魔法少女リリカルなのはStrikerS 第26話「約束の空へ」

 なのはは、いわゆる「万年大尉」になったってことか。
 終わりましたね。とはいっても、前期ももう続編はないという感じの幕引きだったんで、これにてシリーズ打ち止めかどうかはわかんないんですけどね。今期がなのは・フェイト・はやてを集めるための臨時特別編成、つまりオールスターゲーム用非常呼集という形だったんで、もう一度そういう形をとるためには、世界をガラガラポンする必要があるわな。まぁこの世界の社会システムをがっちり描いたからには、もう根底から覆す事件なんてやってられないと思うんですが…。
 Bパートからの流れを見ていて思ったのは、今期のテーマが組織論というよりは、むしろ人材育成に振ってきてたんだなぁという印象が強かった。家庭が崩壊して躾が放棄され、小中学校の半分ぐらいの役割が託児所になり、高校の7割ぐらいがむしろ人材低下システムとして機能し、高校がかつて担っていた選別機能を大学がかろうじて果たしてはいるものの、これまた上位校以外は基礎学力がお話にならないほど低いのでトコロテン方式に社会に放出という形になっているという現実があって、ではその人材を企業が引き入れてハテ?ということになるわけだ。
 で、企業も基本は昔の徒弟システム(見てやって覚えろシステム)をとっていながら、成果主義に移行したため、人の教育より自分の業績に専念せねばならず、新人に構っていられなくて昔より面倒見が悪くなっており、酷いところは新人にすら成果主義であたって、彼らが一年と持たずに散ってしまっているというところもたくさんあるだろう。会社が古株にすら使い捨てなのに、新人はさらに使い捨ての度合いが高くなっているという悲劇が起こっているのではないか?。
 で、高校卒業までが昨今の生徒お客様待遇の風潮で、若手自身が働き手としての耐性に著しく欠けている面もあって、たとえ学校のお勉強が出来ても就職後のストレスに耐えられないというのもあるだろう。たぶん昔のやり方がそのまゝ残っていたとしても、昔より離職率は高くなっていると思われる。で、前述のとおり企業自体が使い捨てシステムになっているために、さらに離職率が高くなっているのではないか?。
 企業のほうでも、では全く対応していないか?と言われれば、コストカットの厳しい現在ではあまり金をかけたくもないんだろうが、それでも外注で研修を開いてみたり、自前でやったとしても実際の業務とは関係のない事柄で無駄なストレスをかけたり、無駄な書類を書かせておわりにしたりするのが関の山で、現場で手間暇かけて丁寧に育てているところはかなりへっているものと思われる。
 つまり、企業のほうでも新人を育てるつもりもないし、好意的に解釈したところで余力もなくなっており、新人のほうでも向上心などのレヴェルが低くなっており、「犬のおまわりさん」ではないが、企業もワンワン吼えているだけ、新人もニャァニャァ泣いているばかりという風になってきてるんだろう。
 で、もうちょっと事態は深刻で、日本人が使えないとわかったら、カンのいい企業なんかは低廉な外国人労働者に頼ろうとしているんだろう。底辺労働だけでなく、頭脳労働でも労働単価の高い日本であることを武器にアジア発展途上国の向上心溢れる若者をターゲットに、それこそ10年ぐらい前から留学生あたりに目星をつけていた感じがする。月20万以上の学費を給付してまで、100万人のアジア留学生を招きという案が近年浮上しているのもその流れか。
 で、実際に日本企業に外国人労働者が就職してきたとして、もともと旧来の企業文化が破壊された日本では彼らを日本人より酷い待遇で使い捨てにしようとするので、彼らもそれならもっと給料も待遇も破格のアメリカに行こうということになってしまってあてが外れているというのが案外現実なんでねぇの?という感じがする。まぁ土光臨調あたりからの雇用慣習の破壊は思いのほか日本を低調に追いやっているわな…。
 もはや海外の労働者が日本を素通りしてアメリカに流れてしまっている以上、日本人でもなければわざわざ言語学的に特異な日本語を学習してまで日本に来ようとは思わんわな。むしろアニメ文化に惚れて日本語ブームってのが泣けるが、日本語を駆使せねばならない監督・構成・脚本の部分は、本当に極少数でいいので、外国人がその部分に入る余地も、たぶん彼らにその意志も今んところないだろう。日本語を比較的必要としない技術者は、むしろ日本人ですら待遇が悪いんで、ますますアメリカに流れてしまうわな。
 で、外国人頭脳労働者が日本語というハードルを超えてまでトライしようとしない以上、そこらへん日本人の若手を育成する必要があるんだが、これまたたぶん企業のお偉方は現実認識すら出来ていないという状況なんだと思う。政府の教育方針を見ていると、やたら愛国心を煽っており、「おぃおぃ、愛国心で飯が食えるんかよ」と思うわけなんだが、結局政府自身が国を運営する能力がなく、各地で阿鼻叫喚の地獄絵図になっているので、その不満逸らしで精一杯という感じなんだろう。第一次大戦の好景気であぶく銭を手にすることを覚えた特権階級が、その後のバブル崩壊でも自分のやり方を反省することなく、現場の労働者に負担を押し付け、蟹工船のような状況を各地で生み出し、その結果政府の考えた誘導策が愛国心の昂揚だったわけで、その果てがなんだったのか?は言わずとも知れているだろう。でも、現代は戦争できるアテも少なくなっており、政府がやたら憲法9条の改正で自分のほうから戦争ができるような法改正をしたがっているが、海外の国々がWW?での日本の所業を覚えちゃっているので、猜疑心は強く、それこそWW?以前よりははるかに戦争をしにくい状況になっている。ありがたいんだか情けないんだかわからないが。でも、政府のやる事はあいもかわらず愛国心なわけだ。
 そうなると、どうしても国内でまかなわなければならない事は日本人でやるしかない…っつーか、日本人は本当に大部分の人間が政財界と同じように移民で解決なんて思っているのだろうか…わけで、本作でのメインテーマである、企業での人材育成というものを真剣に考えなければならない時期にもうなっているんじゃなかろうかと思うのである。それだけに、ロリオタが本作を渇望するとは別の次元で意義のある問題提起もしくは提案だったりしたんじゃないだろうか。
 長くなって申し訳ないのだが、例えば結論のところで言う、なのはたちが手塩にかけて育てた新人たちが第六課解散のときにも実力をつけていたし、それぞれの転属先でうまくやっているようですよ〜みたいな描写はやはりそういう意図だったんだろうと思う。今期でいえば、聖王のゆりかご関連がやたらスケールがでかいのに、中で展開される話がふるわなかったのはやはりそれがメインではなかったからと考えるのが適当ではなかろうか。自分的にはもうちょっと世界を揺るがす大事件なんてものではなくて、もうちょっと新人たちが関与しても違和感がないような(大事件だっただけに猫の手も借りたくて出動というのは確かに論として間違ってはいないが、新人たちにも光を当てなければならない以上、どうしても不相応な強大な敵に会ってそれなりの結果を視聴者に提示しなきゃならないのは、ちとしんどい)事件にしたほうが良かったように個人的には思う。もちろん続編制作があるとしての話だが。難しいわな、2クールもらってしょぼい事件だけで終始するというのも視聴者サーヴィスの観点から避けるべきだろうしな。
 で、人材育成の観点から、成功だったのかどうか?を見てみると、一応の成果は挙げたと私は見る。すくなくともなのはたちの教育の方法を見てみると、ストレスの適正なかけ方(強度やかけるポイント)を提示できていたと思うし、なにより新人たちへの時間や手間のかけかたが莫大である。フェイトやはやてはその職務上、そちらに専念する割合が多い(という描写になっていたのに結構感心している)が、なのはの職務の性質にもよるのだろうが、手間のかけかたや突き放し具合といい、企業というよりはむしろ学校教育寄りにはなっているが、とにかく育てることに専念しているといっていいほどだ。で、なのはの行動で新人たちがどう思うのか?という部分も説得力がかなりあった。さらに言うと、その描写群で、視聴者もなのは側にたつのか新人たち側にたつのか分かれると思うのだが、それは視聴者の経験具合によって左右されると思うので、スタッフとしてどちら側への誘導もしない態度というのは、まぁそうなんだろうなと思った次第。まぁどの描写がどうなのかというのは、今までのエントリーでも書いたこともあろうし、今は詳しくは振り返らないことにする。
 前に新人キャラが多いだの書いたような気がするが、新人教育のことを考えると実は現場でも一人の指導者に一人か二人なわけで、そこらへんきちんと守っていたのも節度があると思う。たくさんの人間が主要キャラを慕うというハーレム状態がオタ向けだとはおもうんだが、戦闘機人たちに好かれる?スカリエッティという描写でも、別に戦闘機人は恋愛感情という結びつきっつーわけでもなかったしな。というか全編そういう描写は排除されていましたわな。終わってみれば戦闘機人は確かに十把一からげでよかったとは思う。キャロとの結びつきを描かないんだったらルーお嬢様の描写は要らなかったかも。たぶん構成では入っていたんだけど、脚本の段階で泣く泣く切ったんだとは思うが。
 で、評価なんだが、わりと落ち着いた展開ながら熱いものは感じられた。たぶん今までのシリーズの熱さとは性質が違うのだと思う。スバルあたりに単純な熱さを背負わせていたんだろうが、実は私にとってはそれは暑苦しいに過ぎなかった。で、新人教育の取り組みあたりなんかも結構共感できるものはあって、自分的にはダメだしする要素はあんまりない。まぁ何度も言うように聖王のゆりかご関連はたしかに魅力はないのだが、じゃぁ仮にそこが魅力があった作りになっていたとして名作にするだけのものか?と言われればそこまでプッシュする作品でもないんですわ。単純なことを言えば中盤以降の展開がダルいというわけで、おもろ ぐらいが適当だと思っている。絵も低調だったがそれは気にならないし、声優の使いまわしもどうかとは思うんだが、識別という観点からいうと問題などなかった。むしろなのは@田村ゆかり、フェイト@水樹奈々の演技が結構落ち着いていて、田村ゆかりが期待される声質とはちょっと違っていただろうから、キャラの成長具合なんかも含めて彼女たちがどんな考えで演技していったのかはとても知りたいとは思っている。少なくとも一言一言を噛み締めながら発声していたようには感じるので、そこらへんなにか視聴者にも伝わったんかな?とも思わないでもない。続編があるとすれば、やはり都築真紀がどんなテーマを据えてくるのか?に注目してチェックぐらいはすると思う。