終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? 第4話

 結局恋愛モノなの?。
 うーん、前回設定が微妙と感じたが、今回は激情にも疑問が。ヴィレムは与えられた役割からすると本来は父親役なんだが、クトリを抱きしめて号泣する姿はそうではない。ほっとけないとか言いながらなんかそれは言い訳なんじゃね?ということしか感じない。もちろんいろいろな待ちの形はあってよいとは思うが、ヘンに焦点を合わせているのでどうにもえこひいきぐらいにしか。そもそも倉庫に大人数いるというのは主人公が元居たと思われる孤児院を連想させるためだとは思うんだが、では孤児院はなんの記号なのか?と考えるとちょっと捉えきれないというか、歴史的に見れば孤児院は宗教が面倒を見る替わりに孤児には宗教のために犠牲になってもらうってのはあるのではあるが、ではイスラムがそうなのか?というとあんまりそういう話がメジャーだとも思えないし、わざと格差拡大政策を採って貧乏人が兵士にならざるを得ないという合衆国や近年はアベ政権が御執心の経済徴兵のメタファーか?と言われるとそういう風にも見えない。そもそも孤児にならざるを得ない社会ということ自体が政府が特定の国民を差別する構造そのものという風にも見えないし、むしろそう生まれたから兵器として犠牲になるのは当然というのは生まれによる差別、つまり部落差別や特権階級しか政治の中枢にしか入れないという日本の問題に近いと思われる。が、そういうのとも違うような気はする。
 よくわからんのだが、原作者は仮にヴィレムを読者と同一視してもらって「世の中にかわいそうな人がいたらあなたはどんな手を差し伸べますか?」とか、逆にクトリ側と同一視してもらって「あなたが拒否することのできないこういう境遇におかれたらどのような希望を持つべきだと思いますか?」とかいう問いかけているようにも思えないので、じゃぁ作者はこの作品を通じて何を問いたかったのかというのが今一見えてこない。中世では個人は自己実現だとか幸福の追求とか西洋近代市民的感覚を持っておらず、所与の問題は何の疑問もなく受け止める、いわば農民として生まれたのなら農民としての一生をあたりまえのように受け止めるってのはかなりあたりまえだったのだから現状主人公(とクトリにはその萌芽がある)以外のキャラがそうなっているってのはそういう世界なんだろうなとは思うが…。