鋼殻のレギオス 第5話「死の大地に潜む敵」

 あ゛〜、グダグダ。
 なんつーかね、ニーナ、オマエはもう黙ってろと。汚染獣に食われそうになった場面では、クソ撒き散らして泣き喚く場面だろと。何救国の英雄にもたれかゝられてニヤニヤしてんのかと。
 汚染獣の怖さをわかっていようといまいと、カリアン・ロスの態度は選択の余地なくああするしかないんだが、思い込みでツッコもうとしたニーナはなんかね。ストーリーを積み上げていく以上、こういうキャラ作りをしないとフォンフォンの引き立て役にすらならないわけで、そこらへん脚本に文句をつけるつもりもないのだが、冷静に考えてみると旧日本軍より酷くね?。
 しかし、どうなんかね?。非常事態宣言以降の描写を見ると、この移動都市には大人が一人たりともいないようなんだが、よく回っているな。自分たちの置かれている状況の厳しさがまるでわかっておらず、で自分のなりたいものだのにうつつを抜かしているってのは何の冗談かと思う。汚染獣の巣の上を踏み抜く可能性があるんだったら、警戒態勢ってのは怠りなく継続しているべきだし、小隊同士の練習試合とかやってる場合なんかね?。夢を語る以前にすべきことがあるだろって段階のハズだわな、少なくとも今回の事件があったのなら。
 で、この話に至るまで実は大人が裏方として存在はしていて、カリアンはリーダーとしての教育の一環としてすべてを引き受けている段階だとばかり思っていたというぼんやりした把握は脆くも崩れ去ってしまった。かといってカリアン自体が大人の代わりになるほどの素質があるってトコでもないしな。それこそジュブナイル小説にありがちな子供たちが大人の手の届かないところに遭難し、平常時にはいい子ちゃんであるところのクラス委員が集団をまとめられずパニック…ってレヴェルにも達してない。で、そもそもカリアンやニーナは子供のなりをしているが、それはターゲット層に受け入れやすいように年齢を下げているだけで現実の大人のメタファーって考えも出来はするんだけど、やっぱ設定通りの年齢なりの未熟さを備えた子供って印象が強いけどな。
 汚染獣が外にはウヨウヨいるってのは、さすがに現代社会の厳しさのメタファーなんだろうけど、果たして学生たちが今の日本人のメタファーなのか、それともゆとり世代の少年少女のメタファーなのか今一迷う。やっぱフォンフォンやフェリ先輩の達観振りを見るとね…ちょっとどちらかという決定打にはならんよな。自分が大人になって周囲を観察すると、フェリのように韜晦して決して人には利用されないよう気遣っている人も見受けられるし、やっぱ我慢が足りずにフォンフォンのようにキレイ事に惑わされて人助けをしてしまってそいつ自身に負担がのしかゝる…だけならいいんだが、周囲にも負担が増大してサァ大変ってのも見てきてしまっているし。で、それが子供社会にないかと言われれば、無いといいきれるもんでもないだろうし。
 しかし、主人公たちをターゲット層と同一化して、「オマエの考えは甘い」と諭す目的があるんなら、それはもっと早めに終了しとくべきなのでは?という気がした。4話までというかこの5話のAパートまでヌルい青春モノをやってて、ちょっとこのギャップの激しさには堪らんものがある。フォンフォンがいなけりゃ問答無用で虐殺レヴェルの全滅だろ。あまりにも周囲に絶望が足りなさ過ぎ&己の無力さを恥じ入るという描写がなさすぎ。で、次回はお戯れですか?。冒頭の英語劇も意味がわかんない。一人の台詞を和訳している最中に次の台詞が飛び込んでくるという自分ぐらいの英語力では会話の把握に困る。
 うーん、そんなに悪いというわけでもないんだけど、やっぱバランスが突拍子もないんだよな。こういう突き抜けをするんだったらむしろギャグにしてしまうべきだろうと。