鉄のラインバレル 第24話「鋼鉄の華」

 あ〜ぁ、だから言わんこっちゃない。でも社長はお亡くなりになったのね。
 こっ恥ずかしくなるほど燃え上がってしゅーりょー。ま、ここまで来たらお約束だわな。というかお約束だらけだろ。で、典型的なヒーロー物でありながら、というか、であるからこそ、こちらまで熱くなりました。なんていったらいいのか、昔ながらの展開ながら、ワンパターンで退屈なんて事はなかった。かといって何度も同じ物を見ているから先の展開がわかって「あ、次はアレが来るぞ」ってなものでもなかった。みんなの力がまとまってってのはちょっと冗長と感じたが、これはやっぱ自分の経験によるものなのかな。音も凝っていたし、絵の崩しもなかなか味があって(端正に描かれるとかえってウソくさくなる)、後味の悪さを感じさせなかったように思う。
 さて、正義の味方にこだわった本作だが、主人公の早瀬について振り返ってみよう。パシリだった彼が事故に遭い、「突然」力を得る。で、彼自身は愚直なまでに正義のために力を使うわけだ。途中色々あるのだが、状況に振り回される事はあっても、原則的に信念は揺るがない。で、最後の台詞で、行動に必要なのは力があるかないかではなくて気持ちなんだというのに繋がっていく。まぁ確かに彼(ターゲット層)の成長モノにはなっているわけだ。
 で、気になる点があって、それは前々回、前回で明らかになったように、早瀬の成長のためにすべてがお膳立てされたものであるということだ。物語上の矢島の使い方なんてモロそうだしな。早瀬の到達度に合わせた敵や状況が都合よく現れ、で、そのたびに乗り越えていく。状況によっては早瀬も悩みはするのだが、ほとんど本人の挫折による鬱展開が無く、早瀬がステップアップしやすいような難易度になっている。
 マサキによって正義とはという問いかけがありはしたのだが、本当に最後の最後でってタイミングで、例えば早瀬の正義が人に上手く利用されて、逆の結果をもたらすとかという展開などがなく、正義についてはほぼ深く考えることなく前提条件としてうたがうべくもない存在として扱われており、複雑性が排除されていた。これは熟成した社会では普通無視できないことではあるのだが、本作ではそれは扱われていなかったように思う。
 で、それの解釈に迷う。複雑化して閉塞してしまっているからこそ、敢えて単純化して状況を打開しましょうという狙いなのか、それとも谷口監督お得意の「全能感あふるる現代の若者」に対する風刺なのかってとこがね。早瀬の正義なんて他者のお膳立てがないと成り立たないわけだし。
 まぁそんなわけで、単純と思いきや、もしかすると諧謔があるかもよって作りなのかも。別に裏読みなんてせずに頭を空っぽにしてヒーロー物として楽しんでもいいし、遊びごころ溢れるちょっと変わった作品として見ても悪くない。原作もこうなのかな。初期の数話はとまどったけれど、そういう作品なのかと思ってみるとストレスなどほとんど感じることも無く没頭して視聴できると思う。自分なんかは懐かしいとは思わず、なんか変わった事してるな〜という気軽な気持ちで感情を昂ぶらせながら楽しんでました。おもろ+。