けものフレンズ 第12話

 かばんちゃんについていったのはサーバルのほかにどのフレンズだったんだろ。
 最終回。さらなる映像化があるらしいが、劇場版なのかTV2期なのかわかんないけど、そのへんどうなんだろ?。いちおうかばんは帽子にくっついていたミライの髪の毛にサンドスターが反応して生まれたフレンズということらしい。前回のようにサーバルはミライと一緒に行動していたがセルリアンに食べられて記憶を失っているという予想が正しければ、そのミライの特質を受け継いだかばんに惹かれるのは自然。でもまぁそんなことはどうでもよいというか。
 前にも述べたが、新番チェックのときには、こうなんていうか、「動物化するポストモダン」よろしく、行動様式が動物化する現代人をいろんなタイプ種別に動物の姿を媒介にして、現代社会を描いてみせる作品だと思っていたので、そのへんの想像は大外れ。こんないゝ話になるとは全然思っていなかった。割と終盤付近までこの作品には不穏な雰囲気を感じていたんだけど、それも大分緩和されたし、とはいえ先の展望が明るいって感じでもなかったかな。で、やっぱり主題は人間を相対化して強調を説くものであったのではないかという見込みはそれほど薄れていない。前にも述べたが、ヒトであるかばんを日本人とし、その他のフレンズを外国人とみなして、昨今のヘイトスピーチに見られる日本人のタコツボ化の批判というか、それを憂いてのものではないかという側面も色濃くあると思う。で、繰り返しになるがそういうテーマは具体的に示されているのではなく、むしろ焦点化を防ぐために巧妙に抽象化されており、もちろんガチの解釈として地球に住む種の一つとしてのヒトを相対化して、他の動物との共存を説いたものとして解釈できるようにも作られているし、そのへんは汎用性が高くなっているように思える。
 というわけで、思いのほかよくできている作品だったかな。どう考えても低予算アニメだし、テンプレのようなテキストでありながら、こう謎の仕込み方明かし方など、それなりに視聴者に考えさせる余地を作って飽きさせない作りになってたと思う。ネットでのウけ方は自分には無関係であって、見かけのゆるさに比べて背景は結構ハードに作られているとは思った。とはいえ、何かしらの複雑性はあんまりなくて、そんなにこねくりまわすほどの奥行きはあんまりないかも。まぁ上記のとおり、メッセージがそういう方向性なら特に複雑性を仕込むことに必然性は感じられないので妥当なところ。ちょうどガリバー旅行記を例にとると、子供向け絵本と原文の中間みたいな感じだったかな。