だれもが博打人生

 昨日はサッカーのワールドカップ日本代表監督についてきわめて同情的なエントリーを投げてみたわけですが、今日は露出の高いスポーツに関して一つ。
 オリンピックでもそうなのですが、なんか一番にならないと罪悪のような雰囲気があって最近うんざりします。もう金メダルでなかったら非国民扱い。プロ野球でも巨人が優勝しないと人でなしのようなコメントが載ったりします。優勝することはそれはそれでいいことなのだけど、もうちょっと他のチームや選手のことも考えてやれよと感じてしまいます。というか特にプロ野球では巨人が優勝するのがあたりまえになってしまって、一番以外はみな屑のような感じがしてたまりません。わたしも小学生の頃はプロ野球に熱中したクチなのですが、広島に衣笠あり、大洋に平松ありだの、セリーグでもそれぞれのチームに看板選手などがいて、それぞれの持ち味でペナントレースを戦っていたような気がします。原点がまずあって、各チームが特色を活かしてプレーすることによって野球の面白さというのがプラス方向に積みあがっていくという感じでしょうか。しかし、今のプロ野球は巨人が金に物を言わせて選手を買い漁り、巨人が優勝してようやっと原点に辿り着くって感じです。巨人が優勝しないということにでもなれば、すべてのチームが原点以下とでも言わんばかりの状態になってしまっているような。ゼロサムですらない。
 で、巨人に吸着して(一番になる・優勝するなども同義)美味しい汁を吸おうとする人が後を絶たないわけです。そのために学齢期の段階で優勝にかじりつくわけです。そしていいポジションにつくために幼少の頃から金をかけて英才教育しちゃうわけです。もう親にとっては子供の人生をだしにした大いなる博打になっちゃっているわけです。高校野球なんてその最たるもので、わかっている人は負けてしょげ返っている選手を見て「これでこの選手の人生が無駄になったぞ」とかいう楽しみ方をしているんでしょう。たぶんほとんどすべてのスポーツ選手がそうなっちゃってるんではないだろうか。音楽業界なんか特にひどいという噂だし。昔からあったことなのでしょうが、こうまであからさまではなかったような。
 会社などでもそうなっちゃってるような。本当は構成員が協力して会社全体として利益を出さなきゃならないのに、会社の中での一番、つまりサル山のボスになると美味しい思いができるので、全体の利益を差し置いて同僚を蹴落として一番になろうとする奴が、成果主義とやらが流行りだしてからやたら増えたような気がするのだけれど。
 スポーツなんて能力とか駆け引きとか努力のドラマが面白くはあるのだけれど、なんか一番以外は屑という、まるで蜘蛛の糸カンダタのようなイメージが最近は先行して、心踊る思いが少なくなってます。