソードからこういうのを選って構成しているというのならそれが目的と考えるしかない。で、今それなりの完成形が得られているわけだが、これも文化人類学的にいえば贈与の連鎖ってことになるんだろうね。
 なんやろ?、この作品とまほよめを比較したら、こっちは典型的な萌え作品のスタイルで、まほよめのほうが大人向けって感じなのに、それでもこの作品に自分がより惹かれてしまうのは、おそらくこの贈与の連鎖部分なんだろうという気がする。あっちは結局対価対価ってうるさいから、そこに息苦しさを感じているんだろう。贈与の連鎖も対価の考え方でも財が移動する過程としてみれば等価なんだけど、贈与には余裕が感じられるが、対価という奪い合いにはギスギスしたものを感じるという差になる。振り返って今の日本を見るにつけ、そこにあるのは特権階級が庶民から一方的に奪うという行為(これを搾取という)であって、これは対価交換の域にすら達してない。それを特権階級は弱者の自己責任とかほざいてるわけだ。まさかこの作品がそういう現代日本の宿痾に対して贈与の連鎖の提案まで見据えて作られているとも思えないが、しかしそういう構造で作られていることだけでも視聴者にいろいろ訴えかけるものはあるんだなとちょっと考えてみたり。