ARIA The NATURAL 第17話「その 雨降る夜が明ければ…」

 皆さんARIA The NATURALを今までごらん頂きありがとうございました。ご愛顧にこたえまして来週からARIA The ARTIFACTが始まります。来週も見てね?。と面白くもないことを書いてみる。いやぁいい最終回でしたと言っていいほどの出来栄え。実は他の感想サイトさんの記述をちょっと読んでしまい、アリシアとゴンドラの関わり云々は知った上での視聴でした。脚本は吉田玲子ということで期待していたのですが、魔法が効いていたのはAパートの部分。Bパートも意図はわかるし悪くはないんだけど、どうも頭の中でツッコみが入ってしようがなかった。ちょっと長文になります。何から書こうか。
 まず、繋がっていく想いってのがうまかったかな。グランマからアリシアへ、アリシアから灯里へという構造をきちんと対照で見せながらってのはほろりときた。正直Aパートの間はいつ涙が流れるのかと心配になるほど。
 ただ、悪いんですがそれだけのような気がするんです。とりあえず気になる点をとりあえず挙げていきますか。

  1. 送りと受けの両方を体験しているのはアリシアだから、灯里とゴンドラのつながりを強調するのはどうか。アリシア主体のほうがよくないか?。
  2. 確かに思い出はあるんだろうけど、晃とアテナがこのゴンドラにそんなに執着を持つものか?(ただし、作中では社交辞令の範囲を越えていないようには思える)。
  3. ゴンドラを通じてたくさんの初めてをもらったということですが、ゴンドラという“モノ”はあくまで媒介であって実際に灯里に初めてを与えたのはゴンドラ周辺の“ヒト”であること。
  4. いくら奇跡体質だからといっても、すぐにもとのゴンドラと再会してしまうのはどうか?。

 まぁ所詮作り事なんだからかたくるしい事を言うなや!と言われればそうではあります。まぁ私が初見で特に気になった点をメモするのが主目的ですので、あとから「あれはスタッフのほうが正しかった」という可能性は大いにありえます。
 特に3が気になります。ゴンドラはあくまで象徴ですので、私が引っかかるのが間違いってのはわかっているつもりなんですが、やっぱり働き手としては、道具に思い入れを持つのは限りない“こなし”の時間を経て、一心同体にまで同化したというものがないと今一ピンとこないんですよ。むしろ道具と自分との一対一の関係を重視するっていうか。ところがこういう描写では灯里がゴンドラを通じて周囲の人々からいろいろなものを貰っているという風に見えるので、あまりゴンドラに執着されるのは「コイツわかってんのか?」と思ってしまいました。むしろゴンドラの先にある“人間”をクローズアップすべきでは?と思ってしまいます。たしかに色々な過去の場面をクローズアップさせることで表現はしているんですけどね。
 あと、アリシアが受けたものを次に渡すことを意識していたのに対し、灯里自身は次に与えるということを意識していない(描写を省略した?)というのに違和感を感じた。いくらなんでも次の受け手がアイちゃんとかはさすがに興醒めなんですけど、アリシアが後輩を指導できるまでゴンドラを陸揚げしていたことにあたる描写が欲しいところ。いろんな受け継がれていくはずのものが灯里ですべて止まってしまっているように見えるんだよね。予兆みたいなもんでもよかったんですけどね。プリマになっていない灯里にそれを期待するのはまずいんだろうか。ゴンドラに塗るワックスをアリシアが改良しているという台詞がある割には、新しいゴンドラを選ぶ描写もなかったし、なんつーか灯里の周辺だけで奇跡がぐるぐる回っているご都合主義的なものを感じた。別に原作者もアニメスタッフも必要以上に灯里をひいきしているわけでもなく、むしろ灯里のようなどんなことにも感動を覚えるような純真さを持てば我々にもあてはまることなんだってのはわかるんですけどね。
 本格的に2話連続の構成ってのはもしかして初めて?。どうもツッコみが多い記述になりましたが、全体的に見ると良い出来なのは間違いないんですが、どうも詰めが甘い気がした。気にするほうがおかしいとは思うんですけどね。とりあえず、エントリーは一区切りつけてみます。