リトルウィッチアカデミア 第11話

 言葉を蘇らせるもなんも、予め教えてたんじゃネェか。
 折り返し地点にはほんのちょっと早いが、それでも今までのダラダラからすると話の整理という点でも力が入っていた。いちおうアーシュラ先生がシャイニー・シャリオということも明言されたし、本人は自覚がないようだが、それでもアッコが少しずつでも魔法を習得する姿も冒頭で示されてた。
 シャリオの師だとかいう木の妖精がアッコを試すという下りは、もうこれは出来過ぎというか、かなり教条的のようには感じた。今までがアッコに稚拙な考えを持たせてきたせいか、この一足飛びの成長とも見える話運びは違和感があるものゝ、逆にだからこそ今このギャップを示す必要があるのかなという気もする。本当なら一年ぐらいじっくり世界名作劇場のように丁寧に描きたいんだろうなとは思う。前に述べたとおり、ロボコンのようにアッコがミッションを与えられ、その可否を視聴者に考えさせつゝ成長させて、さぁ中間試験だよというタイミングで彼女が試練を乗り越えていく様子を視聴者と共に楽しませるのだろうが、いかんせん2クールでは尺がないということなのだろう。
 これは批判とかそういうのではないのだが、アッコに過去の放棄と輝かしい未来の選択を強いるという試練は、これ、子供にわかんの?とは思った。この作品がいちおう体裁上は子供向けという形をとっているし、こういうことを考えさせる必要性も十分わかるのだが、子供というのは得てして過去を振り返らないものでは?という気がする。せいぜい自分が何か失敗した直後にそのことについていろいろ振り返ることができるとは思うのだが、そのことについても時間がたてばすっかり忘れてしまうんじゃないかなという気がする。その失敗についてその反省や修正すべき行動を半ば無意識的にしているとか、反省が身についておらずまた同じ失敗をやらかすとか。そういうことの繰り返しで子供の行動は少しずつ修正されていくような気がするんだよな。だからむしろこれはどちらかといえば大人向けのメッセーヂなのかなという気はした。まぁ深夜アニメだしな。大人であれば別にアッコのように過去を捨て去るのを嫌がらなくとも、別に個人の履歴として過去は捨て去れないものというのはわかるだろうし、見終わってから「いや、先生よ、過去を捨て去り輝かしい未来をアッコに本当に与えられるの?」という疑問はあるのだが、そう話が簡単なものでもあるまいとわかるだろう。要するに世の中そんなうまい話がゴロゴロ転がっているわけもないのはあたりまえであって、しかし現実を見据えてそれまで自分に蓄積されたものを糧に日々生きていくのか、それとも実現不可能なことを夢見てギャンブル性の高い生活(仕事)を目指すのかという問題なのかねと思わなくもない。
 だからダメだというわけでもないのだが、本当に子供向けの作品として作りこむんだったら、このエピソードはもうちょっと抽象性が高く、子供の生活に落とし込む必要があるんだろうなとは感じた。
 しかし今回の話でアッコたちがそれを見て魔女を志したというシャイニーシャリオのマジックショーをなぜやらなくなったのかというのが示されそうで楽しみ。今回候補に挙がっていたように、シャリオの個人的な事情という線が強いんだろうなと思っていたから、どうもそれとは違うらしい(世界)線のような感じではある。あのショー自体、エンタメという側面のほかに魔法自体の情宣活動も兼ねてのことだろうから、開催主体の思惑のほうが大きいわけで。