ここまで考えては見たものの

 とりあえず大まかな感想を書いてから他のサイトの感想も読んでみるんですけど、スターシップ・オペレーターズの評判はいつ見ても良くないですね。私も無理していいとこ探しをしているような気分です。現実のどうしようもなさを表現するために、ストーリーをひねくってみましたというのもこじつけくさいです。やるせなさを表現するのならそれにふさわしい方法はあります。そういう手段はこの作品ではとっていないので、どう考えてもスタッフの意図したことからは外れているという印象を受けざるを得ないでしょう。
 なんか敗戦処理というか、反省会というか、そんなつもりはないのにそんな気にさせるようですが、ちょっと整理をしてみたいと思います。
 この作品は確かにあっさりしており、物語を盛り上げたり、感動的でなくてもそれなりの充実感をあたえてくれたりするような感じはしません。機関長の死を描くのなら、彼の死を無駄にしないような方法が考えられるはずです。他のサイトを拝見しますと、まず十分な時間を取ってシノンとの関係性を徐々に明らかにしてキャラクターに感情移入させる必要があると書いてあります。もう一つ、死ぬ状況が安直であることでしょうか。機関長を殺すなら、周囲が納得するようなどうしようもない状況を作り出すこと、キャラクターに葛藤させることなどいろいろ感動的に見せる方法はあっただろうということです。
 私は初見ではたしかに以上のような意見に同意していました。お約束のようにフラグ立てをしていること、突っ走る状況が結果を容易に予測させること、死があっけないこと、シノンが悲しんでいるとき私も“悲しませる描写なんだろうけど見え透いていて安直だなぁ”と思ったこと。すべてが批判的なサイトの主張どおりのことを感じました。
 問題は2回目の視聴で、割とさめた目で鑑賞しておりました。機関長の死の場面で感じたことは、「あぁそういやダメな組織はこんな感じだよなぁ。だれかトチ狂ったやツが暴走して突っ走るんだけど、大抵は無駄になってしまうだけで実益があった事はないなぁ。周囲に大人がいたら無駄だとわかっているから投げやりな目で見守ってるんだけど、子供しかいないから奴らはなすすべもなくおろおろしているだけなんだよなぁ」でした。
 素直に見たら、ここはシノンが大切な人を失うことで彼女がなんらかの決意をする場面です。スタッフも本当は感情移入に必要な描写も死ぬ舞台も整えたかったんだけど、ストーリーを練りこむだけの時間も尺が短かかったりもしたのでできなかったと考えるのが正解のような気もします。死ぬ瞬間をあっけなくしたのは別に特別な理由があるのではなく、単に時間が足りなかったからとも考えられますし。私なんかは直接死ぬ場面を描かなくても、少ない情報でもどんな悲惨な最後だったか想像できる(シェンロンの最後など)し、そういう描写がスタッフの目的と思っていたんですが、単純に原画と時間の節約だったのかもしれませんね。
 スターシップ・オペレーターズに同情的でも、出来がいいといっている人はほとんどいません。素材はいいのに制約が多すぎて出来が悪くなってしまっているという見方がほとんどです。うーん、難しい。まだ私はこのダメさ加減自体が半分意図されたものかもしれないという考えを捨てきれません。このサイト自身が限られた制約下で如何に優れた仕事をするかという見方をするのが目的でもありますし。しかしこの作品では、スタッフ自身が意図的に行間を読ませるというよりは作品の出来の粗さから製作現場の過酷さが垣間見えてしまう、ひいてはそこから社会の縮図を無理やり読み取らされてしまっているのかもしれません。