ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第12話

 ローマ皇帝とやらが話のわかるやつだったからこそ戦争が止まったというオチ。
 明らかにヒロヒトとの対比だわな。大日本帝国も戦争をしたがっていたし、合衆国も日本に手を出させたかった。もしヒロヒトが御前会議とやらで開戦を承認してなかったら、人命が無駄に失われる事は無かったわけで。
 なんかタイムリーなのかどうかわかんないのだが、今日本占領を読んでて、第3巻め日本占領〈3〉 (文春文庫)。いよいよ安保条約のくだりに入るのだが、どうも児島襄によると、合衆国が終戦以来の日本の武装解除はやりすぎで、再武装とは言わないまでも警察力の保持は考えていたらしい。が、日本に合衆国軍を居座らせたいと考えていたのはなにより日本だったということらしい。鈴木九萬の合衆国への書簡によると、

 以上要するに……日本の独立を保障する最良の手段は、一方では米国と特別協定を結んで第三国の侵略に備えるとともに、他方警察力を陸上および海上において増大するにある。
 国際連合が憲章の規定に基づきちゃんと動き出すようになるときまでは、日本国民は米国によって国の安全を保障されたい、と希望しているものと思う。

 と、国民が合衆国軍による安全保障を望んでいると勝手に述べている。日本は敗戦によって合衆国軍に占領されているし、勝ち目も無いから望んでも無理なことではあるのだが、決して当時の日本政府は自国で軍隊を持つということを忌避している。そりゃそうだ。また軍部に実権を持たせたら何をしでかすかわからない、とにかく軍関係者は信用ならないってのは当然の判断である。自国の軍隊が信用ならないから合衆国軍に尻尾を振ることがいいのか?と言われれば、とんだ奴隷根性だな、いや売国奴だなと思うのではあるが、日本軍が復活したら、そっちのほうが危険という判断は十分に納得が行く。
 そして、日本軍が何をやったのかというと、盧溝橋事件という日本軍によるでっちあげであり、真珠湾攻撃という日本軍による騙し討ちなわけだ。日本人に軍隊の管理をやらせると、キチガイに刃物の文字通りの意味になる有様である。なにより日本人が日本人による軍隊を信用していないのだ。で、その構造が今回のヘルベチア軍の上層部の考えと一致している。
 そして、日本軍が信用ならないのは過去のことではなく、戦争責任を一切認めず過去を美化する田母神が空軍の最高司令官であったり、非核三原則を無視した密約を正当化する現役自衛官幹部がいたりと、現在もキチガイ自衛隊のトップにのさばっていることを考えると、現在もいつキチガイが暴発して、国民が、必然性の無い戦争に巻き込まれるかわかんないのだ。
 兵隊なんて自分が実際に死んでしまう戦争などやりたくないと思っているのは古今東西、今回の描写でヘルメットを投げ上げる兵隊に見られる通りである。戦争でうわついて喜ぶのは郵政民営化選挙で子鼠政権に投票したB層ぐらいのもので、よっぽどのバカでない限り命を失う選択を喜ぶものはいない。人の命を奪って平気でいるものも、よっぽどの恨みが相手に無い限り、いない。原爆を開発して、それが実際にたくさんの人命を奪ったことを知って後悔したオッペンハイマーのメタファーがノエルだったりするんだろう。
 しかし、なんだねぇ、この作品があまりよい評判でないって印象を受けたんだけど、テーマが重たいので仕方がないかなと思わなくもない。守るべき日常って場面があまりなく、戦災孤児だの、他には複雑な事情を抱えた脇キャラがいっぱい。暖かい家庭ってのは、1121小隊内部の描写がそれに該当するわけなんだが、擬似家族だしな。軍隊は軍隊らしくていいわけなんで、むしろこういう織りこみは評価するんだけど、全体の印象は天真爛漫からはかけ離れている。パンツを露出したぐらいで和みはしないし、かといってそうする必要もない。
 ちょっと残念なのは、伝説と過去の文明を生かしきれていなかったことかな。というか話の根幹部分にかかわるかと言われゝば、要らないといえるだろう。もちろん過去は素晴らしい技術を持っていたのに廃れて維持が出来なくなっているってのは現在の日本の産業のメタファーになっているので、要素として無駄になっているわけではないが、作品が終わってみれば重要度は低かったんだなと思うぐらい。各話は無難にまとまっていて整合は取れているんだけど、パンチは弱いって感じかな。
 まぁそういうわけで、第12話としての感想はほとんどなくて、総評になってしまっているんだが、勘弁願いたい。BGMは非常に良かったし、テーマに沿って考えると寄り付きにくいものを、よくここまで真剣に提示できたなぁとは思った。ただ、あまり人には勧められないかな。評価はおもろ+。