冥王計画 ゼオライマー

 本当に薄汚いのは木原マサキやそのクローンたちではなく、彼らを利用しようとした層では?。なに最後に敬礼なんてしてんだか。
 というわけで、Wikiを読みながら感想書き。どうもアニメ版は原作とは別物らしい。スパロボで見直されるって萎え萎え。なんつーかWikiのストーリーを見てみると、気持ち的には原作のほうがドロドロしていて納得できる感じですな。
 正直ロボットに思い入れはないので、製作企図を考えると、当時時代の寵児だった菊池通隆キャラにガンダム由来のロボットブームとのコラボレーションでのウケを期待したのでは?と思う。デジタル処理は当時なかったのだと思うが、作画のクォリティは高いし、派手目ではあるが破壊の様子など背景のスペクタクルぶりもなかなか手が込んでいた。
 キャラクター達が滅びの美学というよりは自殺願望でもあるんじゃねぇか?とも思える行動ぶりに違和感が感じられなければオッケーなんだと思うが、ちょっと愛だのなんだのというのは場違いのような気がした。常に意識が自分とあと1〜2人ぐらいにしか回ってないキャラクター達の絡み合いって感じで今一。
 最後主人公マサトが出撃するときにも人類の未来を背負っていたとも思えないし、失われた自分を取り戻すって感じでもなかったしで、物語を先に進めるのに精一杯という感じがした。
 当時の世相なり政局なりのリンクがあるのか?と思わないこともないんだけど、色はかなり薄いかな。先日“皇帝爆弾”(1961年ノバヤ・ゼムリャで行われたヒロシマの3300倍の威力のある核実験)のGoogle動画を見たので、それをちょっと連想した。