龍勝

 桂林をちょっとゆっくりと出て、目指したのは今回の目的のひとつでもある龍脊梯田。桂林の汽車站から龍勝行きのバスに乗る。龍勝に着くと、紅瑶の客引きに遭うが、断り続ける。龍脊梯田は平安行きと金坑行きの二通りあると後で気がついたのだが、なんでかほとんどアプローチのない平安行きのバスに乗る。バスでは香港だか中国だかの家族連れの観光客がいて、子供に服務員の娘さんがおだやかに触れ合っていて和んだ。
 着いたのは2時過ぎぐらいか。途中関所みたいなところがあって、区に入るのにRMB50の券を買う。自分は地球の歩き方を見て予習済みだったので驚かなかったが、先ほどの観光客は戸惑っていた。さすがにここから引き返すわけにも遺憾だろうし。バスの降車場に入り口があって検票を済ませて入る。15時や17時に龍勝に戻るバスがあるので、泊まるまでもないと思ったら引き返そうかと思ったが、結果的にそれはしなかった。ここ平安の見せ場として七星胖月という、一番標高の高い棚田が皿状になっているのを星に見立てて、それにより標高の低い三日月状の棚田を月に見立てた名所があるのだが、それだけのものだ。そこまで荷物を持ったまゝ山道を歩くので結構疲れた。ここでも紅瑶のみやげもの売りりがすごくてたいへん。山道のところどころで待っていて、無視しても結構ついてくるのだ。
 棚田自体は実はバスの車窓から結構見えてしまうので、いくら絶景とはいえ初めて目前にするという感動みたいなものは無い。こんな辺鄙なところまで棚田を作って稲作とは恐れ入るという大変さを感じるぐらいだ。中国も工業化というか近代化が進む前は多分ここら辺は穀倉地帯となってでもいたのだろう。たぶん自給自足が当たり前だった時代は中国でも裕福な地域だったのではなかろうか。だが、いつのまにか中国でも貧乏を競うような土地となってしまっているようだ。昔を知っている人は特に悲しいものがあるのではなかろうか。
 結局ここで宿泊することにした。見所をつなぐルート上には設備は整って入るのだろうが、ちょっと静かな人の来なさそうなところに決めたら、本当に客は私一人だったようだ。シーズンであればまた違うのかもしれないが、あまりに客が来ないので、もう食事を出すとかもやってなくて、1時間ほど仮眠をとって食事にいったのだが、不便なものだ。
 歩くと道端に鶏だけでなく、アヒルなんかも放し飼いにしている。猫も犬も風景に溶け込んでいる。風景区の入り口からちょっとは行けるが、ある一定以上は車は上にいけないからか、役畜として馬が使われていて勢子に連れられているのも見た。まぁ昔の農村の風景だわな。
 しかし、風景区内はどこ行っても観光客目当ての旅館だらけで老人たちは結構複雑なものがあるのだろう。本当に木の色が真新しい旅館が多くてにわか景気にびっくりするのだが、これも入場料の50元が利いているに違いない。老人たちはわらじとか売れそうも無いものを道端で作っていて、いや実際に売れなくても構わないって思っていると思うのだが、悲哀を感じる。食っていくだけなら農業だけでもやっていけるわけで、そういう生活に老人たちは慣れてもいるわけで、若い世代が金目当てになんでもするってのは見ていて辛いものがありはしないかと旅行者の私が要らぬ心配をしてしまう。
 夕食は、炒飯と、この土地の名物の竹筒飯をいただく。竹筒飯は竹の中にもち米と芋や豚肉の細切れなどの具を入れて調理したものだ。なんか懐かしい味がする。
 どうもこの店は若い夫婦とその家族がやっているようで、赤ん坊も店の中にいた。初めは母親にあやされていろいろ一人で遊んでいたのだが、仕事をしている親に近づいていくので親にしかられるわで、客に興味を持ってきた。そのうちの一人が私でもあるんだが、笑って働きかけると近づいてもくるので割りと和んだ。
 夜は結構涼しくて、北京や桂林に比べてはるかに寝やすかった。蚊もいなくて安心。夜中に雨が降ったのか地面が濡れていた。降雨も涼しい原因かな。