タイムボカンシリーズ ヤッターマン 第81話 凡才画家ゴーマンだコロン

 ドクロストーンが偽物とわかっているのに、本物を出せと食い下がるのは初めてじゃね?。
 ゴーギャン(っつーかその妻)がゲストキャラ。原色の画家だよな…と思いながらストーリーを追っていくと、上京(パリ)の場面。ゴーギャンって都会に生活に倦んでタヒチに隠遁していたんじゃ…と思っていたのだが、どうも有名になりたくてというのは事実だったらしい。うろ覚えはやっぱいけないな。しかし、別のリンクが凄い

1891年から2年間の第一回目タヒチ滞在で、13歳の娘テハアマナを現地妻として迎えています。
当時43歳のゴーギャンに、30歳も年下の娘が何故嫁いだのか、一説にはゴーギャンが持参した物品に惑わされたのではないかと言われているが、むしろゴーギャンの描く絵画や、芸術家としての資質に惹かれたのではないかと考える説もあります。


ゴーギャンタヒチへ来て間もなく、タヒチヌイ南部に位置するマタイエア村で、まだあどけなさが残るテハアマナと新生活をはじめます。
そして独創的な裸婦像を何枚も描いているが、モデルはもちろんテハアマナが演じ、その中でも 「死霊がみている」と題する作品はゴーギャンの傑作とされています。
若い頃株で大儲けし、裕福な暮らしをしてきたゴーギャンは、35歳で画家を志した後も浪費癖は納まらなかったそうです。
タヒチ滞在数カ月で資金は底をつき、徐々に病魔にも蝕まれていきました。それでもテハアマナとの生活は良好に続いたが、持病の肝炎が増々悪化し、一旦帰国をする事を決意します。 当時パペーテマルセイユ間は約2ヶ月半の航海でした。
1893年に帰国し、パリでゴーギャンを待ち受けていたものは展覧会の大不評でした。
画家ピサロ、作家ストリンドなどからもタヒチの作品を批判され、落ち込んだところへ船乗りと大げんかをして足を骨折。挙げ句の果てにモンパルナスの娼婦に梅毒をもらい、成す術も無くタヒチへの永住を決意します。
1895年 再びタヒチへ戻ってみると、テハアマナは他の男に寝取られていました。そこで目をつけたのが14歳のパウッウラ。 住まいもマタイエア村からプナッアウイアへ移し、ここでは約5年間生活しています。
モーレア島が見えるプナッアウイア地区でも絵は売れず、デンマークの本妻のメットからの手紙で、実の娘アリーヌの死が伝えられ貧困に追い討ちをかける事になります。
この時期パリの友人ダニエルとの書簡が複数残されており、その多くは借金申し入れだったそうです。
1898年 貧困な毎日が嫌になったゴーギャンは近くの山に登りヒ素を飲み自殺をはかるが、死にきれず、家でしばらく 寝込む事になりました。



1901年 タヒチ西洋文化流入してくる事を嫌い、病をおしてひとり新天地を求めて、タヒチから1500km北東のマルケサス諸島のヒヴァオア島をめざします。
そこでも彼は14歳のマリ=ローズ・ヴァエオホを妻にして、アツオナ村に「快楽の家」と称する高床式のアトリエを造り住んでいました。 付近の住民から反感をかうが、創作活動だけは続けられました。
ヒヴァオアに住んで2年目の1903年5月8日、ポール・ゴーギャンは村人に見取る者もなく54歳の生涯を終えました。

 うーん、なんか今回の話がかすんでしまう…。