交響詩篇エウレカセブン 第23話「ディファレンシア」

 ゲッコーステート側の描写はわかるんですけど、レントン側の描写に軽い違和感を覚えました。いや人殺しの罪滅ぼしかどうかはともかく、ボダラクの少女を助けようと必死になるところや、レントンが今までの自分の行動が気持ちだけ空回りしていたんじゃないかと内省させるところとか、いい話ではあるんですが。話が動かなくなるので私の違和感ってのもどうでもいい話ではあるんでしょうけど、レントン勝手に行動しすぎ。環境が変わって浮かれるのもわかりますが、もうちょっとおとなしくしているもんだろう?と思いましたけどね。いや、来週早くもおん出されるようなんで話の動きどころだろうなとは感じてます。ボダラクの聖地でレントンが何かと反応するんだろうか?。まぁほかのサイトでもこの倦怠した雰囲気に飽き飽きしている感が強いので、長い間をかけてレントンの成長をコレだけ描いたんだから時期的にもちょうど良いんだとは思います。うーん。どうでもいい話を書き散らしているなぁ。
 ビームス(ズ?)夫妻については登場時から前話にかけて感じたことがちょっと当てが外れました。しかしこの作品のもうひとつのテーマである「親子関係」でとても重要な役割を負わされていることがようやくわかったり。とはいっても家出先のやさしいオジサンという典型的な役割に過ぎないんでしょうけど。話のモデルとしてはかなり古典的だと思います。レントン自身が憧れていたこともあって私もはじめはホランドがお兄さん役なのかと思っていたらそうではなく、父親役だったんですね。たぶんホランドレントンの父親にあこがれていた自分がレントンと重なって見えるとかいう設定なのかもしれません。まぁたしかにゲッコーステートの中で動機的にレントンに一番近い人物っていったらホランドしかありえないわな。まぁこれまた古典的なんですけど、ホランドレントンにとって乗り越えるべき壁ともなっております。
 しかし視聴者層からいうと、幼児の後ろで一緒に生暖かく見守るお父さんお母さん向けではなくまさに中高生にドンピシャな作りなんですが、このような親子関係をわざわざ提示する理由を考えると深く考えさせられるものがあります。レントンがいくらお子ちゃまだからといっても(ようやく大人になったとは思うんですけど)、いまどきの餓鬼とは違いかなり素直な描写だし。しかし批判する向きがあるわけでもなく、ターゲット層にもわかりやすい作りだとは思うんですけどねぇ。