ガルフレグラフィック

 二日前のエントリーで、でかい画像を眺めて結構思うところがあった。ggってみると、絵師はQP:flapperという男女?二人のユニットらしい。でどうも空メソやガリナンのキャラ原らしくて、これ二作品とも見てるやつじゃんと驚いた次第。で、本人のツイなどで公開されている絵を見るとデッサンが狂ってるなんてことはない。しかし、二人とはいえガルフレのキャラ絵をすべて手がけてるんだよな…と思うと、こりゃ大変だなと思ってしまった。が、ツイのある箇所が目に留まったのだが、どうもガルフレの運営内にグラフィックスタッフが別にいるらしい。要するにQP:flapperはアニメのキャラ原に近い仕事をしてるのであって、実際には全ての絵を手がけてるんじゃなくて、実際の作業はグラフィックスタッフがやってるということなんだろう。



 こゝに二日前のでかい画像を貼るのは野暮なのでやめておくが、しかし顔グラをよく見ると、これは結構考え込まれて描かれているのがわかる。冷静に考えると、口の位置は顔の中心線からずれていておかしいはずなんだけど、顔全体のバランスから言うとあの位置にあるほうが安定している。だけでなく、あの位置にあるからこそ主人公に笑いかけているという風に見えるのだ。あとは人物絵の命とも言える目がすばらしい。若干つり目っぽいのはいかにも元気っ娘の活発さ、自信を示しており、近いほうのまなじりは下がっていて主人公に対する好意が感じられる。ちょっといたずらっ娘のような表情でもあり、小悪魔というかミステリアスな感じもありで、結構魅入られてしまったのだ。実はこのゲームを始める前に[体育祭]春宮つぐみに惚れもし、HRというステ低めのカードでありながら、これの入手を目標にしてたのだが、この[運動合宿14]春宮つぐみは眺めてみると出来がそれより良いと思ってしまった。考えてみれば、このカードの初出時は、サーヴィス開始から一年ほど経った頃であり、スタッフとしては勝手がわかった時期で、しかもサーヴィスに勢いのある時期だったろうから、その勢いが感じられる。
 あと、やはり顔グラがウリなんだから、小さなカードに魅力的に詰め込むためにはやはり大きめに描かないといけないし、それでも彼女達に着せられた装いもまた一つの魅力なのだから、やはりすべてを詰め込むと無理はどこかに出てしまう。で、ふと気付いたのは、これ、スタッフは意図してないんだろうけど、構造的には西洋美術で言えばルネサンス以前の中世絵画に近いんだろうなということ。ルネサンス以降は写実的な絵になっていくわけなんだが、これ、中世以前の画家はどうして写真のような絵を目指さなかったんだろうなというところにつながる。例えば遠近法などが新しい技法として開発されていくわけなんだが、別に近いものほど大きく、遠いものほど小さく見えるという現象自体を中世以前の宗教画家が体験してなかったはずが無いわけで、つまり絵画にあるとおり、近くのものも遠くのものもそんなに大きさが違わないように見えていたはずがないのはあたりまえ。なのにそう描かないのはそれは宗教画はリアリティを重視するのではなく、物語性のみが大事だから意味に関する以外のディテールは無視されたというだけのこと。だから、キャラクター画像なんて、ゲームに何が求められているのかだけが重要なのであって、それに忠実に従ったというだけのことなんだなと思い至った。
 変な話、今のトレンドというか、消費者の趣向はリアリティ重視ではないんだよね。むかし、おおた慶文という画家が一世を風靡した時期があって、ホント大ヒットしてた。おおた絵だって素材はロリだし、ではリアリティに絶対的な価値があるというのなら今の今までおおた絵には人気があったはずだし、おおた絵のような後継者が数多く出てたはず。なのに今の流行はアニメ絵なんだよな。とはいえ、アニメ絵はそのほとんどが消費されて忘れられていくんだろうし、こう美術として残っていくのはごく少数なんだろうとは思う。中世以前が絵のもつメッセージ性が宗教とは切っても切れない関係だったように、その絵はなんらかのコンテキストゝは切りはなせない状態で存在するもんなんだから、そういうセットを時代背景も含むホールで評価すべきなんだろうとは思う。



 これは第二進展のカード絵

 差分絵なのだが、屈伸というか開脚から大きく変化してる。が、所詮差分絵なので、姿勢が変わると当然にして筋肉の状態も変わるわけなんで、そこまで手を入れているわけではないというのがちょっと惜しいというか。




 で、これがバストアップの拡大絵

 進展前のともすれば吸い込まれそうな瞳が見られないのが残念だが、進展した後の状態なんで気安さが感じられる。進展前のミステリアスさは近寄りがたい雰囲気を帯びるが、一気に心を許したように対照的に描かれているから、心理的距離を一気に詰められた感じ。そうやって絵にどういう意味を込めるかというのを考えながら仕事をしてるのだとすると、それは楽しい仕事だろうなという気はする。