鉄のラインバレル 第20話「運命の男」

 えーっと、終盤を迎えるにあたって、脇キャラ担当回に入ってるってこと?。
 そんなに作品数チェックしていないんだけど、自己犠牲をよしとしない作品ってそんなにないよな?。大抵は自己犠牲を許容しちゃって、「彼(彼女)の死を無駄にするな」という展開が多いと思うんだが。
 そもそも大日本帝国ってモノが先の大戦以来名前を変えながらも存続してきたってのもそういう文脈だろ。特攻隊を賛美して彼らの死を無駄にするな国体を護持せよってのは、「天皇を中心とする神の国」にとっては都合のいいイデオロギーなわけで、ずっとそういう国家的宣伝が今まで続けられてきた。そうやって守るべき国体ってのは、特攻隊のように死を強制する特権階級にだけ都合のよい社会なわけだ。
 もう自分が中高生の頃から、それはまずいんでねぇの?という文脈も現れてきていた。イギリスなんかでは「誰か一人を犠牲にして組織の安泰を図るような手段は、そもそも考慮に価しないという見方をする。」ってのをなんかで読んだ気がする。まぁイギリスなんて労働者階級は使い捨てにしてきた歴史があるから、その使い捨てにしない一人ってのはどうせジェントルマン以上の階級なんだろうけど、ただ、日本の特権階級が宣伝してきた「誰かを犠牲にして多数の利便が図られるのなら積極的にその方策を採用する」っていうのとは確かに対照的だ。
 自分が今まで見てきたテキスト作品は、今思い返しても自己犠牲賛美のものが多いような気がする。で、その犠牲になるのは圧倒的に脇役が多く、主役が自己犠牲になる場合でも普通作品がそれで終了*1する。社会には守られるべき選良というのがいて、そのために下々は自己犠牲になるというのもやむなしというイデオロギーだ。
 で、今回もそういう仕立てかと思ったが、違った。下ごしらえとして、下っ端である描写を組み立てつゝ、死亡フラグもおっ立てまくり、自己犠牲で自爆しようとするタイミングも、1話の尺の時間配分的にはドンピシャ。自分も正直あそこで散華してあとは追悼番組的になるのかなと思っていた。
 まぁ今の社会情勢的にも(正義の味方は)庶民の一人一人を見捨てない態度ってのがより人々の心を打つという打算もあると思うんだけど、これは確かに見たかった主張の一つではある。自己犠牲を賛美して、あたかも弱いものが身を捨てて特権階級のために死ぬことに意味があるという洗脳を拒絶することに、今大いなる意味があると思うのだ。加藤機関からの二人の「世界が守られるべき存在か」という問いにも、早瀬自身が弱者であったからこそ発言に重みは出てくるわけで。

*1:まぁそういう話の組み立て方しかできんだろうし。